34MB 今度はもう、その手を離さない
「ネズミ……⁉︎」
音だけではない。階段を埋め尽くすように集まったネズミが、殺伐とした雰囲気を醸し出していた。
「気をつけろ、こいつらが普通のネズミでないことは間違いない」
「え?」
オレと凛紗の声に反応するように、一番先頭にいたネズミが一匹前に進み出た。その後ろにいた大量のネズミは一歩も動かず、その一匹のネズミの動きを見守るようにじっとしていた。
「右に避けろ!」
「……‼︎」
凛紗に言われるがままにすると、さっきまでオレの首があった場所にそのネズミが飛びかかってきた。オレの顔に直撃するはずだったネズミはそのまま階段の縁にぶち当たった。そして――爆発した。
「は……?」
「大丈夫か」
「いや、大丈夫だけども、」
「今ので分かっただろ。どこの誰が作ったのかは知らないが、これだけの数を用意するあたり、どうやら意地でも私たちを通さないつもりらしい」
「……これがホントのねずみ花火、ってな」
よくよく聞いてみれば、爆発ネズミの鳴き声はどうも適当に合成したような音だった。無数にいるネズミがそれぞれその不快な音を出して空間に反響するせいで、そろそろ耳がおかしくなりそうだった。
「だが逃げるのでは面白くないな。何せ私たちはこれから下へ向かうんだ、ここで逃げるように引き返してしまっては意味がない」
凛紗がすっ、とオレの方に手を差し出してきた。反射的に凛紗の顔を見る。
「……私の手を、取ってくれるか?」
迷う余地は、なかった。
「そんなの、一択じゃねえか」
暗い中でも見えることを祈って、オレは笑顔でその手を握り返す。一度は離すしかないと諦めたその手が、再びオレに差し伸べられた。今度こそ、離さないように強く握る。
「決まったな」
凛紗はオレとつないでいないもう片方の手を、ネズミの大群に向けてかざした。その手がぼんやりと輝き始め、暗いその場をまぶしすぎるほどに照らした。
にゃーっ
その光から、一匹の猫が飛び出してきた。一瞬幻覚でも見ているのかと思った。しかしただ暗い階段を下りているだけだったオレが、幻覚が見えてしまうくらい極限状態まで追い込まれているとは、とても思えなかった。
にゃーっ、にゃあー
そうやってオレが戸惑っている間にも、猫はどんどんその数を増やしてゆく。やがて数十匹出てきたところで止まり、光も消えた。
「人造ネズミには人造猫だ。一気に片をつけよう」
凛紗のその言葉を合図にするかのように、猫たちが一斉にネズミの方へ飛びかかった。危険を察知したネズミの群れが一気に混乱状態に陥る。訳も分からずオレたちの方へ突進してくる奴、懐に飛び込んで危機を逃れようとする奴、それから単純に逃げようと転がり落ちてゆく奴と様々だった。対して凛紗の手から飛び出てきた猫たちはそんなネズミたちの動揺を気にすることなく、次々とネズミをくわえては食べてゆく。
「なんだ、こんなものか」
凛紗の言う通りだった。爆発する変なネズミとは言え、今まで出てきた金属の塊とか、真っ赤なカニに比べれば数が多いだけでサイズは小さく、怖くは感じなかった。というより、そもそも同じ奴の仕業なのだろうか。
「前二つと関連なんてあるのか……と言いたそうな顔だが、私はあると思うぞ。そうでなければ、こうも的確に私たちの居場所や目的地が当てられるはずはないからな」
「……確かに」
カニが出てきた時は東京駅にいた。東京駅ならいまだに東京の中では重要な所だし、そこにでかい奴を向かわせておけば被害が大きくなると言うのも分かる。ただそのカニにしてもその前の金属の塊にしても、はたまたまだ目の前に残っているネズミたちにしても、狙いすましたように俺たちの目の前に現れている。他に同じような事件が起こっているというニュースは見ないし、オレが見ていなくても交番の同僚なんかが話をしないはずがない。
「同じ人物がやっているとなれば、よほど私たちのやっていることが気に食わないか、あるいは詮索されるとまずいことでも隠しているのか。いずれかだろうな」
「でもここに何かあるとしても、どっかの違法カジノに続いてる抜け穴なんだろ? それにわざわざ隠すほどの秘密があるかな」
「抜け穴がどのように存在しているかも問題だ」
うるさいネズミの鳴き声がだんだん遠ざかって聞こえるようになった。おそるおそる階段を下りてみても、飛びかかってくるネズミはいない。一番下まで下り切ると、駆除の仕事を終えた猫たちが整列してオレたちを迎えてくれた。
「よく頑張った。任務完了だ」
凛紗の声を合図にして、軽く煙を立てて猫たちが姿を消した。その先の扉を開けると、いきなりびっしりと並んだ棚に規則正しく配置された、無数の段ボール箱がオレたちを出迎えた。
「これが倉庫……」
「これくらいの規模でないと、東京中の食料や生活必需品は賄えないからな。むしろ出て行ったばかりの穴に虚構化の処理を終えた新たな荷物を置いているから、これでもスペースが足りないくらいだ」
棚一つが、ビルの三フロア分くらいの高さもあった。ただでさえ見上げても全部の荷物が見えないようなその空間には、数十どころではない数の棚が並んでいた。きっと東京駅の地下にあった、人間のコピーを保存している場所といい勝負の広さであるに違いない。
しかし全ての棚の全てのスペースに荷物が置かれているわけではなくて、ところどころ空きがあるのが見えた。しばらく壮大な景色に見とれていると、オレたちの目の前でその空きスペースの一つに荷物が運ばれてきた。天井から伸びたショベルカーのようなアームが丁寧な動きで荷物を置くと、今度は別の荷物をわしづかみにしてどこかへ運んでいった。
「あれを追うぞ。行く先にベルトコンベアがあるはずだからな」
迷わずぱたぱたと走っていってしまった凛紗を追いかけるが、ベルトコンベアはずっと速く、すぐにその姿を見失ってしまった。時々棚ほどの高さの太い柱に貼られた案内図を参考にしつつ、何とかベルトコンベアの入口までたどり着いた。こういう職員専用、みたいなところに慣れているのか、凛紗はとっくにたどり着いていた。
「ここに来るまでに、地図を見たな?」
「ああ。ってかこんなの、地図でも見なきゃ絶対迷子になるし」
「やはりここには日常的に違法カジノのならず者が姿を見せている。あの地図は作り物だ」
「えー……」
とにかくベルトコンベアの場所まで行くことに必死で、地図が本物かどうかなど確かめる余裕はオレにはなかった。
「限りなく公式に設置されたものであるかのように作ってあったが、一部雑なところが見える」
凛紗はオレがたどり着くまでに何枚も見た地図のうちの一枚をはがして、手元に持っていた。手渡されてよく見ると、言われれば全体的にほんの少しだけ雑に見える。
「よくよく観察しなければ、分からないだろうな。しかしそれが偽物だと見抜けなくても、ここにならず者たちが入り浸っていることは察せる」
「どうやって?」
「そもそもここは物流センターの職員専用のエリアだ。ベルトコンベアの位置は変化しないし、棚には段や列ごとに記号が割り振られている。この場所の複雑さを理解している職員にわざわざ、しかも雑な地図が必要か?」
凛紗の言葉で、少し腑に落ちた。この物流センターには半年に一度くらいしか人間が来ないらしいが、それでもその職員が迷子になるとはあまり思えない。それに普段ここを見張っているロボットなら、配置は全てインプットされているはずだ。
「ってことは、この地図が必要なのはオレたちみたいな初めて来た人か、毎回違う穴から出てくるせいで道が分からないチンピラどもだけ……」
「そういうことだ。そしてご丁寧にも、私たち来客を歓迎する輩がいるらしいぞ」
凛紗が辺りを見渡す。どうも最近運がやたらと悪いらしい。オレも諦めて同じようにすると、ベルトコンベアとオレたちを取り囲んで、チンピラどもがニヤニヤしてこちらを見ていた。
「こればかりはヨドの言う通りだ。私たちは最近どうも、運が悪い」
チンピラどもが野太い凄みのある声を上げ、オレたちに迫ってきた。