60MB 新東京政府本部
「……ぐっ」
テレポートにそれほど時間はかからなかった。とはいえ、いつもよりは圧倒的に長かった。しかも、謎の痛みを伴うテレポートだった。
「なっ……⁉︎」
目を開けたオレは真っ先に驚いた。目の前に広がる景色に既視感があったからだ。
「ここ……新東京政府の本部、なんだよな……」
「ああ、その通りだ」
口ではそう言いつつ、思い出したのは凛紗と出会ったばかりの頃訪れた警視庁の本部だった。ちょうどエントランスの部分がそっくりだ。
「虚構世界で存在を維持するためにはコピーが必要だ、という話は理解しているな? あれは何も人に限った話ではない。建物もコピーを別の場所に保存しておかなければならない。データをつぎ込んでやるだけでは、実は維持できない」
「……えっと、つまり。警視庁本部の建物のコピーが、新東京政府本部の建物だって言いたいわけか」
「そうだ。本来コピーが破壊されると本体も消滅してしまうから、地下深くに厳重に保管し使用しないのが通例だが、そうしない場合もある」
凛紗の言う通り、入口こそ暗くてこの建物自体がどこにあるのかは分からなかったが、警視庁本部に似せて作ったにしては精巧すぎる気がした。丸ごとそっくりコピーしたんだ、と言われればそれで納得できる程度だった。
「進もう。ヨドも一度来たことのある場所ならば、勝手は知っているだろう」
「……お前まさか、オレをあの時警視庁本部に呼んだのはこの日のため、とか言い出すんじゃないだろうな」
「さあ、どうだろうか」
オレの話を聞きながらも、凛紗は気にしない様子でエントランスから続くロビーを突き進んでいく。亜紗、伊達さん、バティスタの三人もそれにならっていたので、オレも従うしかなかった。
「……目指すのは応接室だ。場所は分かるな? もっとも素直にたどり着ければ、の話だが」
まるで凛紗のその言葉が合図になったかのようだった。目の前のロビーやエレベーターホールに続く通路が、突然ぐにゃりと歪み出した。一瞬めまいを起こしたと思ったが、軽くよろけて壁に手を触れた時にそうではないと分かった。
「ホントに歪んでるのか……?」
「そのようだな」
それでもなお、凛紗は先へ足を踏み出す。その態度にためらいはない。オレはもう引き返せないということを改めて思い知る。
「こうなってしまった以上、エレベーターでたどり着ける保証はない。階段で行くぞ」
「ああ」
エレベーターの横に見える階段。まだ歪みの影響はそこまで出ていないようで、オレたちはそこへ向かって走り出す。そのタイミングで、オレは後ろから大量の足音がするのを聞いた。
「何だ……?」
「……来たか」
凛紗の言葉で察しつつも、オレは後ろを向く。一人一人の顔も認識できないほどの大量の人混みが、丸ごと押し寄せてきていた。
「こんなところまで……!」
「やはり総理の命令で動いているのは間違いなさそうだな」
場所も行き方も非公開のはずのこの場所に、見えるだけでも百人以上が規則正しくぞろぞろと歩いてくる様は、やはり気味が悪かった。
「……ボクらが」
後から後からなだれ込んできて止まらない人の流れに呑まれそうになった時。バティスタと伊達さんが、オレと凛紗、亜紗の背後に立ちはだかった。
「ここはボクら二人で何とかする。庵郷たちは気にせず先に行くんだ」
「でも……」
「操られてるとは言え、この人たちをむやみに傷つけるわけにはいかない。あんたたちの体力を消費するわけにも。それに、こういうのはボクたちの力の方が対処に向いてる」
バティスタの顔には決意が見えた。自信を持って、オレたちを送り出そうとしていた。範囲は限られているが、現実世界と虚構世界を入れ替える力。押し寄せてくる人たちをいったん現実世界に移して対処しようとしているのだろう。
「……分かった」
伊達さんもバティスタの横で深くうなずいた。それを見て、オレは返事をする。
「凛紗、亜紗。行くぞ」
「「もちろんだ」」
二人の答えは一瞬たりともずれることがなかった。最上階の応接室に向かってぽっかりと口を開ける階段室に、オレたちは走る。
「……っ!」
一段目を上り始めた瞬間に全身に伝わる違和感。階段も歪み始めて、地面に足を取られていた。
「走れ。ぬかるんでいる、足を取られていると感じれば感じるほどより歪むようになっている罠だ。何も考えずに走ることが、一番の対策になる」
凛紗の檄が飛ぶ。実際凛紗や亜紗の足取りはオレとは違い、鈍くなっている様子がなかった。オレは返事代わりに目の前だけを見て、なるべく頭を空っぽにすることに努めた。
しかし十段かそれくらい上った時だった。斜め上を見据えていたはずの視界が、さっきの階段と同じように歪み始めたのだ。しかも、頭はできる限り空っぽにしているはずなのに。
「なっ……⁉︎」
突然のことにオレはバランスを崩し、その場に倒れ込む。すぐに凛紗と亜紗が足を止めた。
「どうした」
「これは……?」
何も考えていなかったはずの頭の中に、突然オレのものではない記憶が流れ込んできた。それはまさに誰かに吹き込まれた、と表現するのが正しいような勢いだった。
「……まさか」
オレが思わず右手でこめかみを押さえたのを見て、凛紗がすぐさまオレの左手を握った。そしてオレの反応から一拍遅れるようにして、凛紗が目を見開く。
「いや、まさか」
「何があったんだ、凛紗」
「気にするな、亜紗姉。……今は、気にするな」
凛紗が軽く歯をくいしばるのが見えた。今から総理と対峙して直接交渉しようとしているオレたちにとって、それは思いもよらない記憶だった。
「玲君たちが食い止めてくれているとはいえ、あの勢いではいずれ押し切られ、その影響がここまで来かねない。先を急ぐぞ」
明らかに動揺して瞳孔が揺れる凛紗を置いて、亜紗は先に階段を上って行ってしまった。オレよりも深刻そうな表情をする凛紗を目の前にして、オレは無意識のうちに彼女の肩に手を置いていた。
「……すまない。ヨドにこんな醜態を晒してしまうとは」
「いや……」
凛紗によく似た女の子が、物々しいガラスのケージに入れられて。その中に怪しげな液体を満たされて、抵抗することもなく意識を手放してゆく。次にケージを開けた時には、少女の姿はどこにもなくなっていた。そんな知らない記憶がオレの頭に突然入ってきたのだ。
日付は2109年4月20日。その少女は凛紗ではなく、亜凛紗なのだということはすぐに分かった。
「亜凛紗……」
「行くぞ、ヨド」
おそらく凛紗は手を握ることで、その記憶を共有したのだろう。それでもなお、凛紗はすぐに立ち上がった。
「その記憶が真実なのか、あの時亜凛紗の身に何があったのか。総理の口から直接聞くしかないんだ」
凛紗がオレの手を引く。そして、凛紗よりほんの少し長く悩んだ後、オレも腹をくくって立ち上がる。いつまでもこんな年下の子に手を引かれていていいわけがない。オレが、凛紗の手を引いてやるくらいで釣り合うはずなのだ。
「ああ……!」
もう一度頭の中を空っぽにして、足を踏み出す。そこからは不思議と、最上階に着くまですぐだった。階段の終点からすぐに続く厳かな作りの扉を押し開ける。
「ここは……?」
部屋に入る直前まで、そこはかつて行った応接室そのものだった。だが中に入った途端、その想定は簡単に覆された。室内にはテーブルや椅子、ソファの類は一切なく、ただ真っ白な空間が広がっていた。その真ん中にぽつりと、男性が立ってこちらを見ていた。
「総理……」
亜凛紗のお父さんということは、オレの両親と同年代。しかしその割には、随分と年老いているような雰囲気だった。そしてそれは何もかも悟ったような、物悲しい表情をしているからだと分かった。
「待っていたよ、遼斗君」
やはり重みを感じる暗い声。オレたち三人はその場で固まってしまった。