36MB そわそわの原因
「どした、淀川。なんかそわそわしてないか?」
「え? いや、別に」
チンピラどもに二度目の追っかけをされてから、一週間ほどが経った。潜入捜査官としてチンピラのフリをすることが多いせいで、チンピラまがいのことをする機会は多いが、最初から最後までチンピラに追いかけられて死にかける経験をした人はそういないだろう。しかもそれを一ヶ月の間に二度も体験しているのはオレくらいのはずだ。
「今日なんか淀川がそわそわするようなことありましたっけ、山内さん?」
「いや、ないと思うんだけどな」
別にオレや凛紗の誕生日でもないし、凛紗とケンカしたわけではない。ケンカとか言うといよいよデキてるとか言われそうだが、断じてデキてない。それだけは声を大にして言っておかなければならない。
「……まあいいや、どうせすぐ分かるでしょ」
しつこく詮索してきた同僚は諦めたらしかった。その方がオレとしても好都合だった。
「……ふう」
そもそも凛紗と同居していること自体、他人からすればそわそわものだ。かれこれ一ヶ月以上隣にいるオレでさえいまだにそわそわするのに、側から見ている同僚たちが気にかけないはずはない。
そんな同僚は今日がちょうど、違法カジノの潜入捜査の日らしかった。しかしそれは夕方からの仕事で、それまでは交通事故の調書作りをすることになっている。東京の下っ端警察官の仕事は、基本的にその二つだけなのだ。もしかするとお偉いさんなら、もっとすることがあるのかもしれない。
「なんか違法カジノの捜査って、疲れない? なあ、淀川」
「……ああ。確かに」
違法カジノがどこにあるかは分かっているが、そこにどれくらい人がいるのか、あるいはそういうならず者たちが東京中に合わせて何人いるのか、というのは不明。そういった規模もまともに分からない違法カジノを一つ一つ潰していくのは、骨が折れる。
「なんか一つずつ潰していってる割には、あんまり実感がないよなあ」
ただでさえ疲れる違法カジノの潜入捜査。それに追い打ちをかけるように、交通事故の調書の仕事が山のようにある。ここ最近かつてないほど交通事故が起きていて、オレや同僚が片付けるだけではだんだん追いつかなくなってきている。どれも軽いものばかりなので、一つ作るのにそれほど時間はかからないのだが、単純に量で攻めて来られるのも困る。片しても片しても終わらない仕事に、オレたちはため息をつくしかなかった。
「……んじゃ、昼休憩ってことで。交代で行ってくれよー」
ちょうど調書を一つ片付け終わったところで、山内さんがオレたちに声をかけて交番を出て行った。声をかけ合って、キリのついていたオレが先に休憩に入ることになった。
「じゃ、頑張ってこいよ淀川」
「ん?」
「応援してるぜ」
交番を出ていく間際、同僚の一人がやけに励ましてきた。口ぶりからして女の子――言ってしまえば凛紗と会う予定がある、と思っていそうだった。しかし違う。一部は合っているが。
オレは同僚がついてきていないのを確認して、最寄りのテレポートスポットから指定されたところに飛んだ。テレポート先の目の前には、レンガ造りの階段があった。その下に、オレ一人ならまず縁がないような、おしゃれな喫茶店が見えていた。
「あ、来た来た。こっちよ」
ドアを開いてちりん、と鈴を鳴らす。ぽつぽつとオレンジ色の明かりが灯っていて、店の中は薄暗く、馴染みなのだろうお客さんが何人かすでに座っていた。その中に、目的の人物がいた。オレは声をかけられるままにその人の向かいに座った。
「返信してくれないから、無視されたと思って。せめて了解、の一言くらい欲しかったかも」
以前会った時とは打って変わって、おしゃれながら落ち着いた服を着ていた。大人っぽい艶のある黒髪でありながら、後ろはあどけなさの残るポニーテール。きっと街を歩いていたらそこそこ注目されるだろう、というほどの女性。
「わたしは伊達 玲。改めてよろしくね、淀川くん」
* * *
きっかけは前日の夜に来たメッセージだった。ちょうど凛紗が別室にこもって寝てしまった頃、ニュースを流し読みしていた時に、突然端末が震えたのだ。
『明日のお昼休み、会えますか? もし会えるなら添付した写真のお店に来てください』
差出人は伊達さん。そもそもどうしてオレの端末にメッセージを送ってこられるのかは分からなかったが、前回のメッセージと違って間違いなく相手がオレと分かった上で送ってきているようだった。
きっと凛紗も知らないような人だったら、前と同じように無視していただろう。だが凛紗と同じ新東京政府の理事だと聞くだけで、なぜか信用できそうだと思ってしまった。本当は新東京政府それ自体が、何をしているかも分からないところだというのに。
「すいません、返事しようかなとは思ったんですけど、本当かどうか怪しくて」
「まあね、それは分かるわ。わたしも、怪しまれると思ってコンタクトしているもの」
返事しようかと悩んでいたのは、本当だ。でも今度のメッセージこそスパムメールだとしたら。いろいろ面倒ごとに巻き込まれると嫌だと思って、結局無視するような形になってしまった。そう思いつつ、行くつもりではあったのだが。
年季の入ったテーブルの上には、すでにオレの分のお冷も置いてあった。そして伊達さんの名刺を端末で受け取って少し話を始めたくらいのタイミングで、伊達さんとオレの分のパスタが運ばれてきた。事前に伊達さんが注文していたらしい。
「勝手にカルボナーラにしたけれど……いいわよね?」
「え? ああ、大丈夫です」
伊達さんはアサリがたくさん入った、香ばしい匂いのバスタを注文したらしい。名前は確か、ボンゴレ・ビアンコ。伊達さんがフォークで器用にパスタを巻いて口に運ぶのを見て、オレも同じようにした。
「淀川くんはさ」
「はい?」
オレはパスタの中ではカルボナーラが一番好物だ。我を忘れて一瞬食べるのに夢中になっていたオレは、ソースで口が汚れていないか心配しつつ伊達さんの顔を見た。
「凛紗ちゃんのこと、どう思ってる?」
「凛紗、ですか」
「もうそう呼ぶ仲なのね」
「あ、えっと……」
改めてそう言われると恥ずかしかった。すでに凛紗からヨド、と友達のように呼ばれていたので、あまり違和感がなかった。
「いいのよ、凛紗ちゃんには昔からあまり友達がいなかったから。たぶんわたしがいなかったら一人のままだっただろうし」
「そうなんですか」
気難しい性格だということは、想像がついた。あんまり積極的にお近づきになろうとは思わないだろう。
「昔の話、ね。今はだいぶ積極的に人に関わろうとしてるみたいだけど」
「たぶん、奪われた記憶とか感情とかを取り戻すのに躍起になってるんだと思います。本人も何回かそう言ってるし」
「奪われた記憶?」
伊達さんが奪われた、というところを強調して聞き返してきた。
「そうです。事故前後の記憶がない、って」
「事故……というからには、一つしかないわよね。2120年のあの……そう。なるほど、そういうことなのね」
「え?」
「淀川くん。明日のお昼休みも、空いてるかしら」
「え? えっと、空いてると思いますけど」
「明日は東京駅に来てほしいの。見せたいものがあるから」
東京駅。一度別の用事で行ったことがあるオレに、その意味が分からないはずはなかった。まさか、まだ三度しか会っていない男と都外に旅行に行こうなどとたくらむはずはない。