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仮想都市の警察官~実像のない東京と、感情のない少女~  作者: 奈良ひさぎ
第7章:実像のない東京 -Existenceless TOKYO-
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64MB 二人の“力”

「凛紗……?」


 嘘だろ、という思いで頭の中が埋め尽くされる。凛紗の体と存在そのものが消滅を始めている、ということは明らかだった。


「……やはり、こうなるか」

「……どういうことだよ」

「虚構世界で存在を保つためには、自身のコピーが必要になる。それは後から作られた私であろうと同じというわけだ」


 凛紗の言葉でオレは思い出す。伊達さんと一緒に東京駅の丸の内南口の地下に行った時、そこにあるべき凛紗のコピーがなかった。あの時凛紗はすでに亡くなっている、という伊達さんの仮説を聞いた。しかしそれさえも凛紗がこれまで言い出せなかった嘘なのだとしたら。加えて、目の前で凛紗と全く同じ姿をした亜紗が亡くなったことを考えれば。


「……まさか、亜紗は」

「そうだ。亜紗姉は私のコピーだ。コピーは安全な場所に保存するのが通例だが、コピーを独立して動かせないとは言っていない。亜紗姉か私のどちらかが亡くなれば、もう片方も虚構世界では存在を維持できなくなり、やがて消滅する。恐らく総理は計画の段階で、感情のプログラムを導入しなかった亜紗をいつでも殺せるようなシステムを構築していたのだろう。……先程のように、私たちを作った罪が露見した時のために」


 信じられなかった。亜紗はなすすべもなく死んでいった。オレは亜紗を助けることも、声をかけることさえもできなかった。そして、凛紗も消えかけている。凛紗もこのまま死なせてしまうのか。そんなことでいいのか。


「オレは……」

「ん?」


 凛紗は今までにないくらい優しいトーンで聞き返し、オレの答えを待った。まだ何とか暖かな感触のある凛紗の手を、決して離さないように握る。


「オレは、凛紗を助けたい。このまま失ってたまるかよ」

「……ありがとう。その言葉が聞けただけでも、私は嬉しい」

「助ける方法は」

「一つだけある」


 オレが握っていないもう片方の手で、凛紗は人差し指を立ててみせた。


「あの怪物を倒すことだ。いくら体力を消費しない“壊生”であるとはいえ、あれだけ巨大な亀裂と怪物を維持するためには相当力が必要なはずだ。おそらく悠華は持ちうる全ての体力を消費して維持している。私たちをここで確実に始末するための策だ」

「……あれを倒すと?」

「力を使い切った悠華は気絶する。外部要因によって悠華が気絶することが、この世界を現実に戻すためのスイッチになっているはずだ。そうだろう、総理?」


 凛紗がふいに円さんに問いかける。それまで突然の悠華の行動を呆然と見つめるだけだった円さんが呼びかけに気づいた。そして、確かにこちらに向かってうなずいてみせた。


「私が消滅する前に東京を現実世界に戻せれば、コピーが必要という生存のための必須条件がなくなる。すなわち、私が死を免れる可能性が非常に高くなる」

「……そんなことできるのか」

「できるかできないかという話ではない。ヨドがやるか、やらないかの問題だ」


 オレは迷っていた。これから先も凛紗を守ると、凛紗を作った張本人である円さんの前で言ったのにもかかわらず。凛紗がいなくなってしまいそうだと分かっただけで、簡単にオレの決意は揺らいでいた。けれど、もう迷わない。凛紗の言葉にとどめを刺されたような心持ちだった。


「……やる。やってみせる」

「その意気だ」


 オレは明確な意思をもって、凛紗に力を送り込む。凛紗が胸の前に手をかざし、そこに光が浮かび上がる。それももう見慣れた光景だ。


「個体生成のための使用データは可能な限り最小とする。個体数は1とし、体表面の硬度及び体長を最優先する。体長に関する最低条件は対象と同等の大きさであること。姿形はオオカミをベースとするが、体毛は対象の粘液に耐性のある材質のうち、最も体力消費が抑えられるものとする。達成目標は対象の怪物の撃破。悠華の意識消失をもって任務達成とする。達成後個体形成に用いられたデータ量及びつぎ込まれたデータの余剰分は、供給者淀川遼斗に還元されるものとする」


 ビル五階分ほどもある巨大な体つきの怪物に対抗するため、オオカミの形成条件を次々と定義してゆく凛紗。目の前で3Dプリンターのように足、胴体、頭と少しずつオオカミが形作られてゆくのを、オレはただ見つめることしかできなかった。


「“創生”としてはイレギュラーな使い方をした。通常は装甲の硬さなどに体力のほとんどを振り分けるが、今回はそこを最小限に抑え、後から体力をつぎ込める形式にした。許容ダメージ量が低くなってしまうリスクはあるが、その分一撃が強力になる。……何が言いたいか、分かるか?」


 凛紗がこちらを見て得意げな笑みを浮かべる。出会ったばかりの頃とほとんど同じ顔に見えて、その後ろに複雑な感情が隠れていた。無邪気な子供のような笑みも、体力のほとんど全てを渡してしまうオレを気遣った心配そうな表情も。今もまだ自分の体が消えつつあるからか不安を隠しきれない顔も、それで二度と会えなくなったらと考えて悲しそうにする表情も。迷わず手をつないできたこと、そして今も離さないようにつないでいることをほんの少し、恥ずかしく思う気持ちも。それら全てが、今の凛紗の顔に出ているように見えた。


「……ああ。分かってる」


 そんな凛紗の態度を受け止めて、オレは確かな声色で答える。


「出し惜しみをするような余裕はない。最初の一撃に全てを賭けるぞ」

「ああ……!」


 オレたち二人の力で作り上げた巨大なオオカミが口を大きく開け、松平の生み出した怪物に照準を定める。オオカミの口に光が集まるのが見えた。


「それで勝つつもり? “創生”じゃ所詮、“壊生”には敵わないわよ」

「そうかもしれないな。“創生”は“壊生”の威力を抑え、暴走しないようセーブをかけた力だ。単純な威力では劣って当然だろう」


 凛紗の目に揺るぎは少しもなかった。まっすぐ見据えるその瞳に、松平がほんの少し怯えた表情を見せた。


「しかしそれは、一人でぶつかり合った場合の話だ。二人分の“創生”の力は、たった一人分の“壊生”を大きく上回る」


 そうだろ?

 にこり、と凛紗がこちらを見て笑いかけ言う。オレは深くうなずいてそれに応えた。


「それがどうした⁉︎ アタシがどれだけ“壊生”と適合したか……適合させられたか! アンタらに、今に分からせてやる……!」


 青黒い犬の怪物の口からも、光の弾が現れる。どす黒く様々な負の感情が入り混じった、オレたちの方とは対をなす光だった。再び松平が口を開く。その機を逃さずに、オレは凛紗の手を強く握る。それが、オレたちにとっての合図になった。



「「行っっっけえええええぇぇぇぇぇっっっっっ!!!!」」



 寸分たがわず、オレと凛紗の声が重なる。

 白く希望そのものを示すような光と、黒く絶望と負の感情をはらんだ光が真正面からぶつかった。耳をつんざくような衝突音。一対の光はちょうど中心で拮抗していた。それが徐々に、確実に白い光の優勢へと変わってゆく。やがて白い光が押し切り、その場の者たちの視界を一瞬、奪い去った。


「ぐっ……!」


 オレの視界もすぐに元に戻る。まだまぶしい光の中、怪物が消し飛び、泡を吹いた松平が吹き飛ばされるのが見えた。ということは。


「やった……!」


 オレはどう言葉に表していいのか分からない、激しい感情に揺さぶられる。その勢いのまま、凛紗の顔を見ようと振り向いた。その瞬間だった。


「なっ……⁉︎」


 辺りに轟音(ごうおん)が響く。加速度的に音が大きくなる。何事かと周りを見る前に、床がバラバラに割れて砕け散った。ポケットの中で砕けたビスケットのように、(もろ)くオレの目には映った。

 その光景で思い出す。ここは新東京政府本部。警視庁本部の建物のコピー。現実世界ではコピーが存在する必要はない。


「くそっ……!」


 すでに床は崩れ切って、足を使って逃げることは到底できなかった。すぐに体が宙に浮かび始める。周りの人や物も、全てオレと同じように浮遊を始める。そしてオレは勢い余って、凛紗の手を離してしまった。


「凛紗……‼︎」


 手を離した一瞬で、凛紗はもう手の届かないところに飛んで行ってしまった。どれだけ手を伸ばしても、決して届かない距離。そしてすぐに、オレの視界が再びまぶしい光で覆われた。そのショックで、オレはすうっと意識が遠のくのが分かった。


「凛、紗……」






 ちゅん。


 スズメのさえずりが聞こえる。オレは柔らかいところに()せっていた。


「ん……?」


 目をおそるおそる開ける。広がるのは、真っ白な世界。いや、


「オレの、家……?」


 オレはいつの間にか、自分の家のベッドで眠っていたらしい。直近の記憶をオレは頭から引っ張り出す。そして思わず、その名前を叫んでいた。


「凛紗……‼︎」


 返事はない。それどころか、オレ以外の人がいる気配がこれっぽっちもなかった。起き上がってキッチン、凛紗の部屋、お風呂場、トイレと家中を探したが、やはりいなかった。凛紗の手を離してしまったあの瞬間が、嫌でも脳裏をよぎる。


「凛紗……」


 力なくつぶやくしかなかった。せっかくあいつが消えてしまう前に、世界を元に戻せたというのに。肝心なところでオレは、取り返しのつかないことをした。



 にゃうう。



 オレはふと、同じような寂しそうな声を聞いた。それはオレの足元から。


「クレイス……?」


 ちっちゃくて毛並みのきれいな三毛猫が、オレの足をぽんぽんと叩いていた。


「そうか、お前……戻ってきたんだな」


 オレはその場に座って、クレイスを抱きかかえた。かと思うとさっきまでの好意的な態度はどこへ行ったのやら、あからさまにオレに向かって威嚇を始めた。


「なんだよ、お前」


 腕の中でじたばた暴れるクレイスを撫でながら、オレはベランダに続く窓を通して空を見た。今までと何一つ変わらない、きれいで晴れやかな青空。


「……なんか、嘘みたいだな」


 オレの気持ちなんて知るよしもない、嫌味なくらい雲ひとつない空も。

 オレが東京に来てから今まで経験してきた、あまりに濃すぎる出来事の数々も。

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