32MB 物流センターで
「全くヨドは。だらしないやつだな」
目が覚めると、オレはいつの間にか布団をかけられてベッドに寝転がっていた。テーブルを見るとビールの缶もすでに片付けられて、代わりにコーンフレークの入った小さめのお椀と牛乳とが並べられていた。凛紗はすでにそのコーンフレークに手をつけていた。
「あれ、オレ……寝てた?」
「いつ寝たかも分からないのか? いよいよ恐ろしいな」
「たまにあるんだよな……記憶なくなるの」
「新東京政府にもいた。大して飲めもしないくせに、毎回学習せずに酔いつぶれるやつがな」
「オレは別に弱いんじゃなくて、野球見てるとつい飲み過ぎちゃうって感じなんだけどな」
「悪癖そのものだな。酒はそうまでして飲むものではないだろ」
酒は飲んでる時が一番楽しいんだけどな、と言いつつ、オレはふと気付いた。覚えがないということはつまり、放置していた空き缶を片付けてくれたのも、適当に寝ていたオレに布団をかけてくれたのも凛紗だということか。
オレは起き出した格好のまま椅子に座り、コーンフレークを牛乳でひたひたにして頬張る。
「あ、……わざわざオレのために、すまん」
「……もしお前が風邪でも引いて、それを感染されでもしたらひとたまりもないからな。その予防をしたまでだ、気にかけるな」
凛紗の声が少し上ずって聞こえた気がして見てみると、心なしか顔が赤くなっているように見えた。凛紗がそんな様子なのを、今までに見たことがなかった。
オレが二口ほど食べたところで凛紗が先に食べ終わり、部屋にこもってしまった。たぶん出かける準備だろう、とだけ思ってオレは相変わらずゆっくり食べる。はっきり二日酔い、というほどではないが、それに似た気持ち悪さが少しあった。
「凛紗のやつ……なんかちょっと様子変だったな」
そうして最後の一口を運ぼうとした、その時だった。
ブーッ!
テーブルごと軽く揺れるのと同時に音がして、オレは少し飛び上がってしまった。端末にメッセージが入ったらしかった。別に特別でもなんでもないことだが、この時はなぜか必要以上にびっくりしてしまった。
「何だ……?」
そもそもメッセージを受け取ること自体が少なく、あるとしてもせいぜい家族からだった。お盆と年末年始の時期に帰ってこないのか、という内容。凛紗には急用の可能性もあるので、まず気づける電話で連絡してくるように言っている。というよりすぐそこにいるのだから、凛紗からのメッセージではないはずだ。
「『淀川君 今日会えるのを楽しみにしているね』……?」
差出人の名前に、特に見覚えはなかった。一瞬スパムメールの類かと思ったが、少し思いとどまった。スパムメールにしてはできすぎている。深読みかもしれないが、相手がオレの名前も、今日どこに行くかも知った上で送ってきている気がしたのだ。
「ま、いいか」
しかし適当に送られてきたメールならそれはそれでいいし、本当にオレのことを知っていたとしても、今日行くところまで知られている可能性は低いだろう、と思うことにした。考えれば考えるほど、少し凝った迷惑メールだろう、と思うようになった。
「準備はできたか? 早く行くぞ」
楽しそうな声で言う凛紗に急かされて家を出る頃には、すでにメッセージのことは頭の片隅に追いやられていた。
* * *
テレポートスポットナンバー052、東京都立中央高校前北。
東京中央高校は全校生徒三万人を抱えるマンモスを超えたマンモス校で、その数の生徒を収容するために、広大な敷地を持っている。それぞれの学年によって校舎が別々になっていて、下手をすれば同じ学年のクラスごとでも距離があったりするらしい。オレの地元の高校とかだと盛んな部活動も、先輩と後輩のつながりがほとんどないに等しいせいで、そもそも存在しない。
「ここは確か、二年生の校舎が最寄りだったか。まあ、今回の目的地はそちらではないがな」
凛紗が校舎とは反対方向にある、平べったい建物を指差した。天守閣のようにそびえ立つ校舎とは大違いで、すぐにそこが目的地だと分かった。
「この物流センター、地上はこんなものだが、下に長い構造になっている。つまり、地下深くまであるということだな」
「それ、なんで地上高くしなかったのかちょっと気になるな」
「特にもっともらしい理由はなかったはずだが……強いて言うなら、校舎と間違える人が出るから、といったところか。ただ、地下にあるせいで違法カジノの裏ルートとして利用されやすくなっているのは事実だから、反対派は多い」
「ダメじゃん」
ちょうどテレポートスポットから右の道を行くと校舎があるところを、左に曲がって少し歩くと物流センターの正面入口が現れた。すでに話は凛紗が通していたのか、部外者のオレ含めて二人で通っても、警備ロボットはガードマンのおじさんよろしくぎこちないお辞儀をしてスルーした。
「気をつけろよ」
「え? 何で?」
「ここは虚構化の処理を受けた物品が各個人や施設に配送される前に、一旦保管しておく倉庫でしかない。管理は全てロボット任せで、人間の従業員はゼロだ。責任者は一応人間だが、半年に一度点検に来るかどうか、というほど形式的なものだ。つまり私たち以外の人間を見かけたらそれは、」
「この倉庫を管理する人か、違法カジノのチンピラか。で、今日は点検なんてしてない日だ、とか言うんだろ?」
「そうだ。噂では都内各地の違法カジノに直通する抜け穴が、倉庫のあちこちに開いているらしいぞ」
冗談じゃない。もうあんなに訳の分からない状況であちこち逃げ回るのはごめんだ。各地の違法カジノに直通しているということは、複数人のチンピラと一気に出くわす可能性もあるのかもしれない。
「三人くらいなら投げ飛ばせる自信はあるけど、正直五人とか十人とか来られると……」
「三人なら大丈夫なあたり、さすが警察官だ。頼むぞ」
「頼むぞって言われても……」
オレには出くわしませんように、と祈ることしかできなかった。そんなオレをよそに、凛紗はどんどん中へ入っていく。
「あ、待てって……」
ぱちん。
凛紗を追いかけて一歩踏み出そうとして、オレははたと立ち止まった。一瞬踏み出してはならないとオレに思わせる空気が、そこに流れた気がしたのだ。
「え……?」
「淀川くん」
声は後ろからした。振り返るとそこには、白衣の女性が一人。
「はじめまして、淀川くん。わたしはこういう者です」
「はじめまして……」
オレが思わずそう口にすると、女性は名刺を渡してきた。名前を見て、オレははっとする。
「会えるのを楽しみにしてる……そう言ったでしょう?」
「……!」
「でも今は少し、時間がないみたい。またいつか」
女性は指を鳴らそうとして、ふと思いとどまったような表情を見せた。
「そうそう」
かと思うと、急に真面目くさった顔に戻って、
「凛紗ちゃんには、気をつけた方がいいわよ」
とだけ言って、指を鳴らした。目の前からはいつの間にか、女性の姿はなくなっていた。
「なんだったんだ、あの人……」
オレにはそういう安っぽい感想しか、思い浮かべられなかった。それからもう一度、受け取ってしまった名刺を見る。
『伊達 玲』
艶のある長い栗色の髪をポニーテールでまとめた、オレと同い年くらいに見えたその女性は、新東京政府の理事――。名刺によれば、そうらしかった。