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21MB 虚構世界のメカニズム

 もう一度エレベーターが動き始めると、今度のガラス越しに見える景色は一変していた。さっきまでの星空のようなきれいさはどこへ行ったのか、先ほどのカプセル入りの人間がひたすら並べられたものに変わった。それは薬局のバックヤードにある処方薬のようにあまりに規則的に並べられていて、オレは不気味ささえ感じた。


「……街全体が虚構世界と化してしまった東京で、どうやって人間を生かすのか。それが新東京政府にとっての課題だった」


 オレが目の前の景色に耐えられなくなって目を逸らしたタイミングで、ヤツが話し始めた。機会をうかがっていたらしい。


「もともと遅かれ早かれ東京を虚構世界に置き換える計画だったから、その研究は当然行われていた。ただ、まだ実用段階には至っていなかった」


 ヤツはそう言いつつ、腕に埋め込まれたデバイスでエレベーターの壁に映像を映し出した。



『i^2=-1 i^4=1』



 オレの頭を悩ませる数式がそこにはあった。やった覚えがあるような、ないような。


「新東京政府が中心となって研究していた虚構世界は、すべてこのわずかな情報量しか持たない式から構築されている。特に左の式を現実世界に応用したことが、画期的な発明とされた」

「左の式……二乗の方か」

「虚数単位iは現実には存在しない数だ。しかしそれを二度掛け合わせることによって、現実になる。研究者でこれを理解していない者などいない。だが具現化するための具体的な方策を見つけるのは、至難の業だった」


 ヤツはいったん一息挟んでから、説明を続けた。


「しかし素粒子同士を人工的に衝突させる実験を繰り返した結果、ある一定の確率で素粒子の持つ重力が異常に圧縮されて歪みが生まれることが分かった。このいわばブラックホールを厳重な条件のもとで管理すれば、虚構世界の()に変化することを発見した研究者がいた。そして、一度安定化に成功すれば人間の管理できる程度の速度で成長を続けることも判明した」

「ブラックホールが、成長する?」

「細部まで理解する必要はない。要はいろいろ実験をして、ごく小さな――そうだな、米粒くらいの虚構世界を生み出すことに成功した、というわけだ」

「米粒……」


 オレの手で閉じ込めて、握りつぶすことだってできるようなサイズだ。最初はそんな小さなところから始まったらしい。


「通常その手のものは指数関数的な成長、増殖をするものだが、”虚構世界”は特殊だった。あとはタイムリミットまでに、人間たちが虚構世界で生きるための方法を開発するだけだった」


 そこまで言うと、ヤツは画面内の消しゴムで右の式を消して、それから左の式も書き換えた。



『i×i=-1』



「さっきも言った通り、虚数単位iは二個掛け合わせれば現実に存在する数となる。もともと現実世界にあったものを虚構のもの二つに複製して、一方を危害の加えられない場所に保存しておき、もう一方を仮想都市で動かす。これが現在採用されている方法だ」

「……はあ」

「お前を例に取ろう。東京駅に到着して改札を抜けるときに、空港のようなボディスキャンを受けなかったか?」

「……ああ、そういえば」


 リニア新幹線を降りるとやたらと並ばされるという話は、東京に行く前から何となく聞いていた。そして実際、三十分くらいは並んだ記憶がある。並んだ先にあったのは、何だか仰々しい金属製のゲートだった。


「あれはお前のコピーを作るための装置だ。その時点でお前の本体の方はこの格納施設に保存され、スキャンされて出てきた時にはお前は仮想的な存在になっている。私が先に見せたかったのはその、"もう一人のお前"だ」

「……気持ち悪いな」

「あれらが死人でないことは、理解してくれたか? 格納されている彼らは全員、今も東京のどこかで普通の生活を送っている」

「……そうだったのか」


 ようやく、オレが早とちりしていただけだったということが分かった。オレは思わずヤツに怖い思いをさせてしまったことを詫びた。


「……ふむ。怖いとは思っていないが、お前がいつもとは違う様子であったことは理解した。ろくな説明をせずにあの光景を見せた私の過失だ」


 ヤツが言い終わるのとほとんど同時に、エレベーターが到着してドアが開いた。そこはさっきの場所に比べれば少し薄暗く、それはそれで不気味さを感じさせた。


「2020年のあの事件で人口は大幅に減少したものの、東京に出入りする人の数は相変わらず莫大だ。彼ら全ての複製を保存するためには、これまた莫大なスペースが必要だ。新東京政府が保存場所に選んだのは、この東京駅丸の内南口の地下だった」


 ヤツがエレベーターのドア近くにあった彫刻のような掲示を指差した。最下層らしいこの場所は、政府要人たちSPがつくような人間のコピーが保存されている場所のようだった。


「ここの管理は他よりさらに厳重だ。私が新東京政府の理事だからすんなりと入れているが、たとえ警察高官でも一筋縄ではいかない」

「……でも日本の中央政府は今、横浜にあるよな」

「そうだ。だから今ここは新東京政府の者専用のスペースになっている。収容場所も上に比べて小さい」


 オレがぐるっと一周見渡すと、確かにその場所は狭く感じた。一番奥がどこか、というのもすぐに分かった。ヤツが歩き始めたのに従って、オレもついていった。


「ちなみにこの地下施設は今も拡大を続けている。いつ何時東京に流入する人口が増えるのか、予想できないからな。それから、かつての犠牲者を蘇生させた時のために」

「犠牲者を蘇生……?」

「ああ。おそらく新東京政府が今一番力を入れているのは、その研究だ。辛うじて"概念"として残った2020年の事故の犠牲者をどう生き返らせ、生まれ変わった東京にどう馴染ませるか。それが」



 その時。

 地震のような強い揺れであり、しかし一瞬の衝撃がオレたちを襲った。



「なっ……!?」

「今の衝撃……ここまで響くとは相当だぞ」


 ヤツはオレと違って落ち着いているようだったが、天井の方をにらんでいた。


「今の……どこから」

「おそらく地上からだ。この地下は地震程度の衝撃では揺れも音もしないようにできている。地上で爆発か何かがあり、それがここまで伝わったと考えるしかない。ほとんどありえないがな」


 ヤツはそう言うと、再び何事もなかったかのように歩き始めた。まるでオレに疑問をぶつけてくれとでも、言いたいかのように。


「地上には出ないのか」

「……それは理解した上で尋ねていると信じたいんだが。確かに地下にいれば地上の影響がいずれ及ぶとも考えられるが、それ以上に地上で何が起こっているのか、私たちは全く分かっていない。その状態で飛び出すのは危険極まりない」


 そこは最下層のVIPルームだけあって、オレたちの他にも人が何人かうろうろしていた。おそらく新東京政府の職員なんだろう。その人たちから地上の状況が聞けるまで待つのが得策だ。ヤツはそう言った。


「……だが、それも叶わないようだ」

「え?」


 オレがどういうこと、と聞き返す前に、ばきっ、と勢いのいい音がした。近くの天井がひび割れ、かけらがポロポロと落ちていた。


「こうなれば話は別だ」

「……ああ」


 わざわざ声をかけ合う必要もなかった。オレたちは同時に走り出してエレベーターに飛び乗り、一気に地上を目指した。


「こ、これは……」

「ほう、なかなかやるな」


 エレベーターの外の景色が、この短時間で一変していた。散りばめられた星々の輝きを貫いて、甲殻類の足のようなものが突き刺さっていたのだ。いろんな人たちのコピーが保存されているカプセルがめちゃくちゃになっているのが、一目で分かった。

 カニそのものと言える、オレの背丈の倍か三倍ほどの大きさの赤い足。しかしカニにしては妙に毛だらけで、グロテスクそのものだった。

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