第一村人
ポチの世話は思いのほか楽だった。と言うのも、私から与える餌はあの果実だけでなんとかなったからだ。水分も多いし、他には適当に自分で小動物を捕まえたりしているし、問題ないらしい。
それより難儀したのは、笑顔の練習だ。人を幸せにするために、まず私は笑顔で接する必要がある。刑務所に入ってから笑うことなんてなかったので、体が変わっていると言っても笑い方を忘れているみたいなものだ。
川を見つけたので、そこで練習した顔を確認すると、普通に不気味だった。ひきつっていて、いかにも怒っているのを我慢しているような、悪だくみしているような顔だった。
それからも練習を重ね、多分、まぁ、普通の笑顔ができるようになるころに、ようやく私たちは森を抜けた。
そこはひらけた草原のような場所だった。点々と木々があり、地平線までそれが続いている。本当に、人間がいる世界なのだろうか、と不意に不安になる。
横を見ると、クゥン? とポチは不思議そうな顔をして、まるで励ますように私の手に鼻先をこすりつけてきた。しめっていて、少し気持ち悪い、と反射的に思ってしまった。
……、いや、聖人になるなら、例え相手が獣でも、優しくしなければ。そもそも人間自体、知能があるだけで獣と何が違うと言うのか。少なくとも、かつての俺が、どうして獣でなかったのか。同族すら、怒りもなく殺せた俺は、きっと獣以下だったのだろう。
そうだ。ポチすら、俺より上等な生き物なんだ。だからこそ俺は、あらゆる命に敬意を払い、大切にしないといけないんだ。そういう心の持ちようから変えないと、表面だけでは本当に与える人にはならないだろう。
私はポチの頭を撫でてやって、歩き出そうとして気が付く。いや、これ森から離れて、もしずっと草原が続いたらポチの水源確保するの難しくないか?
森は特に問題もなかった。他にもポチ級に大きな生き物が出てきたりはしたし襲われたりもしたが、普通に無視していれば噛みつこうが飛びつこうが私がびくともしないとわかればすぐに逃げて行った。だからこそ、何も考えず太陽が昇る方角を目印にして歩いてきた。
しかしここで、もしこの先何もないとしたら? 動物はいるだろうし、餌はあるだろうが、水分がないと困るだろう。
「……ポチ、人がいるところへ行きたいんですが、ここをまっすぐ行って、いるかどうかわかりますか? また、あなたがそれまで元気でいられそうですか?」
オンッ
ポチは元気よく鳴いて、私を先導するようにまっすぐ前に歩き出した。
ほう。なるほど。問題ないらしい。なんだか一人前の人間のようにポチを扱っているのも、何だか狂ってしまったような頭がおかしくなってきた気がするが、まあそうだとして今更だろう。
私はポチの後をついて行った。するとそれほど時間が経過することなく、まっすぐ行った先から煙が立ち上がっているのが見えた。思わずポチを通り越して走り出すと、ものの数分で村が見えてきた。予想外に近い。そう言えば、人間が地面に立った状態から見える地平線とかは、ほんの数キロくらいと聞いたことがある。と言うことは、今立っているここは少なくとも丸いらしい。
どこまでも水平とかの天国っぽさはないらしい。単なる惑星説が浮上してきた。まぁ、どこでもいいっちゃいいんだが。
そんなどうでもいいことを考えながらも走っていると、建物なんかも見えてきた。気がはやると同時に、後ろからウオーン! と言うけたたましい叫び声が聞こえた。
驚いて立ち止まって振り向く。ポチが吠えていた。いつの間にか、大きく離れてしまっている。振り向いた俺に、ポチはまた大きく一声鳴いてから、ダッシュで駆け寄ってきた。まぁまぁの距離だったのに、すぐにやってきた。
早い気がするが、しかし、だったらあんなに離れなくていいのに。さっさと追いついてこい。
「ポチ、何をとろとろしてるんですか。遅いですよ」
追いついてきたポチは、何だか不満げに足に軽く噛みついてきた。なんなんだ。
「やめなさい。おいていきますよ」
クゥン
素直にやめた。段々、普通に通じすぎて気持ち悪いな。いや、しかしここは生前とは違う世界なのだから、犬も人間と同じだけ知能があって、同じような人間扱いされている可能性もあるのか? まあ、とにかく、まずは人間に会いたい。
ポチを一撫でして、歩いて集落に近寄っていく。
徐々に近づくに連れ、建物があり、いくつか煙が上がっていて生活感があるのも見える。集落だろう建物らの周りを一周するように柵がある。どうやら入り口側ではないようで、柵に切れ目はない。
柵まで着いたら、周りをまわるか、それか柵を超えられないか、と考えていると、どうも様子がおかしい。柵のすぐ向こうと建物まで少し間があるようだが、なにやら人がこちら側に集まってきているようだ。
何か動いているかな? と思ったが、すぐにそれが人が集まっているのだとわかった。そして同時に、それら人間が、自分の思う人間と同じ形をしていたことに心底安堵した。少なくとも手足の数が違ったりして、見た目から全く違う生き物ではないらしい。
これなら、例え内臓やら中身が違うとしても、同じ人間として思える。
はやる気持ちを抑えて、不審に思われないように歩みを変えずに、私はそのまま近寄った。何やら村人たちは集まってじっとこちらを見ているようだ。
と言うか、普通に警戒されている様にしか見えない。男たちが集まって手に農具を持っていて、どいつも尋常ならざる顔つきだ。こちらは一応、葉っぱによる衣服を作成しているとはいえ、相手は服を着た文明人だ。警戒するのはしょうがない。
しかし、少なくとも私は今子供一人だ。何をそこまで警戒する必要があるのか。首をかしげつつも、とにかく警戒を解くため、練習した笑顔でこちらを無言で睨み付ける集団に柵越しに話しかけてみる。
「やぁ、みなさん、今日もいいお天気ですね」
「あ、あんた。何のつもりだ」
ん? 普通に言葉が通じたのはいいが、どうも、おかしいな。今私は、何語を話した? 自分の口から出だ言葉が、全く違う言語にダブって聞こえた。相手の言語は普通に理解できる母国語に聞こえているが……まぁ、いいか。不思議なことなんて、今更だ。
「何のつもり、とは何でしょう。実は道に迷ってしまったもので、おかしなところから参上いたしましたが、できれば今夜はいずこかで宿をお借りしたいと考えております」
「……その、狼はどういうつもりだ」
ん? なんか今、狼、のところでなんか、変な言葉がダブって聞こえたな。なんちゃらなんちゃら、みたいな長い名前っぽい種族名っぽいのが副音声みたいに聞こえたな。
なんかわからんが、私の脳みそで理解するときに翻訳される際に、なんかバグってるんだろ。種族名とかどうでもいいから無視しよう。
「この狼は私の連れで、ポチ、と申します。すこしばかり図体が大きいですが、おとなしいものですよ。ポチ、伏せ」
オン
すっかり馴染んでしまったが、ポチは大きくて、確かに初見だと恐いだろう。手で下に向けて示すと、隣のポチはすんなり伏せた。
その従順な様子に、おおぉ、と恐い顔をしていた男たちは声をあげた。
「本当に、この村に対して他意はないんだな?」
「もちろんです。ああ、衣服は道中、あまりに色々あったため、紛失しましたが、けして服を着ない文化と言う訳でもありません。できれば衣服など、分けていただけると幸いです。もちろん、お礼は致しますよ」
一応、森をさまよいながら、何かしら金銭の代わりになればと思い用意したものはある。夜はポチの為に休まなければいけないし、その間暇なのもあって、ポチに荷物を運ばせる籠までつくっている。枝をつたでまとめた箱をつくり、それをポチの背に括り付けたのだ。
そこには果物と、ポチに余分に狩らせた動物をいれている。くさらないよう、毎日新しいのを狩っては古いのを食べさせているので、まだ死後半日もたっていない。さすがに腐ってはいないだろう。
「……いいだろう、表に回れ」
どうやらまとめ役らしい男はそう言って、私を誘導するように歩き出した。




