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15MB 少女の記憶

「……っは! くっそ……っ!」


 手首を引っ張るとヤツは素直についてきてくれた。ついてきてはくれたのだが、さすがにヤツの身に危険が及ばないよう注意を向けつつ逃げるのは骨が折れた。なんとか人気のない物陰を見つけることができ、オレはその場に座り込んでひとまず息を整えようとした。


「なんで警察が追いかけられなくちゃいけねえんだよ……」

「なかなか滑稽だったな。ここではならず者の権力の方がずっと強いらしい」


 ヤツは息ひとつ切らさず、そんなふざけたことを言っていた。オレがお面を取っ払ってぜえぜえ言っているのをあざ笑うかのようだった。


「あいつら、大丈夫かな」

「大丈夫そうだな。騒ぎが一旦収まったということは、標的は私たちだけで、あとの捜査官は野次馬にでもまぎれているのだろう」

「なら、いいけど」


 いや、よくはない。違法カジノの捜査は自分の正体がバレずにいることが前提なのだ。オレやヤツに関してはとっとと捜査を打ち切って、いかに安全に『アキバ・ゼロ』を脱出するかを考えるべきなのかもしれない。しかし他の捜査官たちを置いていくわけにもいかない。


「もしや私は間違えたか? どんな規模かも分からない秋葉原に乗り込もうとしているのに、それについていこうなど」

「ハナから間違ってるよ、てめえ……」

「しかし私も私で早く記憶を取り戻さねば。新東京政府の理事は何人もいるとはいえ、一人欠けた状態が長期間続くのは、政府にとっても東京にとってもまずいからな」

「別にちょっと記憶飛んだぐらいじゃ支障にならねえだろ。なんでそんな頑なに戻ろうとしないんだよ」


 ヤツは新東京政府とやらにいた時、警視庁を管轄していたということまで覚えているのだ。それは確かにヤツの仕事の内容で、それが分かっているなら問題ないのではないか。オレはそう思って言ったが、ヤツは軽く首を横に振った。


「いや。それではいけない。私にないのは事件前後の記憶(・・・・・・・)だ。事件前、事件後のことはこれだけはっきりと覚えているのに、なぜ事件のことだけすっぽりと記憶から抜け落ちているのか。不思議だとは思わないか?」

「あの事件の時になんか頭にケガして、記憶が飛んだんじゃないのか?」

「それなら事件前も含めて全て消えているはずだろう? 偶然そんなきれいな忘れ方ができるか?」


 そこまで言われて、オレはいぶかしみつつヤツが言いたいだろうことを代わりに口にした。


「要は、誰かに記憶を操作されてる、って言いたいのかよ」

「少なくとも私はそう見ている。誰が何のために操作したのかは分からんがな。だがもしそれが本当だとしたら、私のあらゆる感情を奪ったのもそいつだと思っている」


 ヤツはオレと会ったばかりの頃と、ずいぶん変わっている。ヤツが純粋な笑顔をするようになっただけで、かなり印象が変わったとオレは感じていた。相変わらず、どうして突然ヤツがそんなことになったのかは分からないが。


「だからこそ、私はお前の行動を詳細に観察しなければならない。私がどうして、警察官の端くれとも言えるお前のことを最初から知っていたのか。その理由も、消えた記憶の中にあるはずだ」

「え……?」


 しれっとヤツが言ったことに、オレは心がざわつく程度には驚いていた。ヤツが警察と関係が深いものだから、てっきりオレの元に来る前に調べたんじゃないかと思っていた。


「どうした?」

「オレの名前を最初から知ってたって……」

「ただそれだけだ。どんな奴だとか、どんな関係があったのかとか、そんなことは全く覚えていない。もし何らかの関係があったとしても、その記憶も奪われているんだろうな」

「だってオレ、……まだ東京に来て一年だぜ?」

「私は十三歳だぞ? この十三年の間、お前は一度も東京を訪れなかったのか?」

「いや、旅行には来てたと思うけど。それでも生まれたてのお前に会ったのかもしれない、ってことだろ? そんな時のことを覚えてるなんて、とても思えない」

「それは私も信じていない」


 だが覚えているものは仕方ない、とでも来るかと予想していたが、急にヤツは否定の言葉を発した。オレは少し想定外だった返事に一瞬、きょとんとした。


「生まれて間もない、父親や母親に頼ることしかできない時期だ。その時会った人物など覚えているはずがない。その考え方には、私も同意だ。しかしお前の名前を記憶しているというのも、またまぎれもない事実だ。その謎も、私自身で解決しなければならない」


 そこまで言うと、ヤツは立ち上がった。オレに行くぞ、と声をかける代わりのような行動だった。


「そのためにはお前にも私と同じくらい、東京を知ってもらう必要がある。なぜいつまで経ってもこんなカジノがなくならず、拡大を続けるのか。それもその一つだ」

「あ、ああ……」


 ヤツの話を物陰で聞いていたこともあって、少し頭から抜けかけていた。今オレたちがいるのは、東京でも最大の規模を誇る『アキバ・ゼロ』の違法カジノなのだ。おそらく東京中で、最も危険な場所。


「どうやらこちらにも、道があるようだ。今表に出てもならず者たちを刺激するだけだろう、こちらに行ってみよう」


 そう言いつつ、ヤツはこれまで逃げてきた道とは反対方向を指差した。来た道の方はこれ以上ないほど明るく、いつも通りらしい喧騒があった。しかし物陰のさらに奥には地上と同じような、あるいはそれ以上の暗さが広がっていた。古びたボロボロのビリヤード台をはじめとしたガラクタが無造作に転がったその暗がりの奥には、さらに下へ行く階段がぽっかりと口を開けていた。


「……本気で言ってる?」

「ならお前はあの殺気立った輩の前に堂々と出ていくのか? わざわざ死にに行くために?」

「……それも嫌だけども」

「現状ここを脱出することは不可能だ。ならば不可能なりに、少し冒険してみよう。まぐれで出口が見つかるかもしれん」


 ここはもともと、地下鉄秋葉原駅の構内だったのを改造したもののはずだ。確かに他に出口は見つかるかもしれない、と思い、オレはヤツの言葉に従うことにした。



* * *



「寒気がするな」


 階段を十段ほど降りたところで、ヤツがぼやいた。確かにさっき隠れていた時よりも冷え込んでいる気がした。どこかから風が吹いているのかと思い後ろを振り向くと、たった十段降りただけなのにもう明るささえなくなっていた。オレはいったんため息をついて、腰につけていたポーチから懐中電灯を取り出して()けた。


「なんだ、懐中電灯があるのか。もっと早く出せ」

「びっくりだな。お前、こういうの平気そうなのに」

「私にないのは記憶と感情だけだ。暗闇に対する本能的な恐怖は、備わっていると思うんだが」

「なるほど……」


 妙に真面目に説明されたせいで、オレの中ですっと腑に落ちてしまった。確かにヤツの手首をもう一度握ってみると、ヤツの体が気持ち震えているのが感じられた。


「どうした?」

「怖いんだろ? 手、離すなよ」

「……ほう」


 ふと、ヤツの震えが止まった。返事は相変わらず偉そうだったが、確かにヤツの方から手を握り返してきたのが伝わった。


「ここは……」


 階段をひとしきり下り切ると、また少し開けた場所に出た。相変わらず人気のない、明かりのあの字もないような暗い場所だったが、オレはなんとなくここに来たことがあるような、不思議な感覚に陥った。


「地下鉄の構内だな。もちろん使用している痕跡はないようだが、設備自体はよく残っている」


 言われて懐中電灯であちこち照らしてみると、今オレが歩いているのがホームで、左横には線路、さらにその上には電線も残っていた。もっと左を照らすと、反対方向のホームらしきものも見えた。


「なんか、駅もこんな雰囲気だと不気味でしかないな」

「逆に少々明るくても、より不気味に感じるがな。例えば、目の前のように」

「目の前……おわぁっ」


 ヤツに言われるがまま目の前を見て、オレは思わずその場に尻もちをついてしまった。真っ暗だったはずの廃駅のホームの真ん中ほどに、ぼんやり明かりのついた設備があった。その形は間違いなく、交番だった。おそるおそる照らしてみると、くすんだ中に「秋葉原交番」の文字が読み取れた。


「なんでこんなところに、交番が」

「見ろ、こんな廃墟にどこから電力供給がされているのか分からないが、確かに現役のようだ」


 じりじり後ずさりを決め込んだオレをよそに、ヤツは交番の中にずかずかと入っていった。ヤツの方を照らしてみると、執務机に置いてあった手帳を指差していた。


「え? こんな交番が現役?」

「この手帳、見たところ(ほこり)をかぶっていないようだ。誰かが日常的に触っているんだろう」

「マジかよ……」



「ええ、マジですよ」



「わぁぁぁぁああ!! き、聞こえねえ! オレは何も聞こえねえ……!!」


 オレは聞いてはいけないものを聞いた気がした。いや、どう考えても聞いた。しかしいよいよ腰を抜かしたオレに対し、ヤツは冷静な目でオレの背後を見ていた。


「お騒がせしました、すみません」


 ゆっくりオレが後ろを振り返ると、そこにいたのは幽霊でも鬼でもなかった。少し脂ぎった額をした、警官服を着た小太りのおじさんだった。オレは長い、長いため息をついてから、そっと立ち上がった。

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