40.それが、恋
「えっ!?私たち、王宮に住むんですか?」
急な話題にマリアは驚き、テオは頷いた。
ここはマクレナン王宮の客室。
シュネーバルツァと共に荷をまとめて王宮へ向かえとテオから手紙が来て、何かと思えばいきなりの滞在要求である。
「じゃあ、しばらくレースには出られないわね」
「事情が事情なだけに、仕方なかろう」
「女王の即位はいつ?」
「それも決まっていない。出来れば敵を殲滅次第、というところか」
「パトリック王子は?」
「逃亡しているらしく、現在捜索中だ。誰も口を割らぬが、あの日賊と護衛を手配したのも恐らくパトリック王子だ」
「……何てこと」
崩れ落ちるように身を預けて来た妻の肩を、テオは抱き止めた。
「少し落ち着かないが、王女も街を外れると危険だ。我々は王女の力になるために、しばらくはここで過ごそう」
「はい……王の命なら、仕方ありませんね」
「何。面倒な陰謀は私達に任せて、君は馬に乗っていればいい。そういう意味では、ここはローヴァイン領と変わらん。この王宮にある庭も、馬を走らせるにはなかなかのものだぞ」
マリアは夫の胸から離れると、客間の窓から王宮の庭を見下ろした。
トラヴィス王がかつて馬を走らせた、都会の中にあって広大な庭。ふと視線を走らせると、障害物競走の出来る馬術スペースがある。マリアの目が光った。
「あら、あんないいものがあるのね……」
「障害物だ。騎士はあの訓練を存分に行う」
「騎士の訓練?」
「マリアもやってみるか?どうせ部屋にいてもやることがないし、気が滅入るから庭に出てみるか」
「そうですね。ブリュンヒルデ様もお誘いしましょう」
マリアがしばらく庭でシュネーバルツァと待っていると、乗馬服姿のブリュンヒルデがやって来た。
心なしか、王女の顔色は乗馬に臨んでいつもより明るい。
テオは一足先に、障害物の訓練をしていた。
ブリュンヒルデはシュネーバルツァに触れると、にこりと笑った。
あんなに馬を嫌がっていたのに、急に馬と打ち解けたのかとマリアは驚く。
「ブリュンヒルデ様、随分と馬に慣れましたね」
すると、なぜか王女は悪事を暴かれでもしたかのように、びくりと肩をすくめる。
「そ、そうかしら……」
「シュネーバルツァに向ける視線が、明らかに優しくなりましたよ」
「!」
「ね、王女様。馬の可愛さに気づいたんでしょう。馬は人間と違って、無邪気で、正直で、計算を知りませんから。でも、欲に忠実でひたむきなんです」
ブリュンヒルデはしばらくその言葉を咀嚼してから、小さく呟いた。
「馬も、飼い主に似るのかしら……」
「飼い主って、パウルさんのことですか?」
王女は赤くなって黙った。
マリアもそれを見て、少し赤くなる。
「……パウルさんは、今どうしてますか?」
「はい。実は彼は今、肋骨を折って王宮内の医務室にて静養しています」
「肋骨を……?」
「彼、あの日私を助けようとして、怪我をしてしまったんです」
マリアは平静を装って頷きながら、心の中でパウルに拍手喝采した。
「まあ。それは大変でしたね。王女様も、パウルさんも」
「はい。贖罪を兼ねて毎日、お見舞いに行っています」
「!毎日……?」
「や、やっぱり行き過ぎよね……あちらも迷惑でしょうし、そろそろ控えようかしら」
それを聞きながら、マリアは心の中で大いに悶えた。
「そうだ、王女様。上手にシュネーバルツァに乗っているところを、パウルさんに見せてあげましょうよ」
ブリュンヒルデはハッと顔を上げる。
「シュネーバルツァに?」
「そうです。彼女はパウルさんの愛馬ですから、王女様が乗りこなせばきっと喜びますよ」
「なるほど……そうね」
王女はスッと真剣な眼差しになる。
鞍に手をかけ、鐙に足をかけ、勢いをつけて飛び乗る。
シュネーバルツァは、王女に乗られるまで行儀よく待っている。ブリュンヒルデは手綱を引くと、馬を一歩一歩、歩ませた。
マリアは驚きにぽかんと口を開ける。
あんなに馬を怖がっていたのに、急に王女が馬を怖がらなくなっていた。
(これが……恋の力)
マリアは月並みにそんなことを思い、心を震わせる。
寝室係になったのだから、こういったことも手引きすべきなのだろうか。
(でもブリュンヒルデ様だって大人だし、ここは見守った方がいいのかも……)
遠ざかって行く王女の背中を見ていると、テオがやって来た。
「おー、ついに王女が馬を操るようになったか!」
「ええ。だって、愛しの彼の馬ですものね?」
テオはマリアの言葉に首を捻った。
「愛しの?まさか……パウルのことか!?」
「ええ、多分。王女様はパウルを好いていらっしゃいます」
「……なぜ?」
「……それは私にも分かりかねます。でも、パウルさんは真っすぐでちょっと熱くて、とてもいい人ですよね」
「パウルは22歳。王女は25歳。年下の夫だが……」
「あなたが歳の差の話をする……?」
「ははは。まぁ婿入りと考えると、年下でちょうどいいかもしれんな」
と、遠ざかり過ぎた王女が馬に乗ったまま叫んだ。
「止まらない!だ、誰かこの子を止めてー!」
「おっと、大変だ」
走り行くテオを眺め、マリアはしみじみと呟いた。
「ふふふ。止まらない、止められない……なんてね」
そこに。
「こんにちは」
ふらりとパウルが現れた。マリアは恋物語の主人公の登場に、パッと顔を輝かせる。
「あら、お久しぶりですパウルさん!体はもう大丈夫なの?」
「はい。運動は出来ませんが、歩くぐらいの日常生活なら、何とか」
「医務室で寝ているだけというのも暇ですものね」
「はい。だから、ちょっと見に来てみました」
遠くでブリュンヒルデがパウルを見つけ、にこりと笑う。
パウルは少し表情を固くして、何か考えているようだった。




