リョン
こうして北へやってきて、一か月がたつころには早くも山のふもとまでの道はできた。
あとは拠点となる程度に平地を広げるだけだ。
と言っても、まだ道は雪を硬く踏みしめる必要がある。先にそちらをした方がいいかもしれない。とりあえずいったん領主のデミドスに判断を仰いでもいいだろう。
一度夕食で戻っている時に調子はどうかと聞かれて順調と答えた以外、なんの確認もしていない。今日は久しぶりに早めに戻って、ゆっくり食事をとって休んでもいいかもしれない。
ポチのやつも、そろそろ私に風呂に入れてもらいたがっている頃だろう。
今日は晴れていて、太陽の位置でだいたいの時間はわかる。まだ夕方にも早い、午後三時と言ったところだろう。
「おや、聖者様。おかえりなさい。今日はお早いお帰りですね」
「はい、ただいま戻りました。今日は区切りがついたもので」
機嫌よく戻り、街の入り口で見張りをしている顔見知りの兵にも挨拶をする。
「いつもの場所に抜いた木はまとめていますから」
「ありがとうございます。今日もお疲れ様です。ゆっくりされてください」
うんうん。いい感じだ。この街にも馴染んできた気がする。最初のころは遠巻きにされていたが、やはりきちんと頑張って貢献していれば、それは人に伝わるのだ。
そうして街に入り、門から一番奥の領主館へ向かう。そう言えば、いつも一直線で街の中をみて回ったこともなかった。普段ならともかく、今日はリョンを待たせているわけでもない。たまには遠回りもいいだろう。
商店街らしき人通りの多い道を通ってみる。昼間でも悪天候だと店が開いていないこともあるらしいが、今日はいい天気なので開いているし、思っていた以上に人の活気がある。
そう言えばそれを教えてくれたリョンは日々商店で買い物をしていると言っていたので、もしかして今もいるかもしれない。もしばったり会ったら驚くだろう。
きょろりと周りを見渡してみる。
「お」
見つけた。まさにベストタイミングだ。ポチといるときは注目されるが、逆にポチばかりに目が行くからか、私のことを聖人として認識している人はいないようだ。
普通に近寄っていき、そろそろ声を上げれば届く距離にきた。
「り」
「おーい、リョンちゃん! 今日はいい肉はいってるよ!」
声をかけようとして、ちょうど道行くリョンを店先の男が呼び止めた。リョンも普通に近寄って会話しだしたので、常連なのだろうか。リョンもすっかりこの街に馴染んだのだな、と嬉しくなりながら、邪魔をしてもあれなので声をかけないままさらに近寄る。
「はい、おつりな。毎日すごい量で大変だな。聖獣様の世話も」
「ポチは体が大きいですからね。でもとても頼りになりますよ」
どうやらポチは街の人間から聖獣と呼ばれているらしい? まじか? どこが? まあ、普通より賢いようだし、聖人が連れているからと言えばおかしくもないか。少なくとも死神と恐れられているよりいい。
「働き者だな。聖人様の仕事が終わったら帰っちまうんだろ? なんなら家に嫁に来ないか?」
「いえいえ、遠慮します」
……ただの、軽口だ。お互いに本気でもない。そうわかっていても、とても不快な気分になった。
「リョン」
「え、あ、お師匠様! 今日は早かったんですね!」
「ええ、きりがいいところまでいったので。ちょうどリョンの姿が見えたのですが、今から帰るところですか? 荷物をもちますよ」
「はい! じゃあ、半分だけお願いします!」
大人げないとわかっていたが、声をかけて一緒に帰ることにした。肉屋の男は私が聖人であることに驚いたようだったが、またご贔屓に! とからりと笑って声をかけてきたので会釈した。
大事なリョンに声をかけてきておいて、あの態度だ。全く本気ではなく、友好の意だけだったのだろう。だけどそれは何故か余計に腹立たしい。何を軽い気持ちで嫁などと言っているのだ。軽口で言っていい内容ではない。
「お師匠様。きりがいいところって、どのくらいですか? 開拓はあとどのくらいかかるんですかね」
「……」
「お師匠様?」
「ん、はい。まぁ、ちょうど道ができたところです」
「えっ、できたって、もうですか!? え、すごい! さすがお師匠様!」
「ま、まぁ……」
リョンは無邪気に、いつも通りキラキラした目を向けてくる。その目が、どうしてかまぶしく感じられて目をそらした。
それからリョンと久しぶりに一緒に夕食をつくって、ポチを風呂に入れた。ポチはここのところ随分聞き分けがよく過ごしていたようだが、やはり我慢をしていたようで、風呂場でははしゃいで暴れた。
作業についてデミドスに尋ねたところ、まず速さを称賛されてから、明日確認をしてから方針を決めたいので、明日はゆっくりしてくれとのことだった。
ここまで来たら半分は終わったようなものだ。ゆっくりやっても、もう数か月で終わるだろう。慌てることはないので了承した。
「明日のお休みは、どうされるんですか?」
「そうですね。街を見て回るくらいですかね」
「じゃあ、私、案内しますよ」
「お願いします」
実質ポチの部屋となっている、私にあてがわれた部屋でポチに足を軽くかみつかれながらリョンとゆっくり話した。
この街での過ごし方、馴染んできたけれどやっぱり寒いのが大変だとか、この館の人にもよくしてもらっているとか、食事の時間だけでは言い足りなかったことをたくさん話すリョンをみていると、もう少し早く休みをつくればよかったと反省した。
リョンも早く帰りたいだろうと頑張っていたが、ポチがいるとはいえ見知らぬ場所に一人なのだ。生活に不自由ないとはいえ、心許せる相手との触れ合いが足りなかったのだろう。
「寂しい思いをさせてすみませんね」
「いえ、そんな。お師匠様は頑張っておられるんですから。大丈夫です」
ワン!
ポチが急に吠えて自己主張したかと思うと、元気いっぱいに私のベッドにもぐりこんだ。そしてぽんぽんと前足で布団をたたいて催促してくる。そろそろ寝る時間だよ! と言いたいらしい。
「はいはい」
「じゃあお師匠様、私も部屋に戻りますね」
「ああ、はい」
リョンが立ち上がり、扉を開けてから再度こちらに振り向いて微笑む。
「それでは、おやすみなさい、お師匠様」
「……」
「?」
「あ、いえ……おやすみなさい」
「はい」
ボーっとしてしまった。リョンが当たり前に部屋から出ていくのが、もうずっと領地でもそうなのに、なんだか寂しく感じられてしまった。
リョンは私の返事に笑顔になってからドアを閉め
「リョン」
「え、はい。なんですか」
再度、ドアが開く。
「あぁ、いえ……なんでもありません」
意味なんてなかった。ただ、閉じる扉が、妙に嫌で、引き留めてしまった。何をやっているんだ、私は。今日は少し感傷的すぎる。
だいたい、昼間のあれだって、あんなに怒ることはなかった。ただの軽口だし、そうでなくて本気だったとして、私にとめるような資格はないのだから。
「すみません。本当に、何でもありません。おやすみなさい」
「……はい。あの、お師匠様。今夜はここで寝てもいいですか?」
「え、いや、もうリョンも大人ですから」
「でも、お師匠様の弟子ですよ」
え、それは何も関係がないのでは? と思ったが、堂々と言われたのでよくわからなくて了承してしまった。




