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仮想都市の警察官~実像のない東京と、感情のない少女~  作者: 奈良ひさぎ
第1章:感情のない少女 -Emotionless Girl-
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8MB 『2120東京大事変』

「……っ」

「はあ、はぁ……っ」


 ずいぶん走った。オレたちの方からはすっかり、あの金属の塊が見えないところまで来た。オレは息が切れて、建物の陰で立ったまま休むのがやっとの状態だった。


「なんなんだよ、あれ……」

「……あれが、今の東京だ」


 どういう意味かとヤツの顔をうかがったが、無表情そのものだった。


「むしろこれまで、あれに遭遇してこなかったということの方が、私には信じられない。念のため聞くが、あれが何なのか、本当に知らないのか?」

「……ああ。全く」


 そこまで言われると知っているが忘れているだけ、という可能性を考えて、記憶を掘り起こしたが、やはり心当たりはなかった。

 逆にあれが何か分かるのかよ、とオレがヤツに聞こうとした、その時だった。


「なぜあの時すぐに逃げなかった? あれがお前の身の安全を脅かすことくらい、分かるだろう」


 至って冷静にそう言いながら、ヤツがオレの胸ぐらをつかんできた。オレに対してヤツの背丈は小さくて、とても胸ぐらとは言えないくらい下の方をつかんでいたが、しかしヤツの目には確かに、怒りが宿っていた。


「……それは」

「お前が警察官で、並の人間相手に武術で優位に立てることは理解している。しかしあれは違う。本能的に、歯が立たないと理解すべき相手だ。なぜそれをすぐに判断できなかった?」

「……」


 オレはそう言われて、悔しさを覚えていた。警察学校で凄まじくでかい声で教官に怒鳴られた、その時が思い出されるようだった。教官は怒鳴りはしていたが、どれもオレのミスだとはっきり分かるものだったし、そのことを丁寧に教えられた。だからこそあの時、悔しい思いをしたのだ。


「……お前は今の東京を、ここにいる誰よりも理解していない。知らないということがいかに恐ろしいか、よく覚えておくんだな」


 しばらくヤツはオレをにらんだ後、そう言ってつかつかと歩き始めた。


「どこ、行くんだよ」

「家に戻ろう。経緯を一から説明するには、それ相応の情報源を参照することが必要だ」


 あの金属の塊が何かを説明するのが、そんなにややこしいことなのか。オレはそう思ったが、確かにロボットでも機械でもないとしか分からなかったあれは、オレの想像以上に複雑なものなのかもしれない。

 オレはヤツの言葉に従おうとしたが、ふと気づいた。


「おい。今しれっと言ったけどオレの家だよな? 勝手知ったるみたいな感じで言うな……」

「あれの正体が分からないままでいいのか? それから、ここのことも?」

「ぐ……」


 オレは一瞬で言いくるめられてしまった。



* * *



「……さあ」


 家に着くなり、ヤツはオレのベッドを陣取って腕に内蔵された端末の準備を始めた。結局オレの家に戻りたかっただけで、話すだけならどこでもできたらしい、とオレはようやく悟った。

 ほどなくしてヤツが部屋の壁に端末の画面を映し出した。百科事典のように様々な言葉について解説記事が載っているサイトだった。タイトルは『2120東京大事変』。


「お前はこの事件のことを知っているか?」

「……さすがに。まだ実家にいた頃だけど、しばらくはずっとそのニュースばっかり聞いてたな」

「あの当時のメディアは良くも悪くも、見事に脚色してこの事件のことを伝えてくれた。当時の光景を目の当たりにしてなお生きている者はそういないが、この記事は信用に足る。なぜなら、これを書いたのが私だからだ」

「え? でも……」


 少なくともオレが見たニュース映像が事実なら、あの事件に巻き込まれて生き延びた人などいないはずだった。それは確かにヤツの言う通りだと思ったが、ならどうしてヤツは生き延びているのか。


「実際の映像を見てもらおうか」


 ヤツはそう言うと、トントン、と右腕を軽く左の人差し指でつついた。すると壁に映し出された画面も変わって、動画が流れ始めた。


「これ……」


 嫌というほど思い出した。針金のように簡単に折れ曲がる街路樹。積み木崩しのようにバラバラとほどけてゆく高層ビル群。アスファルトは次々めくれあがり、一瞬の後には既に事切れた人たちが辺り一面に転がっていた。

 オレにはその映像を全て見ることはできなかった。耐え切れなくなって、思わず目を背けた。それを見てヤツが再び記事の方に画面を戻した。


「見ての通り東京は一瞬にして、世界でも有数の廃墟と化した。東京の人口は一時的に、ゼロになった。……いや、」

「いや?」

「何でもない。話を続けよう。2124年現在、日本の首都がどこにあるか知っているか?」

「……横浜」

「そうだ。あの事件で首都の機能はおろか、人が住む場所という意義さえ失った東京は、すぐに見捨てられた。お前が見たニュースでは、こう言ってはいなかったか? 『ある程度復興し一般人の立ち入りができるようになるまでには、十年はかかる』と」

「確かに、そう言ってた気がする」

「しかし実際にかかった期間は、たったの二年だ。短すぎるとは思わないか? お前がニュースで見たあの映像は事実だというのに。いや、……」

「いや?」

「気にするな」


 二年というのは、確かに短すぎる気がした。完全に元の姿を取り戻した東京は、当時はニュースになった。けれど一ヶ月、いや二週間もすれば”東京が元に戻っていること”が当たり前になって、何も言われなくなってしまったのだろう。例えば有名人のいざこざやスキャンダルだって、そうやって気が付けば何も言われなくなっている。


「二年というのは、あまりにもおかしい。バラバラになったあの高層ビル群を全部元通りに建て直そうと思えば、どうやっても五年はかかる。ならば、この二年の間に何が起こったのか。お前には分かるか?」


 ヤツはオレにそう尋ねつつ、別の記事を見せた。どうやらハナからオレの返答は期待していなかったらしい。新しく現れた記事のタイトルは、『ノーベル物理学賞の受賞者一覧』。


「ノーベル賞? それがどう関係あるっていうんだよ」

「二一二二年、すなわち昨年のノーベル物理学賞。覚えているか?」


 そこまで聞いて、オレはようやく頭の中にぼんやりとしたイメージがわいてきた。そういえば、よく分からないことを偉そうに説明する番組がいくつもあった気がする。それから、少し小太りの大学教授の会見の様子も何となく思い出した。


「その道の学者たちに、科学の大進歩とも謳われた実績だ。もっと金があれば五十年前には完成していたと言われてもいるがな」


 そこまで言って、ヤツはニヤリ、と口角を上げた。もう見慣れた、お決まりの顔というやつだ。そしてヤツは画面に大きく筆記体の「i」を書いてみせ、オレを試すかのような視線で言った。



「虚構世界の構築と、その運用。――それが、昨年のノーベル物理学賞で認められた業績だ」

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