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プロポーズ

「リョン、本当に、怒ってないのです。ただ、リョンに甘えて、リョンの人生を犠牲にさせていた自分が、なさけなく、腹立たしいのです」

「え、いや、何のことを言っているのかわからないのですけど」

「リョンも、とっくに結婚してもいい歳なのに、いつまでも私の母親役をさせるわけにはいかないでしょう? わかっていたのに、あと少し、とずるずる今日まで来てしまいました。リョンといるのが心地よくて、ずっと、を願ってしまいました」

「そ、そんなの、いいに決まってます。私、その、嬉しいです」


 リョンはいい子なので、きょとんとしてから普通に嬉しそうにはにかんでいる。その顔はとても可愛いが、本人に自覚があろうとなかろうと、事実として私が抑圧しているも同然なのだ。


「リョン、今までありがとうございました。リョンが結婚したいなら、そうすればいいのです」


 私は精一杯の理性で、ポチをワシワシ撫でてリョンから目をそらしてそう言った。

 尻尾を抱きしめる。もふもふとした昔とは違う自慢の綺麗な毛並みだが、しかしリョンのすべすべした肌と違ってなんだか物足りない。

 振り向いてポチを抱きしめる。重量感も温度も違う。以前はポチでも癒されたのに、リョンになれてしまうと物足りない。


 バウゥッ

「お、怒らないでください。私が悪かったです。ポチはポチで、よさがありますよ。知ってます」

 ワン!

「ちょ、ちょっと、私を置いてポチといい雰囲気にならないでください」

「いい雰囲気って、なんですか」


 ポチといい雰囲気もくそもあってたまるか。ただ頭では理解しているからリョンを遠ざけることを言ってはいるが、実際にめちゃくちゃ寂しいなと感じてしまってやっぱやめようと口から出そうなのを我慢するためにポチを撫でているだけだ。

 リョンはどこまでわかっているのか、むっとした顔でずいと座ったまますり寄ってきた。なれた甘い匂いがして、リョンにふらつきそうになるのをこらえる。


「とにかく、私は何も無理をしてお師匠様といるわけじゃありません。親子になるのだって、好きでやってるんです」

「ぽ、ポチがいるのに変なこと言わないでください」


 ポチの前ではリョンと負けず劣らずの情けないところばかり見せているが、それでもお母さんごっこはケタが違うだろう。恥ずかしい。

 だけど私の指摘に、リョンは白けたような顔になる。


「……ポチ、あなたのお師匠様への従順で献身的なところは尊敬しますし、大事な家族とも思っていますが、話がしにくいので出て行ってくれませんか?」

 ガウ!

「? 怒っているのですか?」

「あー、その、ポチ、別に私はリョンにいじめられているわけではありません。その、来てくれてありがとうございます。だけど、リョンとちゃんと話してみますから」

 クゥーン、バフゥ


 抱きしめるのをやめてなだめるように頭をぽんぽんしてドアを開けると、ポチは名残惜し気にして、リョンに対して鼻息をはいて威嚇してからででいった。

 元の席関係に戻ると、リョンはどこか呆れたようにため息をついた。


「……お師匠様は、結局ポチが一番好きなんですね」

「何を変なことを言ってるんですか」

「だって、ポチがいるから、私がいなくなっても平気だっていうんでしょう? だから、結婚しろ何て言うんでしょう?」


 その言葉に、むっとした。いなくなっても平気? どこを見て、そう思っているんだ。こんなにつらいのに、それでも、リョンのためならと思って言っているのに。

 本来は私の方が年上で、導かないといけない。そう思っていても、私はリョンに文句を言わずにはいられず口を開いてしまう。


「……平気なわけないでしょう。ですけど、リョンを不幸にはしたくないんです。リョンは結婚して子供をつくって、そう言う家庭をつくる幸せをのぞんでいるのでしょう? なら、私だけのお母さんでい続けてもらうことはできません。」


 私の言葉に、リョンは何かをこらえるように眉を寄せて、それから真剣な顔でまた私に近寄ってきた。


「……一つだけ、方法がありますよ」

「え?」


 二人きりに戻ったことで、またそのいい匂いに意識が奪われそうになってしまった。

 呆けたように聞き返す私に、くすりと大人のようにリョンは微笑む。


「私が、結婚して幸せになってもお師匠様のお母さんでいる方法です」

「え、そんな。いやでも、いやでしょう、あなたの結婚相手からしたら、妻が毎夜別の男のところに行くなんて」


 どんなにいい人で、私が子供扱いされるのをすべて了解したとして、こんな風に近い距離ではいられないだろう。だったらそんなの、私の方がつらい。


「同じ男ならいいじゃないですか」

「……ん? え、私ですか!? えー、あー、まあ確かに、その形ならリョンは結婚できて私はリョンといられますけど。私は、リョンには本当に好きな人と結婚してほしいんです。誰でもいいから結婚してほしいのではなくて」


 一瞬意味の分からなかった提案だが、要は私が結婚相手であれば別の男のところへ行くことにはならない。確かにそれなら、理屈ではわかるが、さすがに理屈で決めていいことではないだろう。

 だがそうリョンを説得しようとする私に、リョンは子供をたしなめるように苦笑して、そっと私の手を握って目を合わせた。


「本当に、なんにもわかってません。好きでもない人のお母さんになんて、なれるはずないじゃないですか」

「……」

「あなたが好きでたまらなくて、私が一番傍で幸せにしてあげたくてたまらないから、恋人や結婚でなくても親子でもいいって、そう思ってるだけです。結婚して一緒に幸せになりたい相手はあなたしかいません」

「……」


 そんなこと、考えもしなかった。リョンがどんな気持ちで、母親をしてくれていたのか。ただ単に、私への同情心や家族愛だと思っていた。

 私を、そんな風に思ってくれていたのか。


 それを知った私の心に浮かんだ感情は、喜びだった。私をそこまで思ってくれていた。私を好きで、だけど単なる恋愛感情だけではなく、幸せにしたいと、一緒に幸せになりたい相手だとまで思ってくれていたのだ。

 そんな風に私を思ってくれる人がいると言うだけでも嬉しいのに、それがリョンなのだ。いつだって心優しく、献身的に私を支えてくれて、仕事にも真面目で、柔らかくいい匂いがして、そんな、どこに出したって恥ずかしくないリョンなのだ。

 どうして嬉しくないことがあるだろう。


 だけどどうしてかとても気恥ずかしくて、かーっと体中の体温が上がっていく。


「あ、あ……ありがとう、ございます」

「……ふふ。可愛いです。照れてくれてるんですね」


 そう言ってリョンは軽く私を抱きしめてきた。それが、今までと同じ家族愛だけではないと知っただけで、なんだか体がかたくなってしまう。


「か、からかわないでください。こういうことには、慣れてないんです」

「嘘つき。ドゥーチェさんにプロポーズされたじゃないですか」

「何年前の話ですか。それに、その時とは、相手が違いますから……」


 ドゥーチェに言われた時も、義務だけじゃなくて好いていると言われて嬉しかった。それだけ立派な人と思われたわけだし、そもそも相手が誰であろうと好かれること自体悪い気はしないのだから当たり前だ。

 だけどその時は、当然断るつもりしかなかったのもあるし、距離感の近い相手でもなく現実味のない提案だった。


 それがリョンだと、ずっと一緒と言うのが簡単に想像できてしまう。そしてそれがどれだけ幸せなことが、十二分に理解できるのだ。嬉しさの質が違う。

 だが、それ以上に、あのリョンなのだ。よく見知ったリョン。私のすべてを知っているリョンに言われた。それはお母さんと呼び出した頃ほどに、何故か恥ずかしい。


「……お師匠様、私と結婚してくださいよ。幸せにしますから」

「う……嬉しい、ですけど、でも、そういうわけにはいきませんよ」

「え? この流れで断ります? 理由をおしえてください。私が嫌いですか?」

「そんな質問は、ありえないでしょう」

「じゃあ……女として見れませんか?」

「それは……そんなことは、ありません」


 リョンが立派な女性になっていることは、前から思っていた。母親として甘えている時は別として、昼間は意識が変わるしその体のぬくもりを知っているだけにわざと距離をとっているところもある。


「じゃあ、何でですか? 納得できないなら、諦められませんよ」


 ぎゅっと強く抱きしめてくるリョンに、抵抗できないまま私は自分の思いをまとめる。



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