41.勘違いの準備
馬に乗ってパウルのいる場所まで来て、ブリュンヒルデは微笑んだ。
マリアが言う。
「見て。王女様ったら、もう馬に乗れるようになったんですよ」
「そうですか。それは良かった」
パウルは何かを隠すように笑って、マリアに視線を向ける。
「実は私、もう王宮を出ようかと思ってまして……」
馬上のブリュンヒルデの表情が凍った。マリアはそれを見て、努めて明るくパウルに言う。
「そ、そうよね……もう立って歩けるんだものね」
「はい、静養するなら、やはり自宅がいいかと」
「シュネーバルツァはしばらくここで預かってもらうの。また様子を見に来てね」
「そういうわけですので、私はこれで失礼します」
パウルは王女にも目礼すると、背を向けて行ってしまった。
ブリュンヒルデは呆然と、突如去り行くパウルを見つめていた。
厩に戻るや、ブリュンヒルデがため息をつく。
「……あなたの主は、もうお屋敷に帰ってしまったんだって」
ブリュンヒルデがそう言うと、白馬は寄り添うように彼女に鼻を近づけた。
「なぜ、彼はあんなに慌てて帰ってしまったのかしら……」
シュネーバルツァも、一緒に考えるように佇んでいる。
と。
厩にマリアがやって来た。
「王女様……どうかなさいましたか?元気がありませんね」
「パウルが、帰ってしまったから……」
まるで気持ちを隠さない王女の口ぶりに、マリアは赤くなった。
「やっぱり、迷惑だったのかしら。私ったら、毎日会いに行ってたから」
「……」
「急に押しかけるような真似をして、重い女だと思われたかしら。私、あの人より歳が上だし、結婚適齢期をとうに過ぎているし……」
マリアは王女が己を責め始めたので、慌てて告げた。
「そんなことはありません。その……そうだわ。誰しも怪我をすると、とても気が滅入るものなんですよ」
王女が顔を上げる。
「そうなの?」
「ええ。私も事故の後の一か月は、本当に何をするにも苦しかったものです」
「マリアさんも、そうだったのね」
「パウルさんだって、別に嫌になって出て行ったわけではありません。やはり静養するには、自宅が一番落ち着くのでしょう」
「そっか……そうよね」
王女は気を取り直したように顔を上げた。
「悩んでいてもしょうがないことだわ。彼がそうしたいから、そうしたんだもの……その行動は、尊重してあげなくてはね」
とはいえ、マリアは色々と気になって落ち着かない。
年齢のことや即位のこともあるし、パウルにその気がないのなら、王女には早めに恋を諦めてもらわなければならなくなるかもしれない。
一週間後。
マリアはパウルを見舞うべく、テニエス邸へと向かっていた。
見舞いというのもあるが、マリアとしては彼が王女のことをどう思っているのか聞いておきたかったのだ。
事前に、パウルに手紙で伺いは立ててある。
執事に案内され、マリアはパウルの寝室に向かった。
久しぶりのドレス姿のマリアに、ベッドに寝そべっていたパウルは思わず二度見した。
「マリアさん……」
「こんにちは。パウルさん、怪我は大丈夫?」
「ええ、あと少しで日常生活に戻れそうです」
マリアはほっとしながらも、少し心の片隅で王女の件が引っかかっていた。
「ねえ、また王宮には来られる?」
「……どうしてですか?」
「その……シュネーバルツァを、たまには王宮に見に来たらどうかなーと」
すると、パウルが急に神妙な顔つきになる。
マリアはそれを見てはらはらした。
「同じことが、先日ブリュンヒルデ様から届いた手紙にも書いてありました」
マリアはどきりとする。
「ご、ごめんなさい。あなたにも貴族としての仕事が色々あるから、難しいわよね」
「……」
パウルは弱ったように顔をしかめた。
「そういうわけではないんです」
「……」
「実は私……王女様には少し、困っているんですよ」
パウルの吐露に、マリアは肩を落とした。
やはり、彼とて流石に王女の相手をするのは、荷が重すぎるということか。
「王宮では毎日、王女様は私の様子を見に来ていました」
「……」
「ものすごく探るように、私から話を引き出そうとするんです」
「……」
「そのたびに私は苦しくなって、傷に響きます」
「……」
「だから、その……」
パウルは静かに言った。
「今は、時間が欲しいんです。考える時間が──」
マリアは思わず前のめりになる。
「……考える、時間?」
パウルは仰向けのまま、マリアを横目に見た。
「そうです。長い時間が必要です」
「それってどういう意味?」
「王女様には、正直な気持ちは言えません……だから、マリアさんに言っているのです」
「パウルさん……」
「こういったことは、私から言うと色々こじれますから。そうだな……二週間から一か月くらいはここで静養します。また王宮に向かう時には手紙を出します。王女様には、そうお伝えください」
「そう……」
「少し、私と王女様とは離れた方がいいと思うんです。命の危険をくぐり抜けた興奮で、お互いに勘違いを起こしているだけかもしれないから」
マリアの胸が熱く騒ぐ。
パウルの真剣な眼差しに当てられて、マリアはくすぐったくなった。
「その勘違い──とても素敵なことだと思うけど」
すると、パウルはようやくくすりと笑った。
「勘違いするには、今の脆弱な体の私には、ちょっと荷が重すぎる」
「……そう」
「勘違いにだって、心の準備がいるんです。そうでしょう?」
マリアは胸を押さえる。
パウルは王女のことについて真剣に考えているからこそ、距離と時間を取って落ち着こうとしている──
それはとても頼もしいことだと思った。
王宮内の客間にて。
「ふーん、勘違いする準備か。パウルは面白いことを言うな」
テオの言葉に、帰宅したばかりのマリアも頷いた。
「思えば私たち、いきなり結婚したので心の準備も何もありませんでしたね」
「ははは、確かにな。しかし貴族同士で恋愛から結婚に発展するケースも、最近増えているらしいな」
「王女様に限って、そうなるでしょうか……」
「それは……親次第だ。それに、案外〝勘違いだった〟で終わるかもしれないぞ」
「そんな……」
「まあでも、添い遂げるには、お互いそう悪くない相手だ。外国の王子なんかより、国内の公爵の方が文化的にも馴染みやすい」
マリアはふうと息を吐く。
「……テオはどうしても国民視点ではなく父親視点になるわね」
「そうだな。マリアこそ、娘視点か?」
「ええ。人様の恋愛……とってもときめきます」
「大いに助けてやるといい。そうすれば、君は後世に名を残すことになるだろう」
「ふふふ、大袈裟ね」
パウルからブリュンヒルデ宛に一通の手紙が届いたのは、それから一か月後のことだった。




