3MB 東京の警察官
最悪だ。今日のオレはツイてないらしい。
オレが東京で警察官になることを夢見て上京してから、ちょうど一年が過ぎた四月半ば。いつも通り日中の当番に当たっていて出勤したオレに突きつけられたのは、あまりにも非情な宣告だった。
「あ、淀川。お前今日、見回りの当番だってさ」
「見回り……!」
「お疲れ様、さっき決まったばっかりなんだよな」
見回り。
残念ながらそれが言葉の通りの意味を持たないことを、オレはこの一年でよく学んでいた。この場合、オレがするべき仕事は周辺地域のパトロールなどではない。都内各地に存在する、違法カジノの潜入捜査なのだ。
「山内さん最近、全然見回りやってないですよね。なんでオレばっか」
「さあな。案外、上もお前に期待してるのかもしれねえぜ」
オレが交番勤務を始めてからずっと指導係を務めてくれている先輩の山内さんに、オレはそう愚痴った。
対して山内さんは飄々とした顔である。オレに見回りの話をしたかと思うと、今度は右腕に浮かび上がるデジタルな数字をちらっと見て立ち上がった。
「あと三十分くらいで、見回りのメンツがここに来ることになってる。よろしくな」
「……はいはい」
「今日はとびきりダルそうだな。まあいいや。俺はちょっと外行ってくる」
外へ行く、というのが交番の警察官らしい仕事、周辺地域のパトロールだ。といっても仕事はほとんどない。なぜなら、泥棒を追いかけるとか、道案内をするとかは全部最新型AI搭載のロボットがやってくれるから。
オレはしばらく待つ間にできる仕事を片付けてしまおうと、交番に備えつけのデバイスを起動し、交通事故の調書を作り始めた。
ヘッドホンによく似た黒い器具を頭に装着して、書きたい文章を思い浮かべる。すると透き通った状態で浮かび上がるデバイスの画面に、その通りの文字が入力される。時々集中が途切れたり、何かの拍子で他のことを考えてしまうと間違えてしまうので、それはこれまた感触のないキーボードを使って、手で修正する。
「……やっぱり慣れないんだよな」
こんなシステムは東京に来てから初めて知った。もちろん採用試験で合格してから入る警察学校で学んだのだが、地元にいた時いつもいじっていたデバイスと似ているようで違うらしかった。
何より、キーボードはあるもののいくら叩いても感触がない。先輩やその他いろんな人に聞いてもそんなことはないというから、いよいよ謎だった。しかしとりあえず入力できるから結果オーライだろう、と納得することにしている。
東京に来て驚いたことと言えばやはり、電車が一切走っていないことだ。それどころか、車の姿さえ見当たらない。オレのいた地元はまだ完全自動運転の車が普及して、交通事故の件数が劇的に減ったばかりだった。
「ま、東京は日本どころか、世界でも有数のデジタルな都市になったからな。長年住んでりゃ違和感もなくなるさ」
休憩中に山内さんにその話をすると、補足するように説明してくれた。なんでも東京での移動手段は全てテレポーテーションらしい。各地に番号の割り振られた中継ポイントが設置されていて、行き先の番号を入力すれば一瞬で到着、ということらしい。
「俺は昔から東京に住んでたから分かるけど、東京はあの事故以来一段と便利になってる。何せ、遅刻するってことがなくなったからさ。ま、行き先の番号が分からなくてもたもたしたら別だけどな」
2120年、4月20日。東京出身でないオレでもまだ記憶に新しい。あの日、東京中の建物という建物が謎の大爆発に巻き込まれて破壊された。テレビでは連日、あまりの煙でまともに惨事の様子が映せていない出来損ないの映像が垂れ流されていた。
テレビでようやく東京の惨状が分かるようになって見たのは、跡形もない焼け野原だった。そこが元は東京だったと、分かる人の方が少ないだろう。それくらい、むちゃくちゃだった。
「にしても、たった二年で東京が完全復活しただけじゃなくて、テレポートまでできるようになるなんてな。映画の中みたいな話じゃないか?」
今東京にある公共交通機関と言えば、東京に来るためのリニア新幹線くらいか。もしかするとリニア新幹線で東京に来たからこそ、しばらく東京の特殊さに気づかなかったのかもしれない。
「……ま、言ってもまだ東京に来て一年か。五年もすりゃ慣れるだろ」
オレのスタンスは基本それだった。住めば都、とはよく言ったものだ。
「淀川さんいますか。見回りっす」
「はいはい」
交番の入口が開いて、オレと同期の男が声をかけてきた。何回か一緒に仕事をしたことがあるから、顔と名前くらいは分かる。
オレはキリのいいところで調書を書き終え、保存してデバイスの電源を落としてから交番の外へ出た。
* * *
あの未曾有の大災害から二年で、極度に発達した形で復興した東京。
もともと日本全国でお金の電子化に始まるデジタル化が進んでいたが、東京はそのさらに十数歩先を行く形らしい。
それだけ急に変わったから、最初は興味本位で東京に来た人も、うまく適応して成功する人と、逆に失敗して衣食住もまともに満たせない人に、はっきりと分かれたそうだ。
「今日は代々木方面なんだって?」
「そうっすね。まだまだ、代々木は手つかずのところが多いみたいで」
オレは同期の坂井と、そう話していた。ちなみに坂井は東京出身で、たびたび東京の変化の話を聞いたりする。
衣食住もままならない人たちはいつしか一箇所に集まり、違法カジノを作り上げて荒稼ぎし始めた。具体的には都外から来た人を連れ込んで、脅迫や強奪となんでもありでお金を奪い取っている。下手をすれば自分が一文無しになるかもしれない、あるいは命の危険さえある違法カジノ。そこの潜入捜査は、人間の警察官が行う。
「今回も淀川さん筆頭でお願いします」
「またオレ?」
「これも一応、本部からのお達しですし」
潜入捜査だから、自分たちが警察官だということだけは絶対にバレてはならない。動かぬ証拠を確実に手に入れ、応援を周りに完全に配備して初めて、自分たちの身分を名乗るのだ。
「しかし代々木か。大丈夫かな」
「何がですか?」
オレには心配事があった。……といってもはっきり何が心配か、言葉では説明できない。いつもは何日か前から通達される見回りの話が、今日に限って突然回ってきた。こういう「いつもと違う」ことがあった時は、ろくなことがない。虫の知らせ、というやつかもしれない。
しかも場所も、全然捜査の進んでいない代々木ときた。オレがそのことを坂井に話すと、オレの後ろにいたチームメイトがみなピリピリしだした。
「……そんなこと言われると。何も起きないといいですけど」
警察官の制服から一転、遊び慣れた若者らしい大胆な服を着たオレたちは、早速どこにでもあるような古びた様子の建物に入り、そこにないはずの地下へと続く階段を下りていった。
幸か不幸か、東京にある違法カジノはみな顔バレからの指名手配とならないよう、どこでも入手できるようなお面をかぶっている。そこにいろいろ適当に描き加えて、個性を出すという具合だ。
オレのお面も天狗のようなものに、無精ひげが描き加えられていた。代々木に足を踏み入れるにあたって新調したものだ。ちなみに服も新しく買ったもの。全て経費で落ちているので文句はないが、別のカジノに行くたびに新調しているから、お金が足りるのか他人事ながら心配になってしまう。
「……ま、肩の力抜いていきましょう。初回っすから」
坂井がオレの耳元でささやいた。そうだ。違法カジノということは分かっているが、オレたちはまだ何も証拠をつかんでいない。不法に金が流れているという事実を、確認してやらなければならない。
そこからは解散して、それぞれカジノで遊ぶふりをしつつ、周りの観察にあたることになった。オレは一番に目についたルーレットで、しばらく時間をつぶすことにした。……のだが。
「見ない顔だな。どっかからの編入か?」
「……ん?」
どうやらこのカジノはゲームごとに主任らしき人物が配置されているらしい。周りを見ると、揃いの白い筋の入った、左胸にバッジをつけたスーツを着た者たちがちらほらいた。ルーレット担当は、黒い艶やかな長い髪を無造作に垂らした、少し背の高めな女だった。
「最近は警察に狩られて、場所も少なくなっているからな。どこか別のカジノから来たのか、と言っているんだ」
「……ああ。原宿から」
「そうか」
ふん、とその女は不敵な笑みを浮かべた。男臭くて女のあまりいないこの空間で、その女の存在は際立っていた。加えて、控えめに言っても美人だ。スーツについているバッジが体に対してしっかり斜めになる程度には胸も大きい。ここに通う男を何人かたぶらかしていてもおかしくない。オレはそう邪推した。
トンッ
「……っ?」
そんなことを考えていた矢先だった。その女がオレの肩にそっと手を置いた。撫で回すような、端的に言えばいやらしい手つきだった。オレの予想が案外当たっているのか。ちらっと目を合わせると、女はオレの耳に向かってフッ、と息を吹きかけてきた。
「何?」
「面白い男だ、気に入った」
「ほう」
オレは柄にもなく動揺していた。色仕掛けにまんまと引っかかっているようでは話にならない。が、なぜか落ち着かなかった。
「どうせ、しばらくここに通うだろう?」
「……そのつもりだが」
「じっくり見ていくといい。ここは広いからな」
女はオレにささやくのをやめて、そっとした手つきでオレの開ききった襟を直してみせた。すぐ近くに異様に整った指先が見えて、いっそう鼓動が早くなるのが分かった。何をやってんだオレ。こんなことで動揺しているようじゃ……。
「そうだろ? 潜入捜査官」
一瞬でオレの背筋が凍りついた。