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仮想都市の警察官~実像のない東京と、感情のない少女~  作者: 奈良ひさぎ
第4章:寂しさと悲しさの先に -Loneliness/Sadness-
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29MB あの雨と、同じ雨だったら

 オレは一度部屋を出て、力なく外からドアを見上げた。そこは保健室らしかった。『ただいま所用により不在 ご用の際は職員室においでください』と書かれたプレートがひもで引っかけられていた。


 悔しかった。ヤツにもっと言葉をかけるべきだった。たとえオレにヤツと対等に話す資格がなくても、ヤツを絶望させるような言葉で締めくくるべきでは、決してなかった。今のオレにはそんなことさえする度胸もないのかと、オレは自分を責めた。


「オレは……人を助けて笑顔にできる、優しくて強い警察官になるんじゃ、なかったのかよ」


 この二十三年間のうちの、いったいいつ、オレがそんな卑劣な実験に加わったのか。いやむしろ、その実験を主導さえしていたのかもしれない。さっきの夢が過去の記憶そのものだったとすれば、オレは実験チームのリーダーらしかった。そんなオレは強くもなければ、まして優しくなんてない。必死に抵抗する弱い人間をああやって無の心で拘束して、それでいて平気でいられる男が、優しくて強いわけがない。


「せめて思い出せよ、オレ……」


 オレの心をさらに蝕む事実。それは何より、そんな実験を主導していたという事実を、オレ自身が全く覚えていないことだ。思い出せそうという兆しさえ見えない。思い出したからといってどうなるわけでもない。それは分かっているが、ヤツが人間にあるべき感情を失って苦しんでいる横で、オレが忘れて並んでいた、そのことがいまわしくて仕方なかった。


「……どうすればいいんだ」


 オレも、ヤツも。ヤツはこの先、どうするのだろうか。ヤツが実験をした張本人の横でこれからも暮らしていきたいと言うはずがない。オレがヤツなら、泣き喚いてでも断る。またいつひどいことをされるか、分かったものではない。


「……ほんと、ふざけんなよ」


 情けないオレができることといえば、自分を責めるくらいだった。しかしそれさえも、何の解決にもならない。そうだと分かっていても、オレは唇を噛んで床をにらみつけるしかなかった。


「もう、合わせる顔もねえな」


 外が少しだけ騒がしくなった。窓を開けると、さっきまでの晴天はどこへやら、雨がポツポツと降っていた。オレが見ている間にその勢いはどんどん増していき、やがて傘なしではしのげないほどになった。


 ヤツは帰ってきてくれるだろうか。帰ってきたとしても、オレがヤツに会うのに値するかどうか、という話だが。しかしヤツに何か言わなければならないとは感じていた。


「……何て、言えばいいんだよ」


 オレがヤツにしたことを認めて発する、謝罪の言葉か。それとも見限るのだけはやめてくれ、という懇願か。いずれにしろそんなことをするオレは、みっともないふうにヤツの目には映るだろう。

 雨はどんどんひどくなっていった。しまいには激しい風も吹き荒れて、窓の軋む音がするようになった。オレはベッドに腰かけて、頭を抱える。


「……っ!」


 ヤツに何を言うべきなのか、もっと何かあるだろと考え始めた、その時だった。スラックスのポケットに入っていた端末が震えた。ヤツからの電話だった。


「傘を忘れた。迎えにきてはくれないか?」

「……!」

「どうした、このままでは雨はひどくなる一方だ、いくら私と言えど風邪を引いてしまう」

「……った」

「ん?」

「分かった……‼︎」


 オレは半ばやけくそ気味の声を出して、保健室を飛び出した。訳も分からず廊下を突っ走っているうちに出会った見知らぬ教師に職員室まで案内してもらって、傘を手に外に出た。


「どこだ……」


 一時的だったが、オレの頭の中からはヤツになんて声をかければいいのか、という懸念は抜け落ちていた。ただ、土砂降りの雨に濡れて震えているのだろうヤツを想像するだけで、オレはいてもたってもいられなかった。


「そういう時に助けられなくて、何が警察官だよ……!」


 最低な奴だと言われてもいい。もう二度と私の目の前に姿を見せるな、そう言われても仕方がない。しかしそれは、ヤツを探さずに呆けていていい理由にはならない。

 オレは雨に降られてより厳かな雰囲気を醸し出す校舎を尻目に、校門を飛び出た。時刻は昼過ぎだというのに、外は暗い色の雲ですっかり覆われていた。


「これは……」


 ヤツと出会ったときのことを思い出して、オレははっとした。つややかな亜麻色の髪をぐっしょりと濡らして、オレの目の前に現れたヤツ。ちょうどあの時と同じような雨模様だった。あれからまだ一ヶ月も経っていないというのに、もう遠い昔の出来事のように感じた。


「どこだ……!」


 傘を忘れた、というヤツの言葉から外にいることは分かったものの、それ以上はさっぱりだった。校門を出て左右どちらに行けばいいのかさえ分からなかった。とりあえず右から探すと決めて、走り始めた時だった。


「にゃうー」


 猫の鳴き声がした。続いてゴロゴロと喉を鳴らし、甘えた声を出した。


「いるのか⁉︎」


 オレが行こうとしたのと反対方向からだった。オレは急いで引き返して走った。


「にゃうぅん」


 だんだん鳴き声が近くなる。向かった道の先は行き止まりになっていた。


「……!」


 その突き当たりに、無造作に段ボール箱が置かれていた。適当な殴り書きで、『拾ってください』の文字。そしてその隣に、ヤツはしゃがみこんでいた。


「……猫は可愛いな」

「……っ」


 オレを責めるでもなく、土砂降りの中かけつけてきたオレの名前を呼ぶでもなく。ヤツはしんみりとした口調で、そうぼやいた。


「幸いまだ捨てられたばかりで、飢えてはいないようだ。しかし雨に濡れて寒そうなのは間違いない。撫でてやるだけでも、震えが伝わる」


 段ボールはこの雨の割には、それほど濡れていなかった。ヤツが体でかばっていたのだろうか。それでも雨がひどいあまり、子猫も濡れてしまったらしい。


「土砂降りの雨に捨てられた猫……この子には悪いが、通りすがる人の悲しみを誘うには十分すぎるほどの状況だ」


 ヤツの肩まで垂れる髪からは、絶えず水が滴っていた。オレはそんなヤツに傘を差し伸べることさえできず、ただその場に立ち尽くす。


「気持ちの整理はついたか、ヨド」


 雨の音だけがしばし、その場に響いた。遠くでは雷が鳴り始めて、オレもヤツも一瞬だけ、肩を震わせた。


「私をひどい目に合わせた以上、私に合わせる顔はない。まして話しかけることすら、許されるのかどうか――そんなことをお前が考えているのではないかと、思っていた」


 思っていたこと、そのままだ。オレは思わず唇を噛んだ。



「過去は、過去だ。今に引きずるべきかどうかは、本人が決める。そうは思わないか?」



 オレははっとしてヤツの顔を見た。

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