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仮想都市の警察官~実像のない東京と、感情のない少女~  作者: 奈良ひさぎ
第5章:時には恥ずかしくもなるけれど -Shamefulness-
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38MB ぽっかりと欠けた夢

「はると! 遅いって、早く行かなきゃ!」

「そ、んなこと言うたって! そっちが速すぎるんやろ」

「あははっ、早く早く! 置いてっちゃうよー!」


 気づけばオレは星空の下、幼馴染の女の子と追いかけっこをしていた。女の子はずっと走り続けていて、全くバテる様子がなかった。対するオレは息も絶え絶え、今すぐにでもその場に寝転がりたいくらいだった。


「はあ。もう、はるとはすぐ疲れるんだから」

「オレもそうやけど、のぞみはどうすんの……めっちゃ置いてきてもたし」


 あまりに追いつかないオレに呆れたのか、その女の子は途中で止まって待ってくれていた。そしてしばらく二人でその場に座り込んで、もう一人の幼馴染を待った。


「はあ、はあ……二人とも速いよ」

「ごめん、オレも一生けんめいやって」

「おかげで道に迷いかけたんやけど。今度アイスおごってね」

「はあ!? オレだけ?」

「当たり前でしょ、先先行ってわたしをおいてったはるとが悪いもん」


 後から追いついてきた幼馴染――のぞみは、ぷんすか怒ってオレを責めた。確かに悪かったけど、それはもう一人も同じだ。


「じゃあ行こ、のぞみも来たもんね」


 のぞみがまだ息を切らしているうちから、もう一人はそう言って走って行ってしまった。疲れを知らないその様子に、オレものぞみも苦笑いするしかなかった。


「こっからはもう、大丈夫やろ?」

「うん。ここまで来たら、一人で行ける」

「さっきはおいて行って悪かった。一緒に行かへん?」

「いいよ」


 目指すは家の近くにある、いつでも誰でも入れる展望台。もう次の角を曲がればその入り口というところまで来ていた。オレとのぞみは手をつないで、大股で展望台まで歩いた。


「分かってるんかな」

「何が?」


 展望台の入口からぐるぐるらせん状に続く階段を上りながら、のぞみがつぶやいた。のぞみの顔は少しだけ暗くなっていた。オレも何となくのぞみの言いたいことは分かっていた。


「だってもう明後日には東京行くんやろ? しかもお父さんの仕事で引っ越すから、こっちに戻ってくるかどうかも分からへんし」


 のぞみの言う通りだった。一番元気に走って行った幼馴染は、お父さんの仕事の都合で東京に引っ越すことに決まっていた。それなのに、まだお別れの言葉一つも言っていない。彼女が底なしの明るさでずっと接してくるせいで、言うタイミングを完全に見失っていた。


「そもそも知ってるんかな。まだお母さんもお父さんも、言うてないとか」

「それは、ないと思うんやけど」


 実はオレたちも本人からではなく、その子のお母さんから話を聞いただけ。あり得ないとは思うが、当日まで知らせないまま向こうへ連れて行ってしまう――そんな恐ろしいことが起こるかもしれないと思っていた。


「ほら、あれ! ベテルギウスとリゲル! ってことは、あの辺りがオリオン座!」


 彼女はこうして毎晩のように展望台に行っては、いろんな星を指差してあれこれ説明してくれる。オレとのぞみは完全にそれに付き合わされている、といった感じだった。


「なあ。……」


 あまりにも饒舌(じょうぜつ)な彼女を、オレは名前を呼んで止めようとした。しかしおかしなことに気づく。


 名前が分からない。


 いつもあれだけ一緒に遊んでいるというのに。名前を思い出せそうな兆しもなかった。


「それでね、……」


 彼女はオレの呼びかけに反応していったんしゃべるのをやめたが、オレが唖然として固まったのを見て、再び何事もなかったかのように話を始めた。


「なんで……」


 考え始めると、オレは急に自分が怖くなった。どうしてそんな大事なことを忘れたまま、今までやってこれたのだろうか。


「……おい!」


 するとのぞみや彼女がいるのとは別の方から、声が聞こえた。その時のオレにはなぜか、それが希望の手を差し伸べられているように感じた。ぐにゃりと歪み始めたのぞみや彼女の姿を尻目に、オレは声のした方へ手を伸ばした。



* * *



「……大丈夫か?」


 気がつくと、目の前いっぱいに凛紗の顔があった。びっくりして布団を被ったままごそっと動くと、凛紗もびっくりしたのか慌ててオレから離れた。


「私の部屋までうなされるような声が聞こえたから、心配だったんだ。悪い夢でも見たのか?」

「……まあ、悪い夢っちゃ悪い夢かな。ってか今、しれっと私の部屋とか言ったな」


 一応家賃とかはオレが全部払ってるんだけどな。オレはそう口出ししようとしたが、凛紗の様子を見てはっとした。ちょうどクレイスを抱きながら、凛紗の感情を奪ったオレを許してくれた時のように、ぼろぼろと涙を流していたのだ。


「なっ……なんだよ、それ」

「ああ、これか? どうやらあの時取り戻した感情は悲しみあたりのものらしくてな。心配事があると全部それに変換されて、意図に反して涙が出るようなんだ。あまり気にするな」

「お、おう」


 とはいえすぐ隣でけろっとした顔をしながら涙をダバダバ流されると、こっちも気が気でなかった。


「……私でよければ、その夢の話を聞くが」


 ぽつり、と凛紗が言った。言い方はまだ若干ぶっきらぼうだったが、凛紗なりの思いやりの結果なのだろうということはすぐに分かった。


「どうせ悪い夢は滅多なことでは忘れられないんだ。それならいっそ他人に話した方が、気分もいくらかよくなるだろう」


 オレは夢の内容をひとしきり、凛紗にしゃべった。凛紗は終始うんうん、とうなずくだけで、途中で口出しすることはなかった。


「なるほど、昔の話か」


 オレにとって、さっきまで見ていた夢が不思議な理由は主に二つ。一つは、もう一人の幼馴染が名前はおろか、容姿さえ思い出せないこと。


「それはどうしようもないな。手がかりが何もないのでは、対応策も講じられない」


 そして二つ目は、その夢が妙にリアルだったこと。もう一人の幼馴染である“のぞみ”は、高校時代付き合っていた彼女のことだ。のぞみと昔から一緒に遊んでいたことも、実家近くの展望台によく行っていたことも、全部記憶の通りだった。


「それに関しては夢だから、としか言いようがないな。もともと、夢はこれまでの記憶を整理する過程で構築されるものだ。全く別の時間、別の場所、別の人物がごちゃ混ぜになっていても不思議ではない」

「けど、何かが違うんだよな」

「というと?」


 オレ自身が凛紗を手術室に拘束して、無理やり感情を奪う夢。あれとは明らかに、何かが違う。


「たぶん、あれだ。さっきの夢は、確実に昔あったことだって言い切れる」

「それだけ現実味があるということか」

「おそらく」


 凛紗はしばらく考えるそぶりを見せた後、ふう、とため息をついた。


「何も分からんな」

「でしょうね」


 せめてあの幼馴染の子の容姿だけでも分かればいいのだが。凛紗にうまく伝えられなかったことも相まって、オレはもやもやした気分だった。


「とりあえず朝食をとろう。話はそれからでも遅くない」


 起き上がってみると、テーブルにはすでに二人分の朝食が用意されていた。今日はどうやらご飯ものらしい。


「私が見ている限り、特に異常はなさそうなんだが。もし食あたりで腹痛を起こしてうなされていたら、という可能性を考えて、食べやすく優しいものにした。どうだ?」


 そう言ってから席に着く凛紗はとても嬉しそうだった。改めて、出会った時から随分変わったと感じる。


「……これは?」

「中華粥だ。いい匂いだろ?」


 別に体調が悪いわけではないので、オレは素直に食欲をそそられた。きっと本当に体調が悪かったとしても、気がつけば口に運んでしまいそうなくらいいい匂いだった。


「うまい」

「反応が早いな。もう少し味わって食べたらどうなんだ」


 文句を言いつつも、凛紗はなんだか嬉しそうだった。鶏がらスープとか醤油とか塩とか、そのあたりのバランスがうまくいっているからこその、優しい味だ。大雑把に「うまい」くらいしか分からない、オレの作る晩飯のおかずとはまるで違う。ご飯にちらほら混ざっている鶏肉も、よく火が通ってとろとろの甘いネギも、全部お粥全体を美味くしていた。


「おかわりは?」

「あるぞ。でも私の分を……」


 凛紗が引き止めた時にはすでに遅く、全部さらえて入れてしまった後だった。こんなに美味いものを朝から作る凛紗が悪い。


「……あ」

「なんだよ」


 すると再び席に着いたオレを、ニヤニヤして見つめながら凛紗が口を開いた。


「そういえば今日は、朝から出かける用事がなかったか? そのために仕事を休みにしたと聞いたが?」

「……あっ!」


 凛紗の言う通りだった。オレは今入れたばかりのお粥をテーブルに置いたまま、慌てて外に出る支度をする。


「もう出るのか? じゃあこの残りのお粥はもらっていいな」


 見なくても分かる。オレのお茶碗を自分の前に引き寄せながら、背後の凛紗はきっと笑いをこらえるので必死なのだろう。オレは美味いお粥と約束の時間に間に合うのとを天秤にかけて、やけくそな声で凛紗に言った。


「ああ、もう……勝手にしろ!」

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