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仮想都市の警察官~実像のない東京と、感情のない少女~  作者: 奈良ひさぎ
第1章:感情のない少女 -Emotionless Girl-
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9MB 実像のない東京と、感情のない少女

「虚構世界の、構築……?」


 そう聞いたのはいいが、オレは全然ピンと来ていなかった。


「虚構……って、存在しないってことかよ」

「まさに、その通りだ。今現在の東京は単なる虚構世界に過ぎない。有り体に言えば、幻想だ」


 ヤツはまた別の画面を開いた。何やらパスワードを入力した後、本人認証のための間が少しあって、それから大量の情報が画面になだれ込んできた。


「実はもう何十年も前から、虚構世界の研究は進んでいた。虚構世界には私たちが想像もし得ないようなメリットが存在する。体力を消耗する、という概念がなくなることも、その一つだ」

「体力が消耗、しない?」


 それに関しては、オレは明確に疑問を持つことができた。オレはさっきあの金属の塊から逃げた時、息が切れてその場に倒れそうだったのだ。あれが体力を消費していないと、言えるはずはない。


「一方で虚構世界に住む人間はごく普通に、日常生活を送ることができる。そうした虚構世界の研究は集大成を迎え、関係者の間ではいよいよ虚構世界の実現かと言われていた。滑稽な話だがな」


 何が滑稽なのか、オレは一瞬考えてしまった。幸いすぐに分かったが、その一瞬の間のオレの表情を読んでヤツが言った。


「虚構世界の実現、その矛盾に思える計画はすでに水面下で進んでいた。東京を第一の実験地として、地下施設から徐々に仮想空間に置き換える、という計画だった」


 しかし物事には常に想定外がつきものだ、とヤツは言った。


「現実を仮想空間に置き換える際には細心の注意を払わねばならない。現実にあるものが虚構世界で存在を認められることはない。実験器具だろうと食糧だろうと、果ては人間だろうと、虚構という概念の前には無力で、あっさりと消え去ってしまう。それだけに、細心の注意を払う必要があった」


 正直に言えばヤツの言い方は難解すぎて、オレは半分も理解できていなかった。虚構がどうのこうの、と言われても、初めて聞いたオレにとってはピンと来ることさえ許されないらしかった。だが、


「払う必要があった……ってことは、今は違うのか」

「そうだ。研究者たちが非常に慎重に取り扱ってはいたんだが、暴発した。その結果があの惨事だ。実験地と設定した東京全域に、一気に虚構の概念が広がった。東京という都市自体が、"存在してはいけない"ものになった」


 ピンとは来ていなかったが、どうやら昔の東京と今の東京は根本的なところで何かが違うらしい、ということは分かった。そのことをヤツに言うと、例のように少し口角を上げて言った。


「大雑把に言えば、そういうことだ。まあ当時の東京が"現実"だったからあれほどの惨事になっただけで、"虚構"となってからの東京にとって、復興するのは非常に簡単だったし、東京に住む人を対応させるのもまた然りだったようだ」

「住む人を、対応させる?」

「東京都民にはすでに何らかの形で、虚構化の実験を行っていることが公表されていた。もちろんそのリスクもな。あの惨事を見越して東京から避難した連中が東京に戻ってくる際に虚構世界で暮らせるよう、対応させたというわけだ。もちろんお前にも、その処置は施されている」


 そう言うとヤツはおもむろに立ち上がって、お菓子をいくつか入れてある棚を勝手にあさった。個包装のバウムクーヘンを一つ取って、オレによこしてきた。


「は?」

「食べてみろ」

「はあ……」


 オレは言われた通りバウムクーヘンを口にした。何の変哲もない味。ほんのりした甘みが口じゅうに広がる。


「今の行為に、特殊性を感じたか? 地元にいた頃と比べて、何か変わったことはあったかという意味だ」

「いや、ないけど」

「そういうことだ。虚構世界でも普通の暮らしができるように、東京に入ってくる人間には処置がされている」

「へえ……」


 オレはバウムクーヘンの袋を捨てるついでに、ふと時計を見た。午前11時12分。


「あ……」


 オレは重要なことを思い出した。何を隠そう、オレは仕事中のはずではないか。金属の塊に追いかけられたり、東京が虚構だと訳の分からん説明をされたりで思考が追いついていなかったが、よくよく思い出せば警視庁本部に行った帰りだった。

 オレは慌てて家を飛び出した。



 交番に着いてすぐに分かったのだが、警視総監との面会は午前いっぱいということで時間が取られていたらしく、実質的な勤務は午後からだった。それを知って、オレはほっとすると同時に執務机に突っ伏したのだった。



* * *



 その夜。

 オレは晩飯を作っていた。といっても野菜炒めをタレを変えて適当に作っているだけで、しかもここ一週間くらいずっと野菜炒めだ。それでも別に飽きていないし、特に他のメニューを考えようという気にもならなかった。

 そしてヤツはというと、その合間にシャワーを浴びていた。オレが帰ってきてすぐに脱衣所へ向かってしまった。荷物を置いて少しくつろいでみると、脱衣所の方から服をさっさと脱ぐ音が聞こえた。どうやら警戒心のかけらもないらしい。むしろこっちがビビってばかりだ。


「あいつ、しばらくここにいるって……いつまでいる気なんだ」

「私の記憶が戻れば、だ。はっきりと覚えているのは私が新東京政府の理事だということだけで、他は極めてぼんやりとしている。そんな状態ではどのみち、理事は務まらんからな」


 いつの間にかヤツが服を着て、ひょっこり脱衣所から顔を出していた。すでに服を着ていることに、オレはひどく安心していることに気づいた。


「それ、半永久的ってことかよ」

「そうとも言う。ただ、記憶喪失が永遠に続くことはまずない。本人さえ予想だにしないタイミングで全て思い出すということは、十分あり得る」


 ヤツはてこてことこちらの方にやってきて、オレが菜箸を動かすのをしばらく目で追っていた。

 ヤツは昨日と同じく、オレが貸した服を着ていた。やはりオレの服ではサイズが大きすぎたようで、袖をまくってみたり戻したり、落ち着かないふうだった。それを見てオレはふと、思い出した。


「そういえば」

「何だ?」

「今日着てたあの服、制服みたいな感じだったけど」

「あれか。あれは新東京政府にいた頃の、私の正装だ。私は基本、あれしか持っていない」


 まあ複製くらいならすぐできるから、ここに来てから色違いはいくつか作ったが、とヤツは付け加えた。


「なんだ、複数持ってんのか」

「私の服の心配をしている場合か? 焦げそうだぞ」

「うおっ」


 すっかりヤツの方に気を取られて、少々フライパンから煙が上がっていた。幸いちょっとキャベツを端によければ大丈夫だったので、そのまま盛りつけた。


「ほい」


 ヤツの分のご飯をよそって茶碗を渡すと、しばらくヤツはオレの方をじっと見つめて、それから表情を一切変えずに受け取った。


「素直にありがとうとか言やあいいのに」

「すまない」


 腹が減っていたのか、ヤツはオレよりたくさん野菜炒めを頬張りながら、そう言った。


「分かればいいんだよ。オレはまだ認める気はないけど、いつまでここにいるか分からねえんだろ?」

「そういうことではない」

「……は?」


 じゃあどういうことだよ、とオレが言おうとしたのを、続くヤツの言葉がさえぎった。


「私には感情というものがないらしい。私が記憶喪失だと言ったな? だがどうやら、他にも忘れ物はあったようだ」


 返すべき言葉が見つからなかった。感情がない、という意味は分かるが、そんな人が目の前にいることが、にわかには信じがたかった。


「さっきも感謝するべき、喜ぶべき場面であることは理解したんだがな。そこからそれをどう表現するのかは分からなかった。場面を理解しているあたり、元から感情を持ち合わせていなかったわけではないと思うんだが」

「それは、そうかもしれないけど」


 ヤツと会ってから丸一日。オレは事あるごとにヤツが浮かべていた、人をバカにするような表情が頭をよぎっていた。言われてみれば、ヤツは喜ぶとか悲しむとか、普通の人がしそうな仕草をしていなかった気がする。


「記憶も取り戻すべきものであるのは間違いない。ただ、私にあったのだろう感情を取り戻すのも、課題だと思っている。むしろそちらの方が優先かもしれない」


 それだけ言うと、ヤツはオレと目を合わせることもなく黙々と野菜炒めを頬張るのを再開した。

 傍目から見ればとても会ってから一日とは思えない距離の近さだっただろう。だが、オレがヤツの素性の大半を知らないという状況は、やはり変わっていなかった。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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