31MB 裏付けのために
「物流センター?」
都立中央高校でいざこざがあってから、一週間ちょっとが経った。世間はゴールデンウィークやら何やらで浮かれていたが、警察官には関係ない。もちろん交番ごとに交代で出勤したり休んだりはするが、何連休も取れたりすることはない。だからいつも通りと言えば、いつも通りだった。
「そうだ。あの高校の近くには都内でも何箇所かしかない、大規模な物流センターがある。目的はもちろん、“虚構化”の処理を終えた食料品や日用品などをいったん倉庫に保管する、というものだ」
そんないつも通りの休みが明日訪れるという日の夜。オレはまた休日“出勤”かよめんどくさ、と思いつつ、缶ビールを片手に凛紗の話を聞いていた。凛紗はオレのベッドに腰掛け、この間拾ってきたばかりのクレイスを膝に乗せて撫でながら話をしていた。その通り、と相槌を打つようにクレイスがうぅ、と鳴いた。
「虚構化の処理……」
「虚構世界に耐えられないのは何も人間に限った話ではない。人間は東京駅でセキュリティチェックがてら虚構化の処理を行うが、物品に関しては別の場所で行っている」
「なるほど。で、なんでそんなでっかい倉庫に用があるんだ?」
オレはほんの出来心で凛紗の膝の上からクレイスを抱き上げようとしたが、全力で威嚇されてしまった。連れて帰ってオレが体をきれいにしてやった時はおとなしく気持ちよさそうにしていたのに、それ以降は嘘のように凛紗にばかり懐いていた。オレだってクレイスを撫でてみたいのに。
「秋葉原の違法カジノがひどく困窮している理由が、裏ルートに何らかの障害ができたからだろう、という話をした。その裏付けのためだ」
「でも裏ルートなんだろ? つまり本来他の人に行き渡るはずの食料品やら何やらをくすねてるってことなんだから、わざわざ裏付けなんてしなくても潰れたらバンザイ終了、じゃダメなのか?」
「ヨドにしては鋭いな」
「うるせえよ」
ツッコミも慣れたものだ。中学高校の頃の友達と、よく冗談を言ってはツッコんで笑っていたのを思い出す。凛紗は少々オレを見くびりすぎなところがあるから困る。
凛紗はこほん、と軽く咳払いをしつつ、話を続けた。
「確かにヨドの言うことは正しい。不正に入手するようなルートが存在することの方が問題で、排除するのが適切な方針だ。しかしなぜそのことが分かっていながら、放置しているのか?」
「……はあ」
「形式的には秋葉原の人口はゼロになっているから、正規のルートで物品が行き渡ることはない。これはよく知られた話で、そうなれば秋葉原が何だかんだ潰れない理由は強力な裏ルートにあると、大抵の人は気づく」
「なるほど、確かに」
「しかし秋葉原は廃墟と化してならず者の溜まり場になってから、もう何年も経つ。あまりに大規模すぎて警察がそうやすやすと介入できない状況だとはいえ、何年もそのままなのは不自然だ」
凛紗がクレイスから手を離すと、軽い身のこなしで凛紗の膝から飛び降り、オレのそばまで来てごろん、と横になった。お、なでなでするチャンスか?
「しゃーっ」
「なんだよそんだけ近づいといてー」
オレの方に向かって思い切り腹を見せていたので、お望み通りお腹を触ろうとすると一瞬で威嚇された。オレに失望したのかしばらくじっとオレを見た後、再び凛紗の膝の上に戻っていってしまった。
「扱いがまだまだだな。こういうのとはまず心を通わせなければ」
「心通わせるって、どうやって」
「熱い視線を送る」
「バカ言え」
「おかしいな。私にはそれで懐いたんだが」
「クレイスを威圧した、とかの間違いじゃねえのか」
しかし凛紗があごの下、頭、お腹と撫でるとクレイスはすっかり気を許して、気持ちよさそうに目を閉じてされるがままになっていた。どうやらオレも熱い視線とやらをクレイスに送らないといけないらしい。
「……話の続きだ。秋葉原が裏ルートに頼って生き延びているというのは自明だが、何年もその状態で放置されている理由。それは新東京政府が一枚噛んでいるからだと、私は考えている」
「へえ、なるほど……え?」
「新東京政府は警視庁の上位機関だ。たとえ著しく東京の安全性を損なうものがあっても、新東京政府の認可が下りなければ、強制捜査さえ満足にできない。現行の制度ではそうなっている」
警察が政府の犬、とはよく言ったものだ。普通は警官をバカにする言葉なんだろうが、こればかりは文字通り、ということになってしまう。
「じゃあ『アキバ・ゼロ』も、新東京政府がかばってたってことか」
「まあそういうことだ。しかし何らかの事情があってそうも言っていられなくなり、自らの手によって封鎖してなかったことにした……というところだろうな」
「……新東京政府、やべえな」
いよいよ闇が深い。オレの中で胡散臭さが目立ってきた。もともと信じ切っていたかと言われると、そうでもない気もするが。
「私が言うのもなんだが、他の官公庁と同様、新東京政府の内部はブラックボックスだぞ。虚構世界の話もまだ実験段階で、国外に情報が漏れるのを恐れて研究内容も基本的に非公開だ。前も言った気がするが、ヨドのように虚構世界の実態を聞いて知っている外部の人間は相当レアだぞ」
「マジで?」
「しかもそれはあまり喜ぶべきことではない。世界的に注目されている研究分野の一つだから、ある日突然外国に誘拐されて拷問される、なんてこともあり得る」
「うげっ」
今の時代拷問なんて人間のやることではないが、どうやら世界中が喉から手が出るほど欲しがっている情報だと、そうも言っていられないらしい。オレは一瞬喜んで、すぐにぞっとした。
「だから今更かもしれないが、私がしゃべったことはあまり口外しない方がいい。ヨドに説明したのはあくまで、新東京政府の関係者である私を匿う上で必要な情報だからだ」
「分かった」
幸いオレは口が軽いわけではない。口が堅いという絶対の自信はないが、他人に言うなと言われたことを黙っておくくらいのことはできる。
「……裏ルートは大きなところからこっそりくすねる方が楽だ。つまり例の物流センターで何らかの異常が起きていれば、それが秋葉原の異常事態の原因と言える。もし何も起きていなければ、この休日はおじゃんだ」
「そんなのアリかよ」
「大丈夫だ、その場合でも他に理由があると分かっただけで収穫になるからな」
そこまで言うと凛紗はクレイスを抱いたまま立ち上がった。時間を確かめると、すでに凛紗の寝る時間だった。
「明日は一日仕事になるかもしれないから、ヨドも早く寝ろよ」
「分かってるって」
オレはビール片手に端末で野球観戦をしていた。しかし気がつくと缶や端末をテーブルに置きっぱなしにして、ベッドでだらしなく眠って朝を迎えていた。酔いが回って寝落ちしそうなところでベッドに向かっただけ、まだマシではあったが。