46MB のぞみとの再会
東京駅からリニア新大阪駅まで、およそ一時間半。そこから在来線特急に乗り換えて、さらに一時間半。最後に各駅停車に乗り換えて五分。行きはこんなにしんどくなかったんだけどな、と思いつつ、オレは実家の最寄駅の改札を抜けた。
「……ふう」
駅前から景色を眺める。さすがに最後に来てから一年しか経っていないだけあって、ほとんど記憶のまま変わっていない。あそこの道を入って最初の角で右に曲がって、五軒目があいつの家だ、というふうにいろいろ思い出す。
オレは駅前から少し歩いたところにある大通りで少しだけ車の流れを見つめた後、荷物を置きに実家へ行くことにした。三日だけとはいえお土産をいろいろ買い込んだり、服など生活必需品の類を持ってきたりしていたので、両手がしっかりふさがっていた。
「ただいま」
懐かしい玄関のドアを開ける。かすかにテレビから漏れる音がしたので、そのままリビングまで進む。母さんがお昼時のワイドショーを流し見していた。
「あら、おかえり。電車の時間分かるなら言うてくれたらよかったのに。お父さんに連絡するわね」
「いいって。とりあえず荷物置きにきただけやから。それに三連休取ってるし」
「三連休? ずいぶん奮発してくれたんやね」
母さんの驚き方で、やはり警察官で三連休を取れるのは珍しいことだと改めて認識した。そしていざ親と会うと、何だかんだ言って自然にオレの口から方言が出ていることにも気づいた。
「たぶん夜になったら帰ってくると思う。のぞみと待ち合わせしてるし」
「のぞみちゃんと? それ早く言いや。行ってき」
「もちろん。行ってくるわ」
のぞみとの仲は母さんも父さんも認めている。むしろよく知る幼馴染とくっついてくれるならやりやすい、くらいに思っているのだろう。だからのぞみと会う、とさえ言えば、昔から母さんは特に咎めなかった。
オレは特急列車に乗っている時にのぞみからもらったメッセージに従って、新大阪で買っておいた夫婦茶碗を持って、待ち合わせ場所の喫茶店に行った。
『喫茶 ボナペティ』。
オレたちの通っていた高校の近くにある、昔からある喫茶店だ。元をたどれば店自体は100年以上前からあるらしく、場所や内装を時代に合わせて少しずつ変えながら生き残ってきたらしい。といっても、オレたちにそんな時代の重みは感じられない。高校の近くにある、ただの馴染みの店という認識だ。
「変わってねえ……」
やはり長らく地元に帰っていないと、何から何まで懐かしく感じてしまう。さすがに一年しか経っていないからか、場所も内装も変わっていなかった。そして奥の方の席、ちょうどキッチンからは死角になっている席に、オレに向かって手を振る女の子が一人。
「こっちこっち」
王寺望。
オレが幼稚園に入る前からの幼馴染だ。
* * *
「久しぶりやね、はると。元気してた?」
のぞみに変わった様子はなかった。強いて言えば、大学の時少しだけ茶色かった髪が真っ黒に戻っているくらい。オレより少しだけ背が低くて、でも剣道をやっていたからか漂う気の強そうな雰囲気は、何も変わっていなかった。
「まあ。のぞみも元気そうでよかった」
オレは無難な返事をする。目の前の幼馴染、それも一年前までは恋人だったのぞみにどんな言葉をかければいいのか、頭の中では一生懸命考えていた。しかし出てくるのは陳腐な言葉ばかり。
「「……あ、あの」」
気づけばお互い黙ってしまって、それから同時に他人行儀な呼び合い。
「これ。結婚祝いで」
「あ……」
オレは状況を打開しようと、夫婦茶碗の入った紙袋を差し出した。すると嬉しそうにするかと思いきや、のぞみはあからさまにバツの悪そうな顔をした。
「ごめん。嘘なんよ」
「……は?」
また沈黙が訪れる。嘘ってどういうことだ。まさか、結婚が嘘だというのか。
「一年目やのに、お盆にもお正月にも帰ってきてないって話、聞いたから。こういうびっくりするような話を持ち出さんと、帰ってこようともせんのかなって」
「……別に、そういうわけではないんやけど」
「じゃあなんで? 私と会うの、嫌やった?」
「そういうわけでもなくて。ただちょっと、めんどくさいなって」
「それだけ?」
嘘ついても仕方ないだろ、と思いつつ、オレはのぞみに言う。のぞみが少しうつむいた後、くすくすと笑いだした。
「なんや……それだけかぁ」
「そんな心配してくれとったん?」
「そもそも私、まだ諦めてないし。はるとは私とすっかり別れたつもりでおるかもしれへんけど、私はそんなこと思ってへんよ」
「え、マジで?」
オレが大学を卒業して、いよいよ上京する、という日。オレはのぞみを呼んで、別れを切り出したのだ。東京に行ったらきっと忙しくて、今度はいつ会えるか分かったものじゃない。そんなことで気持ちが離れて後味の悪い別れ方になったら嫌だから、それなら最初から別れておこう、と。
「ほら、腐れ縁って言うやん? 結局どれだけいっても、私ははるとのことを忘れられへんのよ。だってお互いオムツしてた頃からの仲やで? ……それに、はるとのその性格やったら、どうせ東京行ったって私以外のいい女の子とか見つけられへんやろうし」
「それはひどいわ。オレやってそんなビビりちゃうし」
あははは、と愉快そうにのぞみが笑う。最初こそちょっと怒った顔でのぞみを見ていたオレだが、すぐにつられて笑ってしまった。
「そういうとこやで。私にからかわれたら、すぐにムキになるとこ。それも含めてはるとがええ人やな、って思ってるのは私しかおらんって、自信がある」
「そんなことないやろ。もっと千人くらいおるし」
「千人? 少なっ!」
いつしか、安心している自分がいた。のぞみがそんなとんでもない嘘までついて、オレのことを思ってくれていた、ということに。オレのことは忘れて幸せになれよ、とさえ思っていたというのに、のぞみの方はずっとオレのことを考えてくれていた。そうだ。二十年も一緒にいる幼馴染のことを、そう簡単に忘れられるはずがないのだ。オレは情けない人間で、のぞみはオレの幼馴染にはもったいないくらいの存在。
「いや、でも」
「え?」
「職場の先輩でかっこいい人がおるのは、ホンマやで」
「……」
「ま、はるとには遠く及ばんけどな。太陽とすっぽんみたいな」
「“月とすっぽん”な」
「そうそう、それそれ」
のぞみの笑顔を見るたびに、オレは気づかされる。のぞみは親の次にオレのことを分かっていて、オレとよく気が合う存在。そんな大事なことさえ、オレは目をつぶって見ないようにしていたのだ。
「……やから。私は待つよ。はるとが『結婚して』って言うてくれるまで」
「……ええの?」
「だってどうせ私しかおらんやろ?」
「そんなことないって。オレやって好きな女の子の一人や二人くらい、見つ……け……」
「ほら。絶対無理やわ。そんなんでうじうじ悩むより、さっさと私と結婚したらええのに」
小さい頃はそうでもなかったくせに、のぞみはいつのまにかすっかり、気の強い女の子になっていた。今の言葉だって、オレが口にしてちょうどくらいのものだ。
「悩んでへんし」
「……なんなら、今言ってくれてもええんよ」
のぞみが急に感傷的な顔になる。ずるい。うっかりしていると、本当に口にしてしまいそうだ。
「……なーんて。忘れて忘れて」
のぞみはすぐに、そうそう、と注文したコーヒーを口につけようとしてやめてからつぶやいた。
「はるとが帰ってくるなら今日かなって思って、ちょっと高そうなレストラン予約してんよ。行かへん?」
「それ、断れへんやつやん」
「そう。断れへんやろなあって思って予約したし」
「分かった。行こ、せっかくのぞみの可愛い顔見れたし」
「ちょっ……そういう不意打ちやめへん?」
たまには言うとかなな、とオレはにっと笑ってのぞみに言った。のぞみがコーヒーを飲み終わるのを待って、オレは二人分の会計を済ませてのぞみと店の外に出た。