17MB 地下の逃避行
「……っ!」
もう四月で春はとっくに来ているはずなのに、地下は肌寒く感じた。むちゃくちゃに走り回って十分すぎるほど暖まったはずなのにそう感じたのだから、よほどなのだろう。
果たしてヤツの威嚇代わりの破壊光線は、抜群の効果を発揮した。直撃を受けた奴はその場に次々と倒れるし、命中しなくてもそのまぶしさで怯ませることには成功した。
「よかった、なんとかなってるみたいだ」
「あまりしゃべらない方がいいぞ。私はともかく、ここでお前がむやみに体力を消費していてはまずい」
その言葉でオレは少しはっとした。ヤツが攻撃するのに使っているのはオレの体力だ、というヤツの言葉を思い出したのだ。
「分かった……!」
オレはそれだけ手短に言って以降、とにかく走り回って安全に出られる出口を探すことに集中した。
「ああ、もういい。鬱陶しいな」
変装のままだと逃げにくいと感じたのか、思い切ってヤツが服を脱ぎ捨てた。中からはいつも通り制服らしいカタイ服を着たヤツそのものが出てきた。シャンプーの鼻に抜けるすっとした香り。先の方まで整った亜麻色の髪が風になびいた。
「……ふう」
「お前……!」
「真面目な仕事をしている時まで、服にこだわるような余裕はない。お前もそう思うだろう?」
やはり変装を脱ぎ捨てて身軽になったのか、ヤツの足が心なしか速くなったようにオレは感じた。
「ほう……潜入捜査官は男ばかりだと思っていたのですが、女性もいたんですね。舐められたものです」
さっきの男性の声が、館内放送のようにこだましてオレたちにも聞こえた。それに鼓舞されたように、ぴったりオレたちにくっついて追いかけてきていたチンピラどもが雄叫びをあげた。
「そうか……この時代になってもまだそうのたまう連中がいたとは。悲しい話だ」
正体を現したヤツに遠慮はなかった。オレの右手をよりいっそう強く握って、完全に食らわせる気で破壊光線を放っていた。オレは前を見て少しでも分かれ道らしきところを探すのに必死で、後ろを振り返る余裕はなかったが、直撃を食らって連中がうめき声を上げるのは聞こえていた。
「くそっ……きりがないな」
ヤツがぼやいた。オレの手がつぶされそうなほどに握りしめられる。わざとやっているわけではないのは分かっているが、痛いと伝えるためにオレは強く握り返した。
「少し揺れるぞ」
オレの意図は全く伝わっていなかった。揺れるって何がだよ、と聞き返す前に、ヤツは破壊光線を天井に向けた。大穴が空いてがれきがオレたちとチンピラどもの間に割り込み、ひとまず追っ手の大半は対処できたようだった。
「……やることが豪快だな」
「どうせ私たちが脱出した後、ここはまとめて封鎖なり証拠隠滅なりするさ。なにせ、食糧不足のあまり人間を食べるような連中が集まる場所だからな。それならば、多少壊しても問題あるまい」
しかし天井を壊すのが大々的すぎたか、逃げているオレたちの方まで天井のかけらが落ちてくるようになった。一度刺激を与えたせいか、その速度はみるみるうちに増してゆく。いよいよばらりと剥がれた天井がオレたちを押しつぶすべく落ちてきたタイミングで、オレは右に曲がる道があるのに気づいた。迷うことなくヤツの腕を強く引いて、その道の方へ飛び込む。
「死ぬかと思った……!」
「少々派手にやりすぎたな。上の違法カジノの床も脆弱になったかもしれない」
やはりというべきか、ヤツは妙に落ち着いていた。上の階の床が弱くなったということは、もしかしたらそのまま辺り一帯が崩れてしまうかもしれない、とオレでも分かったのに。
「どうする? ある程度危険は減っただろうが、出口を見つけなければらちが明かないことに変わりはない。かと言って、このままむやみに走り続けていてもきりがない」
「ああ。分かってる」
オレはそう返事しつつ、他の捜査官たちのことが気になっていた。今もまだチンピラたちに混じっているのか、それともオレたちの危機を見てすでに脱出したのか。あるいは、
「今は私たちが脱出することが重要だ。上の階が異様に大騒ぎしていないということは、おそらく他の捜査官はばれていない。となれば、私たちが脱出した後でどうとでもなる。もちろん、なるべく早く私たちが脱出することが前提ではあるがな」
……オレたちと同じように、人食いの連中に追いかけられているか。しかしヤツの言葉で、オレの不安は少し解消された。聞こえは悪いかもしれないが、今はオレたちのことだけを考えていればいいのだ。
「……分かった。行くぞ」
オレは一つ決めてヤツの左手を握り、立ち上がった。
「どうするつもりだ?」
「見てろ。あの扉があるなら、まだ望みはある」
オレは今入ったばかりの脇道の奥にある、非常扉に似た重そうな扉を指差した。一目見て使われていないことが分かるほど、脇道は一層暗く、扉はさびついていた。
「懐中電灯みたいな明かり、用意できるか」
「……あ、ああ。できなくはないが」
逃げる時にどうやら、懐中電灯を落としてしまったようだった。オレはヤツに頼んで、ヤツの腕に埋め込まれたデバイスが発する光を頼りに、扉の先を進んだ。
「騒がしさがなくなったな」
「そりゃそうだ、遠ざかってるんだから」
だんだん静かになっていくにつれ、むしろオレは自信をつけた。オレの中でもしかして、が確かなものに変わったのだ。
「あった」
たまにひたひたと水のしたたれる音が聞こえる程度の静かさしかない、暗くて狭い道。曲がり角もない、ただただまっすぐな道だった。そこを十分ほど進むと、入った時と同じようなさびついた扉が現れた。オレは迷うことなく扉を開けて、外に出た。
「ここは……?」
「別の駅だ」
「別の駅だと?」
すでに電気が来ておらず暗くなった駅名標が、すぐ近くにあった。指差して、ヤツも見るように言った。
「末広町駅……確かに、秋葉原からそう遠くはないが」
「さっきのは、職員専用通路だ。東京の地下鉄には関係者以外立入禁止の隠し通路があるって、友達が言ってた」
「お前……それを真に受けていたのか? 偶然見つかったからよかったものの」
数年前のあの事件以来、基本的に鉄道はなくなったらしいから、ここもやはり遺構であることに変わりはない。しかし遺構として残っているなら、この職員専用通路も残っていてもおかしくない、と考えた。昔友達が言っていたのを、オレは思い出したのだ。
「いや、そんなあいまいな記憶だけじゃ動かないさ。聞いたんだよ、さっきお前と死角にいた時に、メールで」
「……ほう?」
地下のどこかも分からない場所だったし、そもそも大学に入ってからは疎遠になっていて、すぐに返信が来る保証はなかった。そこは偶然かもしれない。
「……まあいい。偶然でもなんでも、とにかく逃げることはできたんだな?」
「ああ。あの階段を上れば、大丈夫なはずだ」
オレたちの目の前にはすでに、元は改札階につながっていたのだろう階段があった。しん、という音が聞こえてきそうな静かさの中にオレの声がこだまするのを聞きながら、オレはヤツの手を引いて階段を上がった。
「……!」
天井から落ちかけている案内表示を頼りに何とか地上に出られる出口を探し当てたところで、電話がかかってきた。相手ははぐれた同僚の潜入捜査官の一人だった。
「淀川さん! なんか追いかけ回されてたらしいですけど、大丈夫なんですか」
「なんとか。今ちょうど元末広町駅のところにいる。落ち合えるかな」
「末広町ですか? 分かりました、そっちに行きます」
オレはその言葉を聞いて、ヤツに向かってグーサインを出した。ヤツもその意味を察して、オレに笑いかけてくれた。