65MB 実像のある東京と、感情のある少女
「はると」
「ん?」
「今夜、特に予定とかない?」
「ん。まあ、たぶん」
「今日はちょっと……その、考えといて?」
恥ずかしそうにもじもじして、のぞみがつぶやく。オレはその意味を察して返事をする。
「分かった。覚えとく」
オレはクレイスを抱えて、のぞみと並んで街を歩いていた。あの日から一年近くが経って、再び春が戻ってきた。
東京が確かに現実世界に戻り、首都に返り咲いたということは、山手線や新幹線が動いている情報を見てすぐに分かった。テレビをつけると速報で円さんと松平が逮捕された、と伝えていた。松平はともかく、円さんの容疑は政府の人たちに危害を加えた、というもの。900万人を殺害した、という話はどこの局もしていなかった。
それから、2120年の東京大事変からこれまでの出来事はなかったことになっていた。街の人に聞いても、のぞみに聞いても何のことかさっぱり、と返されるだけだった。オレのように直接虚構世界に関わった人はともかく、無関係の人たちはその四年間を何か別の平穏な記憶で埋め合わせされたらしかった。
東京大事変に巻き込まれて亡くなった、とされていた900万人も、何事もなかったかのように生きているらしい。オレが東京に来たばかりの頃と比べて、明らかにあちこちを行き交う人が増えていた。
「とりあえず、どっかで昼にしようぜ。何が食べたい?」
「んー。あ、あそこのトンカツ屋さんとかどう?」
「いいな。あそこにするか」
オレはこれまで通り、警視庁所属の一警察官として交番で働いている。今までとは違う、地域の安全を守るための仕事の数々。初めこそ戸惑ったが、すぐに慣れて今ではこれこそ警察官だ、と安心感さえ覚えている。職場には山内さんや、他の同僚たちもいる。ただし、オレとは全く違う記憶を持って。
「もうすぐやなあ、一年」
「まあな。一年かけても、全然方言直ってないけどな」
「それはええの。私が全部標準語やったら、個性消えた感じで嫌やん」
東京が無事元に戻ったのをきっかけに、オレはのぞみのもとへ行き、思い切ってのぞみに頭を下げた。どうしても東京に来て、結婚してほしいと。のぞみは即答だった。次の日には辞めると上司に伝えて、それから一ヶ月の間に仕事の引き継ぎや引越しの準備など全て終わらせて上京してきてくれた。仕事を辞めてまでオレと一緒に生きることを選んでくれたのぞみには、感謝してもしきれない。
「ごめんな、今日はのぞみを連れ回してるみたいになって」
「別にかまへんよ、トンカツおごってくれたら」
「おおえっ⁉︎」
のぞみの気の強いところは、相変わらずだが。
今日は休みをとって、クレイスを公園に連れて行き遊ばせる予定だった。オレが仕事で家を出ようとするたびクレイスが興奮するのだ。毎度毎度そんな様子なので、さすがに外に連れて行ってやるべきかと思っていた。
クレイスを飼うことをのぞみは特にとがめなかった。オレが一人暮らしで寂しいから飼い始めたと思っているらしい。それで構わない。実際どこか寂しくて、心にぽっかり穴が空いたような感じなのだから。
「猫って外で遊ぶんやな。知らんかった」
「え? マジで? だって犬が遊ぶところってあるだろ、ドッグランだっけ」
「それは犬の話やん。猫って室内で丸まってのんびりするのが普通、ってイメージやったし」
「まあ……それはあるか。でも活動的な猫もいっぱいいるんだろ。猫専用のこんな公園があるくらいなんだし」
この一年、オレはあの手この手を使って凛紗を探した。しかし人の集まる場所にそれっぽい姿が現れることはなかった。それどころか、戸籍にも登録されていないらしかった。存在しない人間という扱いをされていて、オレにはそれ以上どうしようもなかった。
ついにはのぞみに隠れて凛紗を探していたことがばれて、幼女をつけ回そうとしているとあらぬ疑いをかけられた。実際全部間違っているかと言われればそうでもないのだが、のぞみにそんな変態に思われるのが嫌で、オレは全部隠さずに凛紗のことを話した。
「その凛紗、っていう子。どこに行ったんやろね」
「うーん……手がかりもないからな。どうしようもなくて」
凛紗は当時の亜凛紗の記憶を受け継いだ大切な存在だ、ということをオレが強調すると、理屈はともかく納得してくれてオレの疑いは晴れた。それから、もしも凛紗に引き取り手がいないようならうちに来てもいい、とまでのぞみは言ってくれた。
「……せめて、生きてるか死んでるかだけでも分かればいいんだけどな」
夕方になって、帰り道を歩くオレたちの間にはしんみりとした空気が流れていた。生きてるか死んでるかだけでも分かれば、とは言ったが。実際死んでいたらそれはそれで、あの時手を離してしまったことを思い出しては後悔するのだろうと思った。それなら――
「よーどがーわくんっ」
背後から声がした。確実にどこかで聞いたことのある、女の人の声。
「誰、この女」
オレより先にのぞみがその姿を確認して、声を一段低くして言った。オレも遅れて振り向く。
「伊達さん……?」
「久しぶり。あ、のぞみさんね。淀川くんの同僚の伊達と申します。どうぞよろしく」
「はあ……よろしく……」
のぞみの態度をものともしない明るさに気圧されたか、のぞみはあっという間に萎縮していた。そして伊達さんは近くの木陰を指差す。
「来てくれる? 見せたいものがあるのよ」
嬉しそうに言う伊達さんにオレたちはついていく。その木陰にはベンチがあって、クレープを手に談笑する少年少女のペアがいた。二人の姿が小さいながら見え始めた頃には、オレは驚きで腰が抜けそうになった。
「お、ヨドじゃないか。久しいな」
「凛紗……?」
「おいおい、ボクは? ボクにはコメントなしなの?」
間違いなく、凛紗とバティスタだった。二人ともカジュアルな格好をしていた。特に凛紗の珍しい私服姿を見て、オレは別の意味でドキドキした。
「凛紗……生きてた、のか……」
「当たり前だ。ヨドに手を離された程度で死にはしないさ。まあ、意識は飛んだがな」
あの日のことを、凛紗は軽く笑い飛ばす。それから隣に座るバティスタと手に持つクレープを交換して、大事そうに食べ進めた。
「この一年、どこで何を」
「行くあてもないから玲のところに居候していた。気づかれないようにヨドを観察していたが、まるで私が死んだかのような振る舞いだったからな。帰るに帰れなくなってしまった」
今までこっちは散々凛紗のことを探していたというのに。凛紗の方はオレを見つけたばかりか、ずっと見ていただなんて。オレは唖然とするしかなかった。
「それに、下手に外を出歩くわけにもいかなかった。何せ私はもともと存在しない人間だ、戸籍やら何やらに逐一新規登録しなければならない。ヨドが一生懸命探し回っていた時にはまだ、登録が済んでいなかったんだ」
「それで、ずっと伊達さんのところに?」
「そうだ。アレクもいたし、なかなか充実した一年だった」
伊達さんがそうそう、と話を始めた。凛紗の話に区切りがつくのを待っていてくれたらしい。
「バティスタは両親がいないから、わたしがこのまま養子として引き取ろうと思っているのだけど。もし淀川くんとのぞみさんさえよければ、凛紗ちゃんを預かってくれないかしら? 凛紗ちゃんもすっかりその気なのよ」
「違うぞ、玲。私は最初からヨドのところに厄介になるつもりだった。それをいろいろ手続きがあるからと引き止めたのは玲の方だろう」
「……とまあこんな感じなのよ。もちろん無理はしなくていいわ。二人とも中学生をやっているのだけど、省庁勤務のわたし一人でも何とかやっていけそうってことはこの一年で分かったし、」
分かりました。
オレは伊達さんが言い終わる前に返事をしていた。のぞみも少し悩む様子を見せたが、すぐに賛成してくれた。
「本当か、ヨド」
「よかったわね、凛紗ちゃん。この一年ずっと、淀川くんのことを心配していたもの。実は淀川くんに惚れてたりして」
「それはない」
一瞬で断言されてしまった。オレはなぜかがっかりと安心が半々の心持ちだった。
「ヨドとともに人生を歩むにはやはり、望がふさわしい。私はあくまで、ヨドの相棒だ。強い絆で結ばれた、な」
そうだろ?
あの時のように、凛紗がオレに問いかける。その目に今度は期待も混じっていた。
「……ああ、そうだな。間違いない」
だからオレは自信を持って答える。これまで凛紗と立ち向かってきたいくつもの困難を思い出しながら。
「そうだ、ヨド。今日は私の誕生日なんだ、これから帰って私の誕生日パーティをしてくれることになっていた。せっかくだし、その場所をヨドの家にしようか」
「いいな、それ。人数は多い方がいいし」
「……二人がこう言っているんだけど、いいかしら? 淀川くん、のぞみさん」
凛紗はもうすっかりお祝いムードで陽気になっていた。オレは浅くため息をついて、それから口を開く。
「ったく、オレの家をフリースペースみたいに言うんじゃねえよ。……でもまあ、いっか。ウチでやろう」
「やった!」
2125年、4月20日。
オレにとっても凛紗にとっても、一番忘れられない4月20日になりそうだ。
―完―
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