姉弟
橋は見事に流されたようで、それぞれの両側にある根っこしかなかった。それほど大きな川ではない。吊り橋だったようだが、どうやら再建できないのはまだ川の嵩と勢いが強く向こう岸へ渡れず、かつ反対側から誰も直そうと人員が来ていないため、とりあえずこちら側で準備をしていることしかできない状況だったからのようだ。
そうとなれば話は早い。ポチにのせて強引に向こう岸に運び、力技で手伝いってさっさと完成させた。すでにパーツはほぼ完成していたのが大きいが、一日で終わった。
とても感謝され、是非お礼を、と言われたが、予定通り次の村へ向かうことにする。基本的に自分が一度決めたことは貫きたいタイプなのだ。
「ふ、ふふ」
しかし、今回は非常に聖人ぽかったのではないだろうか。これはこの体が成人するころには、見るからに徳の高そうな聖人になっている可能性もあるのでは? 成人だけに。
順調な旅路に、思わず声がもれてしまった。そんな私に、ポチはちらちら見てきて、まるで何か言いたげな顔をしている。何を言ってきたところで通じないが、本当に人間のように表情豊かなやつだ。
「ん?」
そうして進んでいくと、道が二手に分かれていた。そういえば、村長からこのあたりの地理は聞いていた。どちらかがより都会への道のはずだが、どっちだったか。
見たところ、道の人通りはそう変わりなさそうだ。
「ポチ、どちらへ行くのがいいと思いますか?」
フーン
ポチは迷うように二つの道に鼻先を近づけて匂いを嗅いでから、右手側に座って一鳴きした。
「なるほど。では左に進みますか」
ワォン!?
「ポチの意見はわかりましたが、理由がわかりませんし、なんとなくこっちにします」
ワフゥン
別にポチの行く道でもいいのだけど、若干どや顔だったのもあり、反対側に行くことにした。
人口が多いほど、困っている人もいるだろうから、できれば都会がいいのだが。さて、どうなるか。
とそうして進んだ先の村で聞いたところ逆だったらしいが、ポチの視線がうっとうしいので計算通りということにしておいた。
まあ、いずれは都会にもつくだろう。
とのんびり構え、さらに一年、村をまわる行商兼善行の旅をつづけすっかりこの世界に馴染んできたある日、私は立ち寄った村で思いもよらない提案を受けた。
「どうか、お願いします!」
頭をさげているのは、小学校に上がるかあがらないかくらいの少女だ。その横で手を繋いでいるのはそれより小さい、多分3歳くらいの幼児だ。
この姉弟、数か月前に事故で両親を亡くしたらしい。それだけなら珍しい話ではないだろうが、この村は貧しく他所の子を引き取る余裕どころか、実の子すら売りに出すことすらあるほどだった。とはいえ、大したことができるわけもなく、ほそぼそと貯蓄を食いつぶして、最近では野草ばかり食べているという話だった。
そんな中、久しぶりに表れた行商人である私に、自分を買ってほしい。と言い出したのがこの流れだ。
奇異に思われないよう、少しずつ情報収集を続け、常識的なことは把握しているつもりだ。奴隷商も大きな街には存在するし、違法ではないことはわかっている。
だから自分を売りたいのだろうが、この小さな村からでなければ、買い手がなければどうにもならない。だからこそ待っていたのだろう。
奴隷商はしていないと言って断る子供の姿の私に、それでもと縋りついてきた。
「わかりました。ひとまず、ついてきなさい」
「え? ま、街まで連れて行ってくれるってことですか?」
「馬鹿を言ってはいけません。私は人買いも斡旋もしません。ですが、置いていったところで死ぬだけの命なら、私が拾いましょう。仕事の手伝いとして雇う、と言う形が一番わかりやすいですかね。食事の世話くらいはしてあげます」
「あ、ありがとうございます! ヨータもお礼を言って」
「あーがとおざいあす!」
と言うことで、まあ大きな街について孤児院などの預け先があったり、養子として引き取りたいと言う物好きがいれば渡せばいいし、とりあえず世話を見てやることにした。
食べ物だけならどうとでもなる。それに何より、この姉はがりがりだが、弟はまだましな体つきだ。自分より小さな弟を優先する。
それはもしかして、私よりよっぽど聖人に近い心なのかもしれない。だから最初から、戸惑いはしても、見捨てると言う発想はなかった。
「あ、あの、セージィ様。お手伝いは、何をすればいいんですか? なんでも言ってです」
セージィ様、か。セージィと名乗って久しく、そう呼ばれること自体には慣れたけれど、それもあくまでその場限りの関係の仮名として思っていた。
いつまでかはともかく、一緒に生活する相手にずっと呼ばれると思うと、少し抵抗がある。しかし今更別の名前を用意するのも億劫だ。
何か、適当な呼び名で、かつ自然にそう呼ばせるものはないものか。
「……そうですね。そうは言っても、基本的には商人の真似ごとをしているだけですから、そう厳しいものではありません。そう、身内の、弟子のようなものだと思ってください」
「弟子、ですか?」
「はい。私のことは、師匠とでも呼んでください」
「わ、わかったです。お師匠様」
「おししょーさま」
これでいいだろう。どうせ、大した仕事はない。ポチが狩ってくるか、果物をとるだけだ。最近は物々交換したものも売っているが、管理がいるものでもない。
移動も基本的にポチにひかせる荷車にのせればいいだろう。歩かせたって遅いだけだ。かしこまって緊張され続けたら、こちらまで肩が凝ってしまう。
「それで、なにをすればいいですか?」
「まあ、とりあえずリンゴでも食べてゆっくりしてください。体が万全になるまで、休むのも仕事ですよ」
「リンゴ!? やったー」
「こ、こらヨータ!」
「かまいません。おなかが減っているなら、それが自然なことですよ」
少しにぎやかになった旅路に、知らずに笑みが漏れた。
こうして姉のリョンとヨータと旅をすることになった。最初こと物怖じしていたヨータも、食べ物を与えて微笑みかければすぐになついて、少し舌ったらずにお師匠様お師匠様と隣によってきた。
その態度は、姉に愛されているからできる甘え方なのだろうと思うと複雑な気持ちがなくなかったが、自分がそんな信頼しているのだと心から示すような目を向けられ、手をのばされると、不思議と穏やかな気持ちでその手をとれた。
リョンはまだ幼いのにしっかりと敬語をつかう。出会ってすぐはまだつたなかったが、村を回って村長らと話すのに立ち会ったりしているうちに普通に話すようになった。
何一つ指示していないのに、ポチの獲物の皮をはいだり、簡単にだが旅の途中でも料理をしたり、交渉の際には弟子らしい私をたてた態度で代弁したりしだした。
思わぬ拾い物をしたものだ。金銭度外視で善行をするのにも、なにも疑問に思わないのか、普通に手伝ってくれる。
善行は私のためなので手伝ってもらう必要はないが、かゆいところに手が届くような気の使い方で、邪魔になったりすることはなかった。
「お師匠様! 魚がやけました!」
「美味しそう!」
「こらヨータ! お師匠様が先だよ!」
「お師匠様、僕、もう待てない、食べていい? いいでしょ?」
「ヨータ!」
「喧嘩をしない。順番なんていいから、おなかが減っているなら食べなさい」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに食べるヨータと、それに少し眉を寄せながらもヨータを優しく見守るリョン。
そんなお互いを思いやる姿を見ると、この二人の笑顔は私が守ったのだ。これはとてつもない善行なのだ、と自分が聖人に近づいた実感がわき、嬉しくなった。
少しだけ胸の奥でくすぶる感情は、見なかったことにする。それにももう慣れた。
この二人を拾ってもう三か月だ。この二人の存在にも、ずっと聖人として振る舞うのにもなれた。拾ってよかったと今は素直に思える。いつかこの二人が立派になり手元からいなくなる時には、誰にも胸をはれる聖人になれるのだろうと、そう確信できた。




