59MB 決意を固める
『……繰り返します。6月15日午前6時現在も、東京都全域に非常事態宣言が発令されています。不要不急の外出は控えてください。新東京政府、6月13日、午前9時発表。感染性のウイルス流行により、東京都全域に感染者が拡大しています。ウイルスの感染力は比較的弱く、感染者との直接接触をしない限り感染の確率は非常に低いものとみられています。必要以上の感染者との接触を避けるため、必需品配給の際以外は、くれぐれも外出を控えるよう……』
「……くそっ」
オレはつい反射的にラジオのスイッチを切ってしまった。凛紗がオレの突然の行動に少し驚きながらも、ラジオの電源を入れ直した。再び抑揚のないアナウンサーの声が聞こえ出すが、その内容は今度は頭に入ってこなかった。
「正気かよ、その総理ってやつ」
「意地でも私たちを呼び寄せる気なんだろうな。それにしても、900万人という数は少々大げさすぎるが」
「冗談じゃねえよ……」
凛紗と亜紗についての真実を聞いた、まさにその日のことだった。非常事態宣言が発令されて、食料をはじめとする生活必需品は即刻配給制に切り替わった。しかもその理由は、伝染病のこれ以上の拡大を防ぐため。事情を知らない都民は、これから先もだまし続けるつもりらしい。
「それにしても、自らの手で自由に“操作”できる900万人を、ありもしない伝染病の感染者扱いするとはな。総理もなかなか思い切った手を使う」
「褒めても仕方ねえよ。その総理ってのは、凛紗たちを散々利用してきた張本人なんだろ」
「まあ、元より散々利用し、自分にとって都合のいい虚構世界を完成させるために私たちを作ったんだ。ここまで来ればもはや、そのエゴに満ちた態度を賞賛するほかあるまい」
「そんなこと言っても……」
もちろんすぐにでも総理――亜凛紗のお父さんに話をつけたいとオレは思った。だがオレがそれとなくその話題を出すたびに、亜紗が断った。凛紗のケガがまだ完全には治っていなかったのだ。そしてむずがゆい思いをしたまま、二日経っていた。
「総理を打倒し、再起不能な状態に追い込むためには、凛紗が万全の状態であることが必須条件だ。同じ“創生”持ちであり、根本的には凛紗と同じである私でも、やはり違和感は拭えないだろう」
亜紗の言うことに残念ながら間違いはなかった。凛紗と亜紗では、手を握った時に何となく違いがあるのだ。あえてその違和感を言葉で表すとするなら、気持ちの暖かさだろうか。
「……凛紗」
二日経ってさすがに凛紗は元気そうだった。オレと伊達さんとバティスタ、さらには亜紗までが同じ空間にいることが嬉しいらしく、さっきから嬉々としてオレやら伊達さんに話しかけていた。それはまさに、みんなで仲良く談笑するのが好きだった亜凛紗の姿そのものだった。
「何だ?」
「凛紗は正直、どう思ってる? 総理を説得できるかどうか」
「……五分五分だ」
急に凛紗の顔から嬉しそうな表情が消えた。そして亜紗のと同じ言葉を繰り返した。
「総理に会えるかどうか、という点に絞るならば、その確率は100%に近い。わざと交通事故を起こし亜紗を引っ張り出して、真実を打ち明けさせて呼び寄せるところまで、計画のうちであるはずだからな。だがそれ以上は保証できない」
「それって、総理が話をして通じるような相手じゃないからってことか?」
「いや。それ以前に私やヨドの話を聞こうとするなら、最初からこんな事態にはなっていなかっただろう。私たちを抹殺してでも目的を達成する、という強い意志が感じられる」
じゃなきゃ900万人も動員したりしないだろうしね、とバティスタが補足するようにぼやいた。
「抹殺って、マジかよ」
「“存在のかけら”が残っているとはいえ、仮にも東京大事変を起こしてその900万人を死なせた男だ。それほど過激な手段に出ても、不思議ではない」
「確かに、そうなんだけど」
オレには引っかかることがあった。つい二日前、凛紗から受け取った記憶。その終わりの方に、亜凛紗の家族が東京へ発つ当日の朝の光景があった。そこには確かに、亜凛紗のお父さん――すなわち、新東京政府の総理が映っていた。どこにでもいる、優しそうなお父さんだった。
「……正直、オレにはあの優しそうな人がこんなこと引き起こすなんて、考えられないんだよな」
「相手は娘の幼馴染、親友だ。ヨドには表の顔を向けておいて、裏を隠していたということは十分考えられる。……あるいは、そんな優しさが本性で、それを歪めるようなきっかけがあったか」
「知らないのか? その辺りのこと」
「私が持つ亜凛紗に関する記憶は、渡したものが全てだ。一連の記憶は、亜凛紗と総理が最後に夕食を一緒にとった光景で終わっている」
「……え」
確かにそれが、亜凛紗にとって最後の大切な、楽しい記憶だったのかもしれない。しかしそれではおかしい。
「亜凛紗は結局、なんで死んだんだ?」
のぞみはまだ治療法の見つかっていなかった難病にかかったと言っていたが、もしそれが本当なら、病室のベッドでの最期の瞬間くらい覚えているはずだ。そんな記憶もないくらい苦しかったとか、苦しすぎて残したくもない記憶だったという可能性も考えられるが。
「……それは」
凛紗はより一層暗い顔をした。しばらく声を出そうとしてやめるのをオレは黙って見ていた。それから踏ん切りがついたのか、話を始めた時だった。
「完成だ」
亜紗が遮るようにつぶやいた。彼女の目の前には、外で見るようなテレポートスポットそのものがあった。オレも凛紗も、伊達さんもバティスタも、みな次に亜紗が話し出すのを待った。
「想像以上に時間がかかったが、これで新東京政府本部に直接遷移が可能になった。……覚悟はいいか?」
外でもう何十回も聞いた、総理に操られた人たちのうめき声。家のドアの前まで人がやってこないのは、あくまでオレたちが自主的に出て行くことを期待されているからか。
「もういいかげん配給に行かないと、食料が怪しいんでしょ。それならどのみち外に出なきゃいけない。遅かれ早かれ、ボクたちが総理を説得するのは変わらないんだから」
バティスタのはっきりした決意の表れた声。
「あまり凛紗ちゃんたちの役には立てないかもしれないけれど、それでもわたしも行くわ。わたしも理事の一人として、このまま何もしないわけにはいかないもの」
この中では一番年上の伊達さんの声。少し、震えていた。
「正直総理を打ち負かせるかどうかは、やってみなければ分からない。何度も言っているが、その確率は五分五分だ。しかし確率が低いからといって諦めているようでは始まらない。私は少なくとも、ヨドの可能性に賭けてもいいと考えている」
自信に満ちて、しかも少し嬉しそうな凛紗の声。無邪気な子供のようでもあり、それでいて妙に大人っぽい雰囲気が彼女にはあった。
「……決まったな」
三者三様の言葉を最後まで聞いてから、亜紗が言う。亜紗が少しうなずいたのを合図に、オレたち五人は手をつないだ。その手が、体が少しずつ、淡い光に包まれる。
「行くぞ……!」
オレはそれだけ言って、目を閉じた。