40MB 三人目の理事
「ボクはアレキサンダー・バティスタ。もう驚かないと思うけど、新東京政府の理事の一人だよ」
「……え」
オレはいろいろ言う前にまず、変な声で聞き返してしまった。少年は若干赤みの混じった黒髪で、何となく香水のような匂いがした。顔立ちが整っていて、将来はイケメンになる――そんな感じの顔つきだった。
「バティスタはスペインから来た留学生。歳は確か」
「14歳。キミがいつも連れ添ってる庵郷より、少し年上なだけだよ」
伊達さんがフォローするのをさえぎるように、バティスタが言った。凛紗のことも含めて知っているらしい。同じ理事なのだから、当たり前か。
「虚構世界の研究は世界中で進んでる。現実世界の枠にとらわれないメリットが、たくさんあるからさ。その中でも一足先に虚構世界を作り上げた日本は、この分野をリードしてると言ってもいい」
バティスタはオレが質問するまでもなく、オレが聞きたいことをだいたいしゃべり始めた。なんだか考えていることを全部見透かされているようで、オレはこめかみに汗が流れるのを感じた。
「それで、次に研究が進んでるって言われてるのがスペインなんだ。2120年の事故があと二週間遅れていたら、去年のノーベル物理学賞はスペインの研究者だったに違いないね」
ふと、オレはバティスタの言葉に違和感を覚えた。それじゃまるで、例の事故が最初から起こって欲しかったような言い方だ。900万人もの人が亡くなった大災害を、そんな言い方で済ませていいはずはない。
「ふざけんなよ」
オレは耐えきれなくなってバティスタに言った。バティスタは黙りこそしたが、表情一つ変えなかった。やっぱりだ。会ったばかりの頃の凛紗に、そっくり。
「ボクはそんなところではふざけないよ。どういう形であの事故が起こったにせよ、900万人の命が失われたことは、よく分かってるつもりだから」
「……!!」
「その点でボクは、庵郷とは違う立場だから。あいつは事前の警告を聞き流して、逃げなかった人たちにも責任はあるって言ってるけど、それは違う。最初から虚構世界のリスクを分かった上で、研究と実験を強行した新東京政府に全ての責任がある」
オレはバティスタから、はっきりとした意思を感じた。それは少年が背負うにはあまりにも大きすぎる責任を、全部一人だけで請け負おうとしているようでもあった。
「そもそもボクは嫌いなんだ、新東京政府」
「え? 理事なのに?」
「理事だから新東京政府って組織の味方、とはならないよ。まあ、組織側がどう思ってるかは知らないけどさ」
ついてきて。
そこまで言うと、バティスタはオレと伊達さんに呼びかけて歩き出した。
明かりが落とされて、不気味な雰囲気を漂わせる違法カジノ。パチンコ台やらスロット台やら、はたまた何に使うのかよく分からない機械が所狭しと並ぶ中を、すいすいとバティスタは進んでいく。
「ボクは秋葉原が嫌いなんだ。ここでいったい、どれだけの人が死んでるんだか」
独り言のようにバティスタがつぶやく。本当に嫌そうな口調だった。
「そもそも新東京政府の前身は、あの事故の前からあった。なのにいざ事故が起きた時、対応は後手後手。しかも東京の玄関口にほど近い秋葉原は放置。何のための政府なんだよ」
「放置? 単に対応が遅れたんじゃなくて?」
「そんなわけない。対応が遅れたくらいだったら、こんなに荒廃なんてしてない。裏ルートで食料や生活必需品は調達できてるはずで、しかも新東京政府はそれを黙認までしてる。なのに、月に何百人も餓死者が出るっておかしいでしょ」
「餓死……」
オレは潜入したときのことを思い出して、少し吐き気を催した。餓死した人間がどうなるのか、よく知っているからだ。
「秋葉原には絶対、新東京政府にとって不利な証拠が眠ってるはずなんだ。ボクはそれを探すために、ずっとここにいる」
バティスタはそう言い終わってから、不意によろめいた。オレが反応するより先に伊達さんがその肩を支えた。バティスタはしばらく荒れた息を整えようとして立ち止まった。
「……バティスタは目の前で、お父さんとお母さんを失ったのよ」
「え……?」
「お父さんもお母さんも虚構世界関係の研究者で、ちょうどあの事故の日から、日本の研究所に赴任する予定だった。ほんの一時間だったのよ。ほんの一時間、バティスタが横浜のホテルにいる間に、研究所の前視察に行ったご両親が事故に巻き込まれた」
言葉が出なかった。そしてバティスタが会って以来ずっと熱を込めてしゃべっていたのにも、納得がいった。
「もちろんご両親の“存在のかけら”は、確かにあるわ。前に行った、丸の内南口の地下に。けれどご遺体が帰ってきたわけじゃないのよ」
「……それで、跡を継いで理事に?」
「分かったような口を利かないでくれ」
恨めしげに、バティスタがオレに言う。オレはそれ以上バティスタについて口にするのをやめた。重い空気がその場に流れる。
「ボクが理事になったのは、ボク自身が望んだからじゃない。父も母も生きていたら、どちらかが理事になっていた。ボクは、その代わりを務めてるだけなんだ。だからボクは、ボクができることを最大限やる。そして絶対に、新東京政府を潰す」
「新東京政府を、潰す……?」
オレが思わず反復すると、目の前に手を差し出された。はっとして見上げると、それは伊達さんの手だった。
「もう、後には退けないわ。わたしたちは新東京政府の理事としては、知っちゃいけないところまで知ってしまった。そして、淀川くんもね。……協力、してくれるわよね?」
「……」
オレは呆然として、伊達さんの手を見つめた。確かに凛紗に関わった時点で、やばいのに足を突っ込んだな、というのは何となく自覚していた。しかし、まさかそこまで深刻だったとは。
「安心しなって。今ここで伊達と手つながなくても、ボクたちと同じように命を狙われるのは変わらないから」
バティスタの悪魔のささやき。ある意味、悪魔以上の恐ろしさだ。
「……分かった」
凛紗に関わった時点で命を狙われるのは同じ。バティスタのその言葉で、何となく背中を押された気がした。もともと危険な仕事と分かった上で、それでも困っている人を助けられる強い男になりたいと思って、警察官になったのだ。今さら命を狙われると口にされたところで、怯みはしない。オレは差し出された伊達さんの手を、そっと握り返した。
「まあ、キミがそう言ってくれるのを見越して、今日ここに呼んだんだけどね」
バティスタの足は、地下深くに続く階段を降りきったところで止まった。だいたい機密事項とか後ろめたい施設は地下にあるんだな、とオレが考えていると。
「ボクが今日、キミを呼んだ理由は他でもない。庵郷に隠れてボクたちに協力する上で、知っておいてほしい事実を一つ、教えるためだ。そのための証拠が、ここにある」
そこはちょうど博物館のギャラリーのようだった。受付の横を入って、一番最初に出迎えてくる展示室のような、天井まで大きく吹き抜けた空間。その部屋いっぱいに、新宿の街並みが再現されていた。地元にいた頃、オレでもテレビで見たことがあるような風景がそこに丸々あった。
「庵郷も知らないはずだよ」
バティスタの言葉に覆いかぶさるように、その街並みが息を吹き返すように動き始める。直後、オレたちの声よりずっと大きな音が、オレたちの耳を支配した。
「2120年のあの事故が、誰かによってわざと起こされたものだってことをね」