13MB 理事直々の潜入捜査
「本気かよ……」
ヤツが違法カジノの潜入捜査に参加すると宣言してから、数日後の捜査当日。オレはげんなりして職場の交番のソファに座っていた。
「どうせ潜入捜査は夕方からだろう? それなら許可を取るのは当日でいい」
ヤツはそう言って本当に朝から警視庁本部に行き、許可を取ってきたようだった。違法カジノは無法地帯だけあって、入り浸っている連中の素性が全く分からない。まだ世間に知られていないだけで凶悪な犯罪者がいるかもしれないのだ。警視庁所属のほとんどの下っ端警察官は潜入捜査官、というのが現状だが、実際は非常に危険な任務なのだ。
「ああ、あの淀川が預かってる子のことか」
「"子"みたいなかわいいのじゃないですよ。憎たらしい口ばっかきくし、やたら偉そうだし」
「ほう、お前はそんな風に思っていたのか」
目の前にいつの間にかヤツがいた。びっくりして立ち上がり、オレはデスクの足に膝をぶつけてしまった。
「お、お前……なんでここに。それにカギは」
「潜入捜査官はいったん集合してから該当のカジノに潜入すると聞いた。所属の交番で待機するのが慣例だそうだから、ひとまずお前と一緒にいればいいだろう。カギはかけたぞ、心配するな」
まずする心配がカギをかけたか、というのになっているあたり、オレはすっかりヤツのいる生活に慣れてしまったらしかった。オレはいったん落ち着こうと、ソファに腰かけた。
「同居人か。いいな、かわいいだろ」
「かわいくなんかないですって。そもそもどんな奴かも分からないのに」
山内さんがからかう。ヤツはにこにこしながらソファのオレの隣に座ってしゃべりだした。
「どうやらお前は知らないらしいが、私は警察の人間にはよく知られていると思うぞ」
「は!?」
嘘つけ、とオレは言おうとしたのだが、山内さんや他の同僚たちは、みな一様にうなずいていた。
「え、なんで」
「新東京政府の理事は私の他にも何人かいる。その中でも私が警視庁の管理を主に担当していたからだ。警察の人間と直接会ったことはなかったが、私の名前が入った通達は警視庁の末端まで馴染みのあるものだったと思うぞ」
ヤツのその言葉で、オレとヤツ以外の全員が再びうなずいた。山内さんが自分の端末から過去の通達文書を開き、オレに見せてくれた。
「ほら、ここ。書いてあるだろ」
「確かに……」
その文書の上の方には機械的な名前表記のほか、毛筆らしき筆跡でヤツの名前があった。
「まあ、まさか庵郷さんがこんなちっこい子だとは夢にも思わなかったけどな」
「ちっこいとは失礼な。あまりこういうことを言うのは好きではないが、立場上私は警視監クラスだぞ?」
警視監と言えば、都道府県警察のトップの人がなる階級だ。こんな小さいくせして、そんな偉そうな立場だったのかと、オレは物珍しそうな目でヤツを見てしまった。
「お前。今同じようなことを思っただろ」
「え? いやいや」
「顔がそう言っていたぞ、全く。私をバカにするのがそんなに面白いか」
ふう、とヤツはため息をついてそう言った。
「……まあいい。話を変えよう。違法カジノの現状を教えてほしい。警視庁の管轄をやっていたとは言え、詳細まで把握できているわけではないんだ」
それを聞いて、オレは潜入捜査官全員が持っている東京の地図を端末で表示した。違法カジノが存在する場所は赤い円で示され、その円が大きければ大きいほど規模も大きく、厄介であることを表していた。
「オレたちがこれから向かうのは、秋葉原だ。事前調査では中規模になってるけど、今は分からない。カジノの規模変動は流動的だからな」
「そうだろうな。何せ違法カジノを出入りする輩のほとんどは、新しい東京に適応できなかった奴だ。そしてほとんどが、出稼ぎのために東京に来た地方出身者だということも分かっている」
ヤツは地図上の赤丸を順に一通りなぞって、ああ、と思い出したように口を開いた。
「ヨド、お前は覚えているだろう。前に渡したデータは、うまく活用できたか?」
「……ああ、それは。おかげで代々木方面は大丈夫そうだ。ただ、地下施設の取り壊しの合意まではできてないから、再発の危険性は十分あるけどな」
以前カジノの女に変装していたヤツから手渡されたデータは、結果非常に有効だった。どうやって入手したのかは分からないが、とにかく一発で強制捜査に踏み込めるレベルの情報が詰まっていた。それに関しては、ヤツに感謝するほかない。
「そうか。ならいい。場所も証拠も割れているとなれば、のこのこと同じ場所で不法行為を働こうとする奴はそうそういないだろうからな。……ただ、」
「ただ?」
ヤツはオレ含め注目していた全員を見回し、一呼吸置いてから話を続けた。
「先に言っておこう。私の見立てでは、今回の潜入捜査では大した効果は得られない。……と言われれば、やりがいがなくなるか?」
「当たり前だろ、一回でそんなにうまくはいかねえって」
「そうではない。何度か潜入し一通り壊滅させても、全く状況は変わらない、という意味だ」
「は……?」
「行けば分かる。私の話が正しいということがな」
ちょうどそのタイミングで、他の交番に勤務する潜入捜査官が合流してきた。ヤツはそのうちの一人に目配せをし、裏手の方へ行ってしまった。
* * *
「どうだ? 違和感はないか?」
「あ、ああ……別にないと思う」
オレたちは警官服から着崩した感じの安い服に着替え、なるべく人目を避けつつ目的地へと向かっていた。中でも比較的オレのところとは離れた交番で勤務していて、話したこともほとんどない警官にヤツは変装していた。
「警官だとバレるかバレねえかと言われれば、たぶんバレない。そういう意味では違和感はないな。中身がお前ってことには違和感しかないけど」
「まあな」
ヤツの顔をうかがってみると、なんだかニコニコしていた。見ていてこちらの気分が滅入るわけでは全くないのだが、オレはもしかして、と思いヤツに尋ねた。
「なあ。もしや楽しそうにしてるとか?」
「ああ、そうだ。一度やってみたかったんだ、潜入捜査というやつをな」
その返事を聞いて、オレは二重の意味でため息をついた。
一つは明らかな話だ。命の危険さえある潜入捜査を楽しみにするなんて正気の沙汰じゃない、という意味。厳しい言い方かもしれないが、潜入捜査は遠足ではないのだ。
もう一つは、これから行く場所そのものに原因がある。
「なんか、いつかは行くって分かってたんだけどな。いざ行くってなると気が滅入る」
秋葉原。約二百年も前になる第二次世界大戦後に闇市で発展し、後に世界有数の電気街、およびオタク街として発展した東京の一角。大ターミナル・東京駅からもほど近く、常にいろんな年齢層の人たちで溢れる、活気盛んな街。昔はそうやってよく海外にも紹介され、東京を代表する観光スポットだった。
「……着いたな」
ついに到着してしまったという事実を前にして、オレは深いため息をついた。呼応するようにして、びゅおうっ、とひんやりとした風が吹きつける。
さっきまで晴れ渡っていたはずの空は今、暗い雲で一面覆われていた。光が届かないという状態がより、その場の雰囲気を恐ろしいものに仕立て上げていた。
オレが鬼か幽霊でも見るようにおそるおそる眺める景色は、都会の一角とはとても考えられないほど衰退し廃墟と化した、『アキバ・ゼロ』の姿であった。