殺してやる
食べ物は喜ばれた。どうも、このポチといい、あの森の生き物はどれもとても強いらしくて、普通はなかなか入れないそうだ。なので大型の獣や、果物もいずれも珍しいものだったらしい。この辺りではウサギかねずみくらいしか肉はなく、農家が基本だが最近は不作気味だったらしい。
と言う訳で食料以外の、衣服ならと喜んで交換してくれた。ようやく文明人になれた気がする。今夜の宿として空き家に案内された。
「どうも、ありがとうございます」
「いや、いいさ。また明日な」
どうせ日持ちするものでもないと、全ての食料を相場関係なしに渡したからか、とても待遇はいい。夕食も用意してくれた。もちろん必要ないが、食べられない訳でもないのでいただいた。
しかし食事を用意してもらえたことで、ここの文明レベルも察しが付くと言うものだ。端的に言って、美味しいものではなかった。
なにか米ではないが穀物を煮込んだもののようだが、全体的に独特のえぐみのような苦みがある上に、すっぱい。たぶん腐っている。酸味は嫌いではないし、腐ったものを食べた経験だって人より多い方なので、普通に食べたし、美味しいと笑顔を維持するのには問題なかったが、少なくとも客人にだすレベルがこれなら、食事のレベルが知れると言うものだ。
「……まさか、な」
おっと。思わず、素の声をだしてしまった。まぁ、しかし、それこそまさかだ。こんなことを思うのは、俺の心が醜いからだろう。
料理の味がまずいのは、文明レベルや物資のせいではなく、俺を客人と思っていないから腐ったものをあえた出したとか、または、料理ではなく、なんらかの薬物で味が変わっているのではないか、なんて。そんなのは、まさか。生まれ変わる前の俺なら、怪しい子供にこんなことをしないからって、人を疑うのはいけない。
今の私は、美しい心になると、決めたのだから。だから疑ってはいけない。
「ポチ、おやすみなさい」
ワン
さすがに小屋の中でずっと起き上がってもぞもぞしているのも、具合が悪い。屋根があるので、外より暗いし、何もない。
意味があるのかはわからないが、体を休めて損をするわけでもない。ポチの隣に寝具を用意して、中に入って眠る振りをすることにした。
今後も寝るふりをすることはあるだろう。ならばここで慣れておこう。
そうしてしばらくじっと目を閉じて、とにかくじっとしておく。するとどのくらい時間がたったのか、ずず、と重いものを移動させる音がした。
「……」
扉、と言えるほどのものではない。納屋のようなこの小屋の入り口をふさいでいる板が空いたのだろう。仰向けに寝たまま目をひらく。
誰かが入ってくるのを感じる。そのままじっとしていると、ゆっくりと静かに、男が入ってきた。集まっていた男たちの、隅の方にいた一人だ。
私の顔を覗き込み、目が合い、ぎょっとした顔になり、慌ててこちらに手を伸ばして口をふさいだ。そして自身の腰に回した手を振り上げて、私の首に振り落とした。
「がっ!?」
そして金属同士がぶつかったような音がして、男の手からナイフらしきものは弾き飛ばされた。
「な、な? な、なにしこんでやがるっ」
言いがかりをつけながら男がさっと中腰になって距離をとり、ナイフをひろって構えた。私は起き上がる。
何も仕込んでいるわけがない。なにもない首を狙われたのだから。
そんなわけがない、と思い込もうとしていた。だって私は何も悪いことはしていない。それどころか、明らかに低レートで食料を交換したのだ。村にとって有益だったはずだ。だが、その結果がこれだ。今の体でなければ確実に死んでいただろう程の力で、喉をつかれた。
腹の底から怒りがわいてくるのをこらえる。まだ、まだだ。まだなにか、理由があるのかもしれない。勘違いかもしれない。
「……何をしようとしていたんですか? 私は何も、害されるようなことはしていませんよ」
「ちっ、ざっけんな。お前みたいなガキが偉そうにしやがってよぉ!」
「……それだけで、私を殺すつもりだったんですか? 私の持っているのは全て渡したというのに?」
「全てじゃねぇだろ? お前の後ろで寝てる獣がいるだろう。主人が襲われても寝てやがる、野生を忘れたやつだが、都合がいい。お前から俺に代わっても、気づかねぇだろ」
つまりこいつは、ポチを奪おうとしたのだ。何もない俺から、ただ唯一傍にいるだけの、ポチを。
カッと目の前が明るくなるように感じられるほど、俺の中に怒りが渦巻いていた。
「黙れっ」
「がっ」
床を押すように勢いよく男にとびかかり、向けられたナイフを左手でつかんでよけながら、右手で頭をつかんでそのまま倒れこむように床にたたきつけた。安っぽい床が激しくきしんだ。
「ぐぐっ、は、はなせ……っ」
ナイフをつかんでいるのに、左手に痛みはない。びくともしないのを理解したのか、男はナイフから手を放してりょうてで俺の右手をつかんでくるが、それでも俺にとっては手を添えられているとしか感じられない。
俺は大したもんなんて持ってない。ずっとそうだった。だからこそ、ポチだろうが、ハンカチ一枚だろうが、俺から奪おうとするやつは許せない。ぶっ殺してやる。二度と、俺から奪おうなんて思わないように。喧嘩は先手必勝だ。何だってそうだ。先にやってしまえば終わりだ。
今も乗りあがった俺に、男はなすすべもない。今日の宿であるこの小屋が壊れないよう、一応加減はした。そのくらいの理性はある。大丈夫だ。俺は冷静だ。このまま、握りつぶしてしまえ。
「静かにしろ。殺してやる」
「ぎっ、や、やめっ、わかった、わかったから! やめてくれ!」
「黙って死ね。加減を間違えて、血で汚したくない」
こいつが俺を殺そうとしたんだ。俺は悪くない。正当防衛だ。だから、殺してしまえ。俺を殺して奪おうとしたんだ。もう一人殺しているんだ。今更、二人になったところでかわるものか。
くぅん……
「!」
いつの間にか、俺のすぐ横にポチがきていた。騒いでも寝ていたくせに。だが、だからって何だと言うんだ。こいつだって俺を最初食おうとしたやつだ。襲ってきたとわかれば、自分から率先してこいつを殺したはずだ。
キュゥ……
ポチはべろりと俺の頬をなめた。まるで、慰めるように。
どうしてお前はそんな声をだす? わからない。何も、わからない。言葉も通じない獣の理屈なんて、わかるはずがない。
だけど、ただ一つ、わかった。今、怒りに任せて人を殺そうとした俺もまた、獣になっていた。
忘れていた。俺は、いや、私は、聖人になりたいと、人に与える側になりたいと思っていたのだ。なのにいざ奪われようとした時、俺は簡単に、昔の俺に戻っていた。奪う側になっていた。
「は…はは……」
これで聖人になりたいだって、笑ってしまうだろう。笑うしかない。なにが聖人だ。反省したつもりになっただけの、人殺しが。俺は無様に笑いながら、男から手を離した。
男は笑い出した俺を、狂人でも見る顔をして、後ずさって出入り口までいくと、飛び上がるように逃げて行った。
「はは……は。すみません、ポチ。助かりました」
俺は、全くもって、聖人なんかじゃない。それどころか、ただの人ですらない。犯罪者で、人殺しで、獣だ。
でもだからこそ、聖人になりたいのだ。生まれ変わりたいのだ。それは間違いなく、俺の心からの願いだ。
くぅん
ポチはまたぺろぺろと頬を舐めてきた。くさい。だが、不快ではなかった。
「……ポチ。私はこれから、与える人になります。たくさんの人を、救う人になります。長い旅になるでしょう。私に、ついてきますか?」
オンッ
「ははっ」
犬相手に、真面目に話しかけるのはやっぱり馬鹿みたいだ。だけどポチまで大真面目に返事をするから、私はこう、お願いまでしてしまう。
「ポチ、私が獣になりそうだったら、また、とめてくださいね」
そっとポチの頭を撫でる。ごわごわしている。そのうち、洗って毛をといてやろう。そう思った。