16MB 廃墟地下の交番
「なんだ、人いたのか……」
「驚かせてしまったようで申し訳ない。狭い場所ですが、落ち着いてお話どうですか」
「ええ、ぜひ」
オレはようやくまともそうな人間(もちろんヤツはまともじゃない!)を見つけられて、安心していた。駅の真ん中に立つ交番は確かに広くはなかったが、オレの所属する交番と同じくらいだった。
オレはその小太りの男性の後に続いて交番に入ったのだが、すでに交番の中にいたヤツにシャツの裾をぐいっ、と引っ張られた。
「なんだよ」
「……いや、なんでもない」
何がしたいんだ、と思いつつ、オレは勧められた椅子に座った。ヤツはオレの後ろにぴったりとくっついて、腕組みをして男性の方を見ていた。
「よくぞこんなところまでおいでくださいました……」
「こんなところに交番って……どうなってるんですか」
「昔はこの交番も、地上にあったんですがね。ほどなくして秋葉原の地上が廃墟になってから、地下に移設することになりました。なにぶん、ずっと地上にいては新しく流れ込んでくるならず者たちの格好の的になってしまいますから」
「はあ……なるほど」
むしろ地上のまま増員したほうが秋葉原の治安維持のためになるんじゃないかとオレは思ったが、とりあえず最後まで話を聞いてみることにした。
「秋葉原交番ってことみたいですけど、……現役なんですか」
「ええ、もちろん。見かけ上廃墟ということもあって、ほとんど見捨てられているも同然ですがね。見捨てられているからこそ、増員が来ないんですよ」
つまり秋葉原交番には、この男性一人しかいないらしい。すぐ上に巨大な違法カジノが広がっているのに、どう考えても一人しか割り振られないのはおかしい。交番二、三箇所分の人員は必要だろう。まだまだ新人のオレの感覚だから、本当のところは分からないが。
「……おい、お前」
「はい?」
そのタイミングで、それまで黙って流れを見守っていたヤツが口を開いた。初対面の相手に対しても遠慮のない、偉そうな口調だった。今度はオレがその高圧的な態度やめろ、という意味を込めてヤツの袖をぐい、と引っ張ったのだが、ヤツは気にすることなく続けた。
「このすぐ上に、違法カジノが広がっているが。知っているか?」
「ああ、その話ですか。もちろん、知っております。察するに、潜入捜査官……といったところでしょうか」
「ほう、分かるのか」
「ええ、まあ。本当に普段からカジノに出入りしているのなら、『違法』などという言葉はわざわざつけないでしょうから」
「なるほどな。その通り、潜入捜査官だ。しかしコイツがヘマをしでかして正体がバレかけてな。逃げ着いた先がここだったというわけだ」
オレは立ち上がって文句を言いたかったが、すんでのところで自制した。オレがヘマをしでかしたというのは間違っている、はずだ。構内に入った瞬間にバレたのだから。
「ああ、そうでしたか。それはそれは」
男性は偉そうなヤツに対しても、柔和な笑顔で接していた。オレもだいぶヤツの態度に慣れてムッとすることはなくなったが、初めて会った偉そうな人にこうも穏やかにできる人は珍しいだろう。
「わたしもカジノが広がり始めた頃は躍起になって対策しようとしたのですが……なにぶん手が負えないスピードで拡大した挙句、あっという間に向こうの持つ武器の方が強力になってしまって。それでいて増援を呼んでも来ないものですから、今は警察が制圧するどころか、ぎりぎりの契約をして、ここで何とか生きながらえさせてもらっている状態です」
「それでこんなところにいるわけだ」
「ええ」
ヤツは不敵な笑み、というのを浮かべてみせた。ヤツの笑みに返す意味だろうか、男性の方もにこやかにしてみせた。
「ああ、そうだ。せっかくのお客さんなのに、何もお出ししていませんでした。少し取ってきますので、お待ちを」
「え、別にいいんですよ」
「いえいえ」
別に長居するつもりもなかったし、オレはやんわりと断ったのだが、男性はいえいえそういうわけには、と言いつつ、交番の外に出てどこかへ行ってしまった。
「……あれ?」
行ってしまってから、オレはふと気づいたことがあって声を上げた。
「どうした?」
再び交番の中を歩き回って手帳や引き出しの中やらを勝手に漁っていたヤツが反応した。
「そういやここって、違法カジノのすぐ下だよな? オレたちに出すものって言ったらお茶とかお菓子なんだろうけど、どっから持ってくるんだ?」
「……はあ。持ってくるわけないだろ」
ヤツが深いため息をついて言った。本当に心底呆れたような態度だった。
「え? じゃあ……」
「そもそも不法に東京に滞在するならず者たちと、お互い不干渉でいるなどという契約が成り立つと思っているのか」
「それはまあ、そう言われれば」
「いつ警察本部に報告されて、捜査官が大量動員されるか分かったものではない。たとえ違法カジノの方が規模が大きいとしても、反逆の芽はさっさと摘み取るに限る」
「え? じゃあ……」
「おそらくあの男も違法カジノのならず者の一員だ。あるいは元警察官だとしても、とっくに毒されているか。……ほら、見ろ」
ヤツは目的のものを見つけたらしく、近くのロッカーを開いてオレに見せた。
「え……マ、マジかよ」
「なんだ……死臭がひどいな」
中に入っていたのは、白骨化した人の死体だった。骨の方が違法カジノのならず者らしい、ボロボロの服を着ていた。しかしそれ以上に特異だったのは、ヤツよりも距離のあったオレにさえ届いた、本能的に吐き気を催す臭い。ヤツがすぐにロッカーを閉めてしまった。
「死臭……って」
「猫に漁られたわけではなさそうだな。なんにせよ、ここは危ない」
「おっと、そうやすやすとは逃がしませんよ? 久しぶりの、活きのいい獲物なんですから」
男性が去っていった方から再び現れた。と思ったら、十数人ほどのチンピラを引き連れていた。ヤツの予想が的中した形だ。チッ、とヤツがあからさまに舌打ちしてみせた。
「……そういうことか」
「どういうことだよ」
「カニバリズムだ。いや、正確には異なるが」
ヤツが説明する間に鋭い銃声が響いた。わずかに掠ったのか、オレの服から少しだけ煙が上がっていた。
「すみませんね……我々もなかなか鮮度のいいものに当たらなくて、気が立っているんですよ。少々我慢をしていただきたい」
「つまり……オレたちを取って食うってのか」
オレはようやくそのことを理解すると同時に、焦って逃げ出そうとした。それをヤツが腕をつかんで引き止めた。
「落ち着け。いいか?」
ヤツもやはり食べられるのは嫌なのだろう。言葉とは裏腹に、ヤツの騒がしい鼓動が伝わってきている気がした。
「私の見立てでは、必ずどこかに別の出口がある。元が地下鉄の駅だからな。その出口を探すんだ」
「お前は……」
「馬鹿を言うな。こんな時に別行動してどうする? ……死ぬ時は一緒だ」
そっちこそバカ言うな。死ぬなんてことを笑いながら言うんじゃねえよ……と言いたいのをオレはこらえた。
「なにぶんこの緊急事態だ、存分にエゴを出させてもらおう。逃げる時は私の手を離すなよ? 私たちが助かるためには、多少の犠牲はやむを得ん」
「あの破壊光線みたいなやつ、人に使っても、」
「大丈夫なはずはないだろうが、使わなければこちらが食べられて死ぬだけだ。私としてもそれはごめんなのでな」
「……分かった」
「それから。私も出口を探すが、もしお前が先に見つけた場合は私の腕を強く引け。その時はお前の判断を信じて、お前についていく。逆も然りだ。いいな?」
「あ、……ああ。分かった」
あやふやながらオレが返事をすると、ヤツは心配するな、とでも言いたげな顔をこちらに向け、笑ってみせた。
「遺言は終わりですか。といっても、あまり聞いていませんでしたがね」
さっきまで穏やかに話していた男性が、同じ口調でオレたちに嘲るような言葉を吐いた。オレが唇を噛んで何も言えずにいる横で、ヤツは少し楽しそうにさえ聞こえる声で言い返した。
「ああ、残念だ。せっかくお前たちの遺言が聞けると思って、相談でもして待っていようと思っていたんだが。まさか、逆に待たれていたとはな」
ヤツが言い終わろうとしたその時。すっくと立ち上がって、オレに手を差し出した。応えてつなぎ返した瞬間に、辺りが地上よりずっとまばゆい光で覆われた。