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仮想都市の警察官~実像のない東京と、感情のない少女~  作者: 奈良ひさぎ
第4章:寂しさと悲しさの先に -Loneliness/Sadness-
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28MB 犯した罪は消えない

「やめろ! 離せ……!」


 目の前にヤツがいた。ちょうど歯医者にあるような処置台に座らされ、白衣を着た複数の男たちに囲まれていた。

 ヤツは処置台の後ろに手を組まされ、手錠をかけられた上で縄でぐるぐる巻きに縛られていた。目も真っ黒な布で覆われていて、自由なのは鼻と口だけ。


「何をする気だ! 私が……何をしたと言うんだ……!」


 ヤツの叫びに、誰一人動じない。その身体のほとんどを拘束されてもなお暴れるヤツを、白衣の男たちが数人がかりで押さえつけていた。恐怖に震えるあまり、亜麻色のしっとりと濡れた髪ががたがたと揺れているのが分かった。


 容赦なくその腕に、注射が打ち込まれる。透明でいてしかし水よりは粘り気のあるその液体を注入されたヤツの体は、すぐにぐったりとし始めた。やがて気絶したのか、抵抗する様子がなくなり、首もがくんとうなだれてしまった。


「処置を開始する」


 聞き覚えのある声が、その部屋に響く。ちょうど病院の手術室のような、殺風景な場所だ。真っ白な壁と薄い水色の床のところどころに、年季の入った染みが見える。それは過去に何度も何度も、この場所で同じような実験を繰り返してきたことの証だった。


 声を合図に、力の抜けたヤツの頭を覆うように銀色のローラーボールがかぶせられる。美容室でパーマをかけるときに使う装置に似たそれはしかし、決してそんな目的で開発されたものではない。


“全ては、完全に感情をコントロールできる人間を生み出すため”


 その理想と目的のため、被験者の感情を奪う、あるいは特定の感情を与える装置。開発には相当の時間と費用を費やした。ここで“失敗作”を次々に生み出したとしても、後戻りはできないのだ。


 順番に電極がつながれてゆき、やがて全ての電極の準備ができると同時にモニターが灯る。被験者であるヤツの心拍数や血圧を測定し、実験による変化を記録するためだ。


今度は成功してくれよ(・・・・・・・・・・)


 そうつぶやいて、ヤツに顔を近づける。実験の成功を祈る必死さと、純粋に実験を楽しむ狂った喜びとに支配された表情。


 まぎれもない、オレの顔(・・・・)だった。




「……はっ」


 そこで現実に戻った。

 オレは真っ白なシーツの敷かれたベッドに寝かされていた。周りを見ると、白い壁。まるでさっきまでいた手術室のようだったが、唯一の救いはあの空間より太陽の光が差し込んで、ずっと明るかったことだった。


「目が覚めたか?」

「……っ!」


 聞き慣れたヤツの声が響く。いつの間にかヤツがベッドのそばの椅子に座っていた。よかった、無事なのか。さっきまでオレの目の前で起きていたことが夢だなんて、オレにはまだ信じられなかった。


「どうした? 怯えているように見えるが」

「さっ……触るな!」


 本当は、ヤツが言ってしかるべき言葉のはずなのに。オレがそう非難されても、仕方ないはずなのに。

 さすがにヤツは目を丸くして、数歩オレから下がった。そしていぶかしげにオレを見つめた。オレの思っていることが見抜かれているんじゃないか。そう思って、オレはヤツから目を逸らしてしまった。


「どうした」


 はっとした。

 ごく自然な流れで、ヤツがそっとオレの手をとったのだ。さっきのヤツみたいに力なく垂れ下がったオレの冷たい手を、ヤツの温かい手が包んだ。さっきまでオレがしていたことを申し訳なく感じる気持ちで、オレの心はいっぱいになった。


「涙まで流して。珍しい」


 ヤツにそう言われるまで、自分が涙をこぼしていることに気づきさえしなかった。抑えようとしても抑えきれない。


 申し訳ない、申し訳ない、申し訳ないーー。


 次から次へとその思いがこみ上げてきて、涙は余計に流れるばかりだった。


「……どうだ。私に話してみる気には、ならないか」

「……っ」

「島津から事情は聞いている。ある資料を見て、お前が気を失ったとな。しかしその資料に何と書いてあったのかまでは聞いていないんだ。お前の口から聞きたいと、私が言った」


 言いたくなかった。

 もっとマシな事情だったら、オレは進んでヤツに話していただろう。実は小さい頃本当にヤツと会ったことがあって、忘れていただけだったとしたら、どれだけよかったか。


「お前のただならぬ様子を聞いて、私も相応の覚悟はしているつもりだ。今の態度からもよほどのことだったとうかがえる。しかしその話を聞かないことには、私は何の反応もできない。お前のことを見直すか、それとも見限るか。それも含めての、反応ができない」


 どうしてヤツの方が覚悟できているんだ。

 何でオレはこんなにも覚悟ができてないんだ。


 ヤツにはオレの消えない罪を聞かされてなお、受け止めきれる自信があるのか。


「……オレは」


 全てを話した。全く身に覚えのない罪を、ヤツに洗いざらい話した。ここでオレが嘘をついても、何か隠し事をしても意味はない。またヤツに対して罪を重ねたオレが、苦しくなるだけだ。


「……そうか」


 話を進めるたびに、ヤツの顔から血の気が引いていくのが分かった。ヤツの唇がわなわなと震える。その震えを抑えるために、ヤツが唇を噛みしめた。親のような温もりを感じたヤツの手さえ震えて、すっと冷たくなっていった。


「……ごめん」


 オレはヤツの沈黙に耐えられなくなって、そう口にした。


「謝っても、それは消えない罪だ」

「……っ」


 それはヤツからの絶交宣言と言っても過言ではなかった。ヤツとの出会いは偶然で、無理矢理なものだった。しかしそれは必然で、運命だったのかもしれない。いつかはこうなることも、含めて。


「お前の態度から、相当深刻だということは理解していたが……想定以上だった」


 下手に責められるより、ヤツの態度は堪えるものがあった。もしかするとはっきり侮辱される方が、気持ちの整理はついたのではないか。


「今すぐに、私から言えることがうまくまとまらない。気持ちの整理が、ついていないのかもしれないな」


 ヤツがオレの手を離して立ち上がり、そのまま部屋を出て行こうとした。


「外の空気を吸いに行く。少し、一人にしてくれ」


 オレがどこに行くんだと問う前に、ヤツはそう言った。オレは口を開くことすらできずに、ドアを開けるヤツの背中を見つめるしかなかった。


「……そう、だよな」


 ヤツの足音も遠くなって、静まり返ってからようやく、オレは一人つぶやいた。

 今のオレに、ヤツと話す権利はない。オレはヤツの人生をねじ曲げて奪った、大罪人なのだから。

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