20MB 丸の内南口の地下
「さあ、行こう。新東京政府理事権限で、内部調査を許可された」
「……は?」
オレは思わず真顔で聞き返してしまった。しかしヤツは構わずうんともすんとも言わない改札を通り抜けて中に入っていってしまった。女性駅員さんもにこやかに笑って軽くうなずくだけだった。
「待てよ……!」
オレはヤツの後を追って、慌ててただの置物と化した改札を抜けた。
「ちょっとお前! 待てって……!」
さっきまでの人混みが嘘のように、改札の中はしんとしていた。山手線乗り場を示す案内表示ももはや、誰も見向きもしない情報しか持っていない。
「東京駅の丸の内南口改札内には、新東京政府直轄のとある施設がある。無論、一般人は立入禁止だ」
ヤツはそう言いながら、もともと関係者以外立入禁止だったのだろう扉の前で立ち止まって、特に悩むそぶりもなく右手を扉に押し当てて、開錠してみせた。
「この中だ。まあ新東京政府としては一般公開をしてもいい場所は存在するんだが、わざわざここまで入って今から見るような光景を見たい奴は、そうそういないんだろう」
「そんなにヤバいとこなのか」
「まあ少なくとも、事情を知らない人間にとっては衝撃的だ。間違いなくな」
ヤツはにやりと笑って、オレに先に入るように言った。オレの後に続いてヤツが扉を閉めると、重たい音とともに辺りは暗闇と化した。
「すぐ正面にエレベーターがある。それに乗り込もう」
オレはまさかこんな暗闇に入ることになるとは思ってもいなかったので、懐中電灯を持っていなかった。しかし中に入って数歩のところに確かにエレベーターがあって、明るくする必要はなかった。オレとヤツが乗り込むとドアが閉まり、ゆっくり下へ下へと向かい始めた。
「東京は仮想世界だ」
するとヤツがいつものように突拍子もなく話し始めた。普段使うマンションのエレベーターよりずっとスピードが遅く退屈だったので、いい暇つぶしになるだろうと思ってヤツの話を聞くことにした。
「その実態は”虚構”の概念を具現化したものであり、”現実”とは正反対の存在だ。虚構空間において、”現実”そのものである人間は存在できない。特に何の処理も行わずに虚構空間に立ち入った瞬間、人間は跡形もなく消え去ってしまう」
「跡形もなく消え去る、か」
オレは透明なガラスから見えるエレベーターの外の様子を見つめながら、ヤツの言葉を反復した。ずっと真っ暗闇が続くのかと思いきや、下がり始めてすぐに満天の星空のような、きれいな景色がオレの視界を覆った。オレの地元はそこそこの田舎だが、そこでもそんなにきれいに見えたことはなかった。
「2120年の例の事故は正午近くに起きた。当時の東京都の昼間人口は1200万人。犠牲者は推定、900万人だった」
「900万人?」
「新東京政府の前身である研究機関が、事前に東京都民に対して虚構化実験のリスクを説明した警告文書を送ったという話は、以前したな? その警告に従って都外に転居したのがおよそ300万人だ。逆に従わなかった人は全員、巻き込まれて亡くなったということになる」
「そんな……」
あの事故が大災害だということは十分理解していたつもりだったが、そこまで深刻だったとは思ってもみなかった。あの事故について詳しく調べる機会もあまりなかった。
「この件については賛否両論ある。900万人もの死者を出した激甚災害であるにもかかわらず、な」
「……警告したんだから出て行かなかったのは自業自得だ、ってことか」
「その通りだ」
こればかりはヤツの言いたいことが分かった。その考え方をしたくなる気持ちは、分からなくもない。そんな言い訳で逃げられると思ったら大間違いだが。
「しかし当然死者を擁護する意見も出た。第一、虚構化という概念自体、一般人には到底理解できないものだ。私は理解しているが、お前の様子を見て難しい理論であることが分かった」
「……バカで悪かったな」
「いや。正直なところ、関係者でない限り理解できている者はいないはずだ。そもそも機密事項となっている情報も多い。理解できなければ、当然危険性を認識することはできない」
エレベーターはどんどん下がってゆく。もうビル何階分下がったのだろうか。そう思いつつ、オレはどんどん星の数が増えてゆく星空を見つめていた。
「つまり部外者ではお前がその事情を知る第一号となる。あまり外に言いふらすなよ?」
「……分かったよ」
五分ほどエレベーターで降りたところで、チン、と音を立てて扉が開いた。妙に明るい空間がオレたちを出迎える。一面リノリウムで覆われた、無機質な部屋だった。そして視界のほとんどを覆ってきたのは、
――見渡す限りの人。人。人――――
「な……」
エレベーターを取り囲むように、数えられないほどの人がいた。しかも全員、すっぽりと入るようなカプセルに入れられ、青く透き通った液体に漬け込まれて。
「おい! これ……!!」
「落ち着け」
ヤツはそんな異常な光景に特に動じる様子もなく、どんどん奥に進んでいく。オレも後を追ったが、進んでも進んでもカプセル入りの人ばかりで、まるで景色が変わった気がしなかった。
「個人識別カードは持っているか? 見せてくれ」
「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ! ここどこだよ? 何だよこの人たちは……!」
「……そうか」
ヤツはそれでも落ち着いた様子で、ため息までついてみせた。オレは混乱と怒りで頭の中がいっぱいだった。
「その様子だと、先に事情を説明する必要がありそうだな。実物を先に見た方が、より印象に残ると思ったんだが」
「説明……」
そう言うと、ヤツは軽く咳払いをした。
「先に言っておくが、ここにいる人たちは新東京政府が秘密裏に殺害して死体を隠している――などということはない。この人たちは全員、生きている」
「あんな得体の知れない液体に漬けておいて何が生きてるだよ。とっくに溺れ死んでるんだろ」
「……駄目だな。まるで説明を聞く気がない。やはり見せない方がよかったか」
「なんだと」
オレはヤツの首根っこをつかみそうになる衝動を、すんでのところで抑えた。もうあと数センチ手を伸ばせば、ヤツの真っ白な首元に届きそうなところだった。
「説明を先にするとなれば、これまで同様に虚構世界の非現実性をよく理解する必要がある。それでもいいんだな?」
「……納得いく説明ができるってんなら、やってみろよ」
「納得いく説明、か。それは難しい話だ。何せまだ虚構世界そのものに対しても理解の薄い相手だ、私もそこまで噛み砕いた説明が上手くできる自信はない」
「お前……いちいち人を怒らせることばっか」
「……怒っているのか?」
オレははっとした。予想外の返答だった。おそるおそるヤツの表情をうかがった。
「……そうか。怒っていたのか」
ヤツの表情は困惑そのものだった。まるで、オレが今までのやり取りにイライラしていたのが、全く伝わっていなかった、とでも言うような。ヤツは右手の甲を額に当てて、しばらく考え込むような仕草を見せた。オレも何も言えずに、その場にしばし沈黙が訪れた。
「……オレは、納得いく説明をしてほしいだけだ。こんな光景初めて見たら、誰だってびっくりするに決まってる」
オレが先に折れて、そう口にした。今の時間で、ヤツがオレを煽るためにあれこれ言っていたわけではない、ということは十分分かった。
「……そうか。私もなるべくお前を苛立たせないような説明を、試みよう」
ヤツはそれだけ言って、エレベーターの方へ戻っていった。そのままエレベーターに乗り込むのを見てオレが急いで一緒に乗ると、エレベーターはさらに下へと進んでいった。