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23MB 断じてデキてない

「……結局、何だったんだろうな。あのカニ」

「どうやら犠牲者はいなかったようだ。私たちの早めの処置が功を奏したな」

「へえ……って、何でお前がここにいるんだよ」


 東京駅前で巨大カニが暴走し、それに二回りくらいでかいティラノサウルスをぶつけて無理やり倒した、数日後。オレはいつものように交番で前日に起きた交通事故の調書を作っていた。その職場に、いつの間にかヤツがいた。


「お前が仕事をしている時に私が家に一人では、寂しいからな」

「嘘つけ、これっぽっちも寂しいとか思ってねえだろ。また寂しいと言い表す気がするけど実感がわかない、みたいなやつじゃねえのか」

「言ってくれるな。私がそこまで血の通っていない女に見えるか?」

「だって前に言ってただろ、喜ぶべき場面だとは分かってもどう体で表現すればいいのか分からない、とか」


 ヤツは道に迷った人、待ち合わせ中にはぐれた人をいったん落ち着かせ座らせるためにあるソファを陣取って、のんびり腕に埋め込まれた画面をいじっていた。ヤツが来たばかりの時こそ同僚たちはぎょっとしてヤツを見ていたが、十五分もすると慣れたのか、ヤツを含めていつもの光景に戻ってしまった。


「ふむ、確かにそう言ったな。しかし今回は違ったぞ。無造作な男の一人暮らしの部屋に昼間中一人でいることを考えるだけで、怖ささえ感じたんだ」


がたっ。


 ヤツがそう言った瞬間、オレのデスクの隣で同僚が目を丸くして立ち上がった。そのままカクカクと首をこちらに向けて、ぱくぱく口を開いた。


「淀川お前……この子と同居してるのかよ」

「え? まあ……」

「やべえなお前」


 同僚はそれだけ言って座ってしまった。もう少し何か言いたいようだったが、口をつぐんでしまった。オレをからかうなら最後まで言え。


「なんか分かる気はするけど……何がやべえんだよ」

「だってお前、年頃の女の子と同居って、控えめに言って頭おかしくねえか」

「頭おかしいは言い過ぎだろ、だいたいヤツが勝手に上がり込んで……」

「てっきり近くの部屋に住んでて様子を時々見てるのかと思ったら。ニュースにも出てたぜ、お前ら手つないでただろ。ばっちりデキてるじゃねえか」

「それは……」


 手をつないでいたのは事実だから、オレは言い返せなかった。


「ニュースをちゃんと見たか? 手をつないでいたのはあの巨大カニを倒すためだ。あれ以上に大きな恐竜を生み出すために、この男の体力が必要だったんだ」

「え、まさかお前、そんなとこまで進展してたのか」

「ちげえよ」


 ヤツが腕から目を話すことなく補足したが、同僚はますます誤解しているようだった。


「十も年下の女の子に手ぇ出してどうするんだよ、しかも相手は政府のお偉いさんだぜ?」

「だから手出してないって言ってるだろ。そんなお偉いさんが近くにいるなんて、オレも怖えよ」


「おーい、仕事しろよ。調書作りだけで暇だっつっても、ノルマはあるんだからな」


 ヒートアップするかしないかというところで、山内さんが声を上げた。オレも同僚の方もそれで黙って、調書作りに戻った。ただ一人ヤツだけ、もう少し弁明したかったのか不満そうな顔をしていた。


「庵郷さん、落ち着いてください。ここに来られた本当の目的は何ですか?」

「その呼び方はやめろ、私はこの苗字があまり好きではないんだ。せめて凛紗と呼べ。それに、他の目的などないぞ」


 立場上のことを考えたのか、山内さんはヤツに向かって丁寧な口調で話した。対するヤツの方はというとぶっきらぼうな返事。


「……マジで寂しいって理由で来たのかよ」

「この状況でわざわざ嘘をつく理由がないだろう。特別な事情でここに来たわけではない。……ああ、お前が私に対してやましいことをしていない、と弁明するのが特別な事情と言うなら、話は別だが」

「え?」


 オレが追加の説明を待っていると、ヤツは立ち上がってオレの隣の椅子に座った。ヤツに話しかけるために立っていた山内さんの椅子が陣取られた。


「やはり私の見立ては正しかったようだ。こいつは妙に誠実な男だ、ろくなことを言わないが私に手を出さないだけの一人前の理性はある」

「ろくなこと言わないってなんだよ」

「加えて窮地に陥った時に率先して私の不安を取り除いてくれる。いざという時でも他人の気遣いが自然にできる奴はありふれているようで、意外に少ない」

「……え」


 急に褒められたのでオレは固まってしまった。まさかヤツが、オレを褒める日が来ようとは。


「そうなんすか淀川さん」

「え、いや、その」


 普段は褒められるだけではそうそう照れたりなどはしないのだが、この時は別だった。なんだかいつも厳しくて叱ってばかりの先生に急に褒められたのと同じ気分だった。少なくともオレは、その日の退勤までずっと浮かれていたくらいには嬉しく思っていた。



「……って、どういう風の吹き回しだよ」


 ヤツが途中で帰るそぶりを見せなかったせいで、帰りはヤツと一緒になった。あまりに珍しいことだと思ったオレは、思い切って聞いてみた。


「ふむ。特に褒めてやろうと思って褒めたわけではないんだが」


 するとヤツは少し考えた後、そんなことを言った。


「気がつくと褒めたことになっていた、というところか。まあ私が勝手に転がり込んだくせに、家主のお前が不遇であり続けている今の状況を考え直さねば、と思ったのは事実だ」

「……なんか、いろいろ心当たりがあるな」

「奇遇だな。私も複数思い当たる」


 オレが自分のことを不遇だなと思うのは、ベッドがヤツ専用になってここ最近ずっと床に置いた寝袋で寝ていること、明るいうちから風呂に浸かろうと気合を入れて早めに湯を張った時に限ってヤツがそそくさと先に入ってしまうこと、ヤツがやたら早起きなせいで毎朝家を出る二時間前には叩き起こされることくらいか。最後に関しては助かっている時もあるが、毎朝はやはりつらい。


 対してヤツの懸念はベッドの話だけオレと共通で、あとはいつも晩飯を作る担当がオレになってしまっていることや、ヤツが作ってくれる弁当の中身が毎度毎度可愛らしくてオレが恥をかいているかもしれないということだった。弁当をヤツに作ってもらってるあたり、デキてるとか言われても文句が言えない気がしてきたが、残念ながらその話はオレの方からお断りだ。


「そういや、なんか弁当作ってもらうのが当たり前になってたな」

「気にする必要はない。私が居候の身である以上、私には何らかの助力をする義務がある。それだけの話だ」

「かっこいいこと言いやがって」


 ヤツが軽く下を向いた。気づかれないように覗き込むと、少し口端がほころんでいた。たぶん嬉しいんだろうな、と分かった。やっぱりヤツはうちに来たばかりの頃より、ずっと感情豊かになっている。


「……ああ、そうだ。今度の休みはいつだ?」

「今度つったら、木曜日だっけか」

「ちょうどいい。その日も出かけることになった。覚えておいてくれ」

「それはオレも行かないとダメか?」

「ああ、もちろんだ。むしろ、お前がいてこそ意味がある」


 そうまでしてオレと行きたい場所なんか、東京にあるのだろうか。と考えてから、ふとオレとヤツがデキてるんじゃないのか、という同僚の言葉が頭をよぎってぎょっとした。いや待て、もしこのタイミングでデートにでも誘われでもしたら……。


「次の目的地は、東京都立中央高校だ」



 少なくともデートでないことだけは分かった。

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