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「ありがとう」のごはん。

作者: 如月 楸

「ただいま」

今日もその言葉の返しはないが、もうそんなことには慣れてしまった。

薄暗い廊下。夏特有の湿度を孕んだ生ぬるい空気が家全体を包んでいる。家全体が静まりかえっていて玄関のドアの外と中ではまるで世界が分断されているのではないかという錯覚に陥る。


「今日もだれも・・・」

靴を脱ぎ、ふと目線を上げるとリビングの電気がついている。

少し小走りになりながらリビングのドアを開ける。しかし、そこには誰もいなかった。

その代わりといってなのか、テーブルの上に置手紙と2000円が置いてある。置手紙にはいつもと同じであろう、仕事が遅くなる旨とその2000円でご飯を食べてくれという無機質な紙切れだ。

じわりと額に汗が浮かぶ。蒸し暑いこの空間が心の中にあった淡い期待をを苛立ちへと変換させ無意識に置手紙を破り捨てていた。


冷房の温度を最低まで上げ、風量を上げてから電源を入れた。

クーラーから吐き出された風は想像以上に冷たく、汗で濡れたシャツのせいで不快感はなお残った。


食欲は沸かず、昨日買ったパンの残りを少し齧ったがすぐに気持ち悪さがこみ上げ残りは捨てた。

気晴らしにテレビをつけた。皮肉にもそこにはキッチンから食事を運ぶお母さんと家族で団らんで食事をする姿が映っていた。


涙が頬を伝う。悲しいわけではないし、両親のことを憎んだり恨んだりはしてない。ただ、もう一度みんなで・・・


そんなことに思いをはせているとどこからか懐かしく心が落ち着く匂いがする。

目を閉じ、その匂いのする方向を辿っていく。段々と濃さを増していく匂いとともに感覚が鋭くなっていくのがわかる。そして、食欲をそそるその匂いにつられ僕は目を覚ました。

久しぶりに子供のころの夢を見たが気分は悪くなかった。

窓から差し込む光がとても暖かく、心地よかった。


リビングからだろうか、騒がしい声が聞こえる。

ベットから起き上がりリビングへ向かう。


「あ、パパおはよう。もうすぐ朝ごはんできるからね」

柔らかな笑顔を浮かべる妻が声をかけてくる。それを聞いてからか、


「パパ起きちゃったの!もう、僕が起こしに行こう思ってたのに・・・」

頬を膨らませあからさまに不服な表情をする息子。


すまんすまんと息子に謝りながら、おはようと2人に挨拶する。

すると、


「おはよう!ぱぱ!」

さっきの不満はどこへやら。息子が抱っこをせがむポーズをしながら返しの挨拶をくれる。

息子を抱っこし、妻が朝食の準備をしてくれているテーブルへ向かう。


息子の隣に座り待っていると、妻が味噌汁をもってキッチンから出てきた。

「どうしたの?そんなにじろじろ見て何かついてる?」

「なんでもないよ」

「へんなの」

妻は不思議そうな顔をしたまま席につく。


テーブルには3人分の朝食が並んでいる。そして目の前には妻がいて、隣には息子がいる。

ありきたりな光景なのかもしれないけど、どうしてか今の僕にはこみ上げるものがあってならない。

願っても叶わなかった。小さな幸せ。

あのころどうしても言えなかったさびしいって言葉。


でも、今は彼女らがいる。

こうして3人で食卓を囲めてる。ずっと求めてた幸せがここにある。


「いつもありがとう。いただきます」

「こちらこそありがとう」


きょとんとした息子がこちらを見つめていたが、なんでもないよと笑顔で返すと


「いただきまーす!」


と、息子の元気な声が部屋にこだました。



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