12MB まるで別人みたい
金属の塊が見せた光よりまぶしい。そう感じたがすでに遅く、オレはヤツが手から凄まじい威力の破壊光線を放ち、金属の塊を消し飛ばす様子を目の当たりにしてしまった。
「なっ……」
「……」
もうもうと煙が上がる中、当の本人は目の前の敵を派手に倒したことを喜ぶことも不思議そうにすることもなかった。ただただ、無表情だった。
「倒した……のか」
「そのようだな」
そう言って、ヤツがこちらを振り返った。しかしその表情を見て、オレは驚きのあまり目を見張らざるを得なかった。
「やったな、お前」
ヤツは笑っていた。しかもいつものバカにするようなのではなく、屈託のない純粋な笑顔。それはまるでお母さんにバレる前にいたずらをやってのけて得意げにする、幼稚園児のような笑みだった。
「お前……」
「危ないところだったな」
「それどころじゃねえよ……」
危うくヤツは破壊光線をもろに受けて死ぬところだったのだ。それを分かっていないのか。
「あんな攻撃できたなら、なんで最初から逃げなかったんだよ……」
「逃げなかったのではない。逃げないでいいと、判断したんだ」
「は……?」
あの状況で逃げないでいい、と判断できるというヤツの言葉の意味が全く分からなかった。オレがさらに問いただそうとすると、
「とにかく、今の私は過度に注目されているようだ。帰ってから続きを話そう」
先制してヤツにそう言われてしまった。確かに見回すと近くに避難していた人たちがこちらを見て、何やらひそひそと話をしていた。その状況に耐えられないのはオレも同じだったので、ヤツの言葉に従うことにした。
* * *
「……で、なんであんなことができたんだ。最初からできたんなら、なんで言わなかったんだよ」
「まあそう焦るな。順を追って話すと言ってるだろ」
キッチンに立って昼食を作りつつそう言うヤツの声は、少し上ずってさえいた。これまでのヤツの態度が、嘘のようだった。
そもそもあの金属の塊を倒した瞬間から、ヤツの様子はおかしかった。帰ろうと言ったかと思うと、
「少しトイレに行かせろ」
そう言って買ったばかりの服を持って、近くのデパートの中に入っていってしまった。そしてしばらくして出てきた時には、その買った服を着ていた。
「似合ってるか?」
「え? ま、まあ」
「そうか」
俺のあいまいな返事にヤツは満足げにうなずいて、再び純粋な笑顔を浮かべたのだ。
そして、今に至る。昼は別に凝らなくてもいいだろ、と言って、服のついでに買って帰ったパンを使ってサンドイッチを作っていた。しかも、最初からオレの分も含めて。
「何があったんだよ……?」
まさしく今のヤツは別人だった。逃げている途中によく似た別の誰かと入れ替わったのかと思うくらいだった。けれど、あの金属の塊を倒すまさにその瞬間までは、ヤツそのものだったのだ。
「そうだ。お前の好みを聞くのを忘れていた。ひとまず有名なものを一通り作ったんだが、どうだ? 全部嫌いと言われるとどうしようもないんだが」
ヤツが皿にたくさんサンドイッチを乗せて俺の目の前に運んできた。ハムとキュウリ、ハムとチーズ、たまご、カツ、BLT、……とそれはとても二人では食べきれないほどの数だった。やっぱりヤツの様子がおかしい。
「いや、好きなやつばっかだから、それはいいんだけど」
「そうか、よかった!」
またぱあっと明るい笑顔を浮かべて、ヤツは鼻歌さえ歌いながらキッチンへ戻っていった。オレはいよいよぞっとしてヤツの顔色をうかがった。
「……どうした?」
「いや。変わりすぎだろ」
「そうか?」
一通り大量のサンドイッチを運び終えて、ヤツもオレの向かいに座った。オレが呆然とするのをよそに一番手前にあったサンドイッチを口にして、これまたとびきりの笑顔をしてみせた。
「……で、どういう仕掛けだったんだ。まぶしくて全然見えなかったけど」
「あれはおそらく、お前に手をつながれたことによる副作用だ」
「え?」
別に意識してやったわけではないのだが、改めて言われると恥ずかしくなった。女の子の手を取るなんて、いつぶりのことか。
「前にこの虚構世界では、体力の消費という概念自体が存在しない……そう言ったのを覚えているか?」
「ああ、そう言えば」
ヤツに説明された時にそんなわけないだろ、と声を荒げそうになったので、よく覚えていた。その時は特に説明されなかったはずだ。
「概念自体が存在しない、という言い方は、正確には間違っている。確かに体力は消費しないが、代わりに消費するものがあるんだ」
「代わりに消費するもの?」
「データだ。32GBや12MBというのを、聞いたことがあるだろう? 通常人間の体は虚構空間には対応できないが、この質量を持たないデータに体を置き換えることで、普段通りの生活が送れるようにしたんだ」
「ほえー……」
「虚構世界にいる人間はこのデータを、体力の代わりに消費する。もちろん体力と同じで、食事をしたり睡眠を取ったりすると、失った分は回復できる」
「ほうほう。よく分かんねえや」
「そう言うだろうと思った」
相変わらずいいペースでサンドイッチをぱくつきながら、ヤツは一つ咳払いをしてから話を続けた。
「要は体力を数値化した、ということだけ覚えていれば、あとは体力の話だと思って聞けばいい。目に見えないのに変わりはないが、より具体的になったのは間違いない。さらに」
ヤツはおもむろに立ち上がって、オレの分と合わせて二つコップを用意し、たぱー、とオレンジジュースを注いだ。一口飲んで少しだけ目を丸くした後、また口を開いた。
「その数値化された体力は、他人に渡すこともできる。渡すのは簡単だ。手をつなぐので十分と言える」
「え、じゃあさっきとっさに手握った時に、体力がお前に流れたって言うのか」
「そういうことだ。ただ、流せる体力は微々たるもののはずなんだ。そもそも体力が無限に流せるとしたら、簡単に人殺しができてしまう。生きるのに必要な最低限の体力まで奪えることになるからな」
「それは確かに」
体力の受け渡しができるなら、逆に無理やり奪うこともできるはずだ。そんなことが平気でできたら、いよいよ死人がそこら中に転がっている、なんてことになりそうだ。
「だが私はあの時、とてつもない体力がお前から流れてくるのを感じた。元気がみなぎると言うだろ? あれに似た感覚だ」
「はあ……」
「なぜかは分からない。だが、普通ではあり得ないことが起こったのは、どうやら間違いなさそうだ」
「そうだな」
「そこで、だ」
ヤツは一通りサンドイッチを食べ終わって満足したのか、テーブルから離れて当たり前のようにオレのベッドに腰かけた。オレの方が居候なのかと勘違いするくらい、自然な動きだった。
「しばらくお前の生活に付き合って、お前のことをよく知ってみようと思う。より具体的に言うと、違法カジノの潜入捜査に、私も参加する」
「ふうん……っえ!?」
オレは危うく口に含んでいたオレンジジュースを噴き出すところだった。最後の声が裏返って、オレ自身が耳を疑った。
「ちょっと待て。全然理論的じゃなかったぞ今の話」
「そうか?」
ヤツは亜麻色のきれいな髪を右手でくるくるといじっていた。よくよく見てみれば少し癖っ毛気味で、手でいじって離した後もしっかり元通りになっていた。オレがじっと見ているのに気づいたのか、ヤツはこちらを見返して髪の毛いじりをやめてしまった。
「そもそも参加するって気軽に言ってるけど」
「警察に言えばいいんだろう? 新東京政府理事として交渉すればいい話だ」
記憶がないから新東京政府には戻れない、とか言っておきながらその地位はちゃっかり利用するんだな。オレはびっくりするくらい堂々とした矛盾に呆れてため息をついた。
「せっかく新しく生まれ変わった東京の治安を脅かす輩を排除するのは、行政の義務だと思うんだが。違うか?」
「違うかって言われたら、違わねえけど」
「そうだろ? それに、」
一拍おいてから、ヤツはにっと笑って言った。
「悪を成敗するのは楽しい。これは人間の性だ」