10MB 洋服を買いに
「服を買いに行こう」
それから数日経った休みの日。オレはヤツと朝飯を食べながらそう切り出した。
「服?」
ヤツはこれでもかとイチゴジャムを乗せたトーストを頬張りながら、無表情のままオレの方を見た。オレの発言の意図を探っているのか、それとも本当に何も感じていないのかは分からなかった。
「あー、ほら。お前、ずっとその制服みたいなのばっか着てるだろ。飽きねえのかなって」
「別に飽きはしない。今までも毎日これを着ていたし、それに前に言ったはずだが、色違いは何着か作ってあるから、心配は要らないぞ」
「そうじゃねえよ」
「じゃあ何だ」
たぶんヤツのことを知らない人がこの会話を聞けば、ものすごく喧嘩腰な奴だと思うだろう。しかしヤツは至って冷静にそう言っていた。オレもオレで全くイライラなどしていない。
「……そもそも、作るってなんだ。確かにそれと同じようなのが三着か四着あるのは見たけど、どうやってあんな短時間で作った?」
「前にも言ったはずだ、今の東京は虚構に過ぎないと。虚構世界では言わば、何でもありだ。服のイメージを思い浮かべるだけで、それを作ることが可能になっている。できないのか?」
「できねえよそんなこと」
どうやら裁縫で作ったのではないらしい。もしヤツの言うことが本当なら、かわいらしい服なんかも自由に作り出せるんじゃないかとオレは一瞬思ったが。
「……とにかく、服を買いに行く。その格好、新東京政府ってやつの正装かなんかなんだろ? 下手にそれで外歩いたら、何が起こるか分かんねえし」
「つまり私がいつも堅苦しい格好で目の前にいることが、耐えられないというわけだ」
「ち……ちげえよ。そんなわけないだろ」
図星だった。
* * *
やはり東京の街並みは、昔家族で旅行に来た時と何ら変わらない。これが虚構とかハリボテとか、その手の類であるとはとても思えなかった。普段仕事でもじっくり見ることがなかった渋谷の街並みを、オレは観察するように見ていた。
「しかしどうした? 私と話すことすらためらっていたお前が、急に私と外出とは」
「……別に一緒にどっか行きたいって思ったわけじゃない」
ヤツの正体はいまだに分からない。とはいえ、悪い奴ではなさそうだということはこの数日で分かった。オレに危害を加えてくるわけでもないし、少女誘拐で通報しようとするそぶりもない。それどころか新東京政府とかいう大きな組織の一員で、オレが保護するのを警察も公認ときた。
「そうか。まあ私も、あまりお前に馴れ馴れしくされては逆に不安になる。もしかすると私とお前は昔、よく知る仲だったのではないかと疑ってしまう」
不安とか言っても口だけなんだろ、とオレは愚痴った。ちなみにオレは別にヤツを知っているわけではない。知っていたらこんなに特徴的な人を忘れるはずはない。
「新東京政府はあの事件以降、率先して東京の復興をやってきた組織だ。あれだけ悲惨な事故が起こるリスクを知っていながら実験をやっていた責任をとって、な」
唐突にヤツが話し始めた。突然何の話だ、とオレは言おうとしたが、すぐにオレがずっと抱いていた疑問への答えだと気づいた。何かと新東京政府、というのをヤツは口にしていたが、要は虚構化とかいう実験をやっていた張本人だったのだ。
「虚構化には当初慎重で、それゆえにあまり柔軟な対応ができなかったが、東京中が仮想空間となってしまえば話は別だ。結局一番事情を知る新東京政府が、東京の統治機関となった。あくまで日本政府の一機関であることに変わりはないが、それでも実質国が一つ新しく生まれたようなものだ」
「……!」
今目の前にいるのは、その新東京政府の理事。肩書きからしてそうだったが、やはりお偉いさんらしい。オレはやれやれ、といった感じで口をへの字に曲げた。
「と言っても、それらしい記憶が全くない理事だ。大して役に立たない」
「……」
感情がないと言う割に、ヤツは自分を卑下してみせた。そんなに卑屈にならなくても、と思っていると、目的の服屋に着いた。オレでも手が出るようなリーズナブルな服がたくさん売っているチェーン店だった。
「ふむ。こんなものか」
「ああ、いい気がする」
服を見に来たはいいものの、オレに女の子の服が分かるはずもなかった。高校の時に付き合っていた幼馴染にはマフラーや手袋、カチューシャあたりしかプレゼントしたことがなかったし、それが唯一女性へのプレゼントを選ぶ機会だった。
しかも店に入るなり金は持っているから自分で払う、とヤツに先制して言われてしまった。いよいよオレの面目どころかいる意味もなくなって、今度はオレが自分のことを卑下する番だった。
「私服っぽくて対面しても気が張らなくなるから一安心、の間違いだろう?」
「ぐっ……違えよ」
仕方ないので店員さんに無理を言って、ヤツに合いそうな服を三通り選んでもらって、それを買うことにした。
「まあ、着る服が増えたと思えばいいか。この手の服はあまり趣味ではないんだが」
「趣味じゃないも何も、その制服みたいなやつしか着たことないんだろ」
オレは人通りの多い中心街を、ヤツと共に歩いていた。今日は世間も休日なのに、相変わらず堅苦しい服を着ているヤツと、付き添うように歩くオレを見て、いぶかしむ人たちは多いようだった。救いだったのはヤツが十三歳の割にやたら大人びていることで、オレはもし問いただされたら妹です、と言い張る心積もりをした。
「……にしても、人多いな」
「かつての首都とは言え、まだまだ都市の機能は失われていないということだ。いまだ日本の誇る大都市であることに、変わりはないからな」
すれ違うのはみんなオレと同じくらいか、あるいはオレより若いくらいで、楽しそうな表情ばかりだった。それは笑うことなどなく、あったとしても人をバカにするような偽物の笑顔しか浮かべないヤツとはまるで対照的だった。
それと同時に、オレは少し不安になった。今いる東京が虚構世界ーーハリボテだということを、誰か知っているのだろうか。地方出身のオレと違って、もともと東京に住んでいた人はどうなのだろう。それとも、そんなこと気にもせずに暮らしているのか。
きっと気にしていないというより、そもそも気づいていないのかもしれない。三年前の例の事件だってただの爆発事故だと思わなかった人が、いったいどれほどいるのか。
「どうした? 悲しそうな顔だな、何かあったのか?」
「……いや、何でもない。今の東京のこと、みんな知ってんのかなって」
「極論を言えば、知る必要はない。生活が激変するわけでもないし、特に身の危険を感じないのならな。こうなったのも、ほとんど新東京政府の責任だ。各々知っておいて損はないが、得もあまりないんだ」
ヤツがため息混じりにそう言った、その時。女性の鋭い叫び声が聞こえ、それが増幅されて一気にこちらまで届いた。
「なっ……!?」
「右斜め前だ!」
ヤツがいち早く注目すべき場所を示した。すでにパニックになった人たちの後ろから、ロボットとはとても言い難い物体が飛び出してきた。遠目からでも確信した。前にオレたちに襲いかかってきた金属の塊だ。前は一心不乱に逃げたので知る由もなかったが、人間が走るのとほとんど同じような速さに見えた。
「おいお前、何してる! 逃げるんだよ!」
オレは近くにいたおじさんに強引に袖を引っ張られた。オレの後ろにいる人たちはすでに逃げ始めていて、前からは大量の人が押し寄せようとしていた。
「あんな人に巻き込まれたらひとたまりもねえ! 一網打尽で仲良くお陀仏なんてごめんだ!」
それでもオレはすぐには足が動かなかった。その鈍さに見切りをつけたのか、おじさんは先に行ってしまった。
「あの男の言う通りだ! 前の二の舞になっていいのか?」
ヤツにもそう急かされた。オレはその言葉を聞いて、決意を固めた。
そして、みんなが逃げるのとは逆の方向に走り出した。