ねんねの復讐~ドラゴン猟師の日常~(3)
そこは山の稜線――見渡す限りの新緑。天空の太陽は彼方の川面を照らし、辺りには木葉が舞い続ける。
そんな中にポツンと人影があった。とても小さな背丈である。人影は空色のマントを羽織り、同じ色の帽子を被っていた。帽子は逆さ円錐に短めの鍔と垂れの付いたもので、その下には鋭い眼光が見え隠れした。
人影の正体は年端も行かない少女だった。マントの下はベスト・スカート・半袖ブラウスに丸く膨らんだ紺色の提灯ブルマで、足を包むのは紅のロングブーツである。その上の脚部は黒タイツに覆われ、地肌が見えない。
「うーむ……」
少女は右手に杖を持ち、腕組みをしていた。何か考え事をしているようだ。時々、杖の先端に付いた宝玉で自分の肩をポンポン叩く。
それは半日前の出来事だった。
時刻は真夜中。天気は快晴。夜空を明るく照らすのは大きな満月だけ――
山小屋の前で、三十代の男性がタンクトップに長ズボンの格好で仁王立ちになっていた。
ガサゴソ……。
その時、付近の茂みで動きがあった。
何者かが抜き足・差し足・忍び足で現れる。あきらかに子供の足だ。
「ひッ……」
男性の姿に驚いて、お子ちゃまは言葉を失った。
帽子・マント・ロングブーツを装備して、とても長い杖を抱えた女の子である。
彼女は無言で反転し、再び森の中へ――
「何処へ行くんだ、ネネぇぇぇっ!?」
男性が唸り声を上げると、少女の歩みが止まった。
「ちょっと町に降りるでち!」
少女は答えるが、男性と目を合わせようとはしない。
「――っていうか、こんな夜遅くまで何処へ行ってたんだぁぁぁっ!?」
「ちょっと町で坊ちゃまたち引っ掻けて合コンしてたでち。」
どう見てもガキなのだが。
「門限は日が暮れるまで、って言ってあるよなぁぁぁっ!?」
ノッシノッシと少女の背後に迫り来る男性。
「でも、冬場は早く日が暮れるから不公平でち!ルールに異議を申し立てるでち!」
プルプルと震えて額から冷汗を垂らす少女。
「夏場でも真夜中に日が照るかよ、ボケっ!」
男性が少女に襲いかかった。手加減は感じられない。
本気の攻撃だ。筋肉が脈打つ両腕で少女を左右から押さえ込もうとする。
「パパちゃま、許してでち!」
少女は身を伏せて己の父親が繰り出した攻撃を躱し、森の中へと駆け込んだ。
「待ぁーちぃーやぁーがぁーれぇーっっっ!」
父親も我が娘を追って森に入った。両目を怪しく光らせ、木々の間を走り抜ける。
その眼光が月明りの反射なのか、体内から発せられたものなのか、知る術はない。
「待てと言われて待つおバカはいないでち!」
冗談が通じる相手ではないと思うぞ。
『グガーオッ!グガーオッ!』
突然、巨大な咆哮が森に轟いた。ただの獣ではない。まさに巨獣の叫びだ。
それもそのはず。森にはトカゲを大きくして背中にコウモリ羽根を生やしたデザインの巨大生物が徘徊していた。
森の守り神ドラゴンである。それも一頭や二頭ではない。森のあちらこちらから数十頭――否、数百頭の咆哮が折り重なるようにして伝わった。
この地域は古来より“ドラゴン盆地”として名を馳せている。森や草原、川や湖、湿地帯など多種多様な自然環境が一つの盆地に共存し、様々な巨獣や魔物を育んで来た。あまりに危険な地域であるため、現地のカムサラ王国政府でさえ干渉を拒むほどだ。
だが、そんな中にも例外はあった。盆地には猟師一家が住んでいた。盆地の下流域に一軒の山小屋を建て、代々そこで暮らしている
“猟師”というからには――そう。彼らはドラゴンを狩るのだ。
その頃、父娘の追い駆けっこは佳境を迎えていた。
「ねんねはお年頃でち!カムサラ王国の坊ちゃまたちなら、みんなやってることでち!」
「ああ、そうですか、みんなやってる事なら何してもいいんですか、結構ですねぇ!?」
「ちょっとくらいドンチャン騒ぎしても、ねんねは悪くないでち!」
「そのドンチャン騒ぎは、オレの財布から失敬した金貨が元手だろうが!」
「チッ…バレてたでちか。」
吐き捨てるように言う少女。表情はチンピラその物だ。
「そうか、そんなに男が好きか!」
追い縋る父親が不気味な笑みを浮かべた。
「えっ?なんでちか?」
訳が分からず、少女は肩越しに後ろを見る。
そこには走りながら正面に手を翳す父親の姿があった。
「お望み通り男に会わせてやるさ!」
その手から光が溢れ出した。何かの魔法を使うつもりだ。
「マズいでち!」
少女が攻撃を躱そうとして前を向いた、その時――
少女の行く手を遮るようにして横向きの魔法陣が現れた。文字列を円で囲んだ形だ。
「あっ!?」
少女は自らの足で、その魔法陣に飛び込んでしまう。と同時に、父親の呪文が完成した。
『闇から闇へ、大地を渡れ、海原を渡れ、天空を渡れ!
――転送――!』
少女は魔法陣に呑み込まれて消えた。父親が使ったのは転移系魔法だった。
その頃、少女は呪文の通り、闇の中を飛んでいた。
「ああああああああああああっっっ、いつもいつも適当な理由つけて遠くに飛ばされるでち!もう飽きたでち!ボコボコにされたりゴハン抜きにされた方が楽ちんでち!」
少女の名は、ネネ・ザ・ドラゴンズヴェースン。“ドラゴン盆地のネネ”という意味である。自分では『ねんね』と名乗っている。
何を隠そう、この物語の主人公だ。職業はドラゴン猟師見習い。満十二歳である。
容姿は可愛い。容姿だけは……。
しゅぽん!
空中に魔法陣が現れて、その中からネネが零れ落ちた。ぼてっ!と石床の上に突っ伏す。
「なんでちか!?」
慌てて顔を上げるネネ。暗闇に人の気配がした。
十人単位では済まないはずだ。重なり合う呼吸音から彼女にはそれが分かった。
「姿を現すでち!」
ネネは辺りを警戒し、いつでも魔法を撃てるようにと杖に魔力を溜めた。先端の宝玉が淡い光を放った時、それは発覚する。
「うッ……!」
目の前に筋肉があった。ピクピクと脈打つ大胸筋が――
「き、き、き、き、筋肉男!?」
ドラゴン猟師見習いともあろう者が恐れ戦いて後退してしまう。
ボッッッ!
突然、暗闇に篝火が灯った。
一つだけではない。ネネの周りを取り囲むように十も二十も―百も二百も光が生まれた。
「こ、これは!?」
ネネは初めて、自分が円形の石舞台の上に座り込んでいるという事実を知った。
石舞台は広場の中央にあり、その周りを階段状の観客席が取り囲む。そこは無数の男たちによって埋め尽くされていた。
「ようこそ、拳闘士の聖地コロッセオへ!」
正面の筋肉男が白い歯をキラリと輝かせ、ネネに握手を求めた。
彼の上半身は裸で、下半身も麻の締込みが巻かれてあるだけだ。
ピクンッ、ピクピクンッ――
ネネの視線が嘗めるタイミングを合わせて全ての筋肉が脈打った。
「私の名はゲンタキス――ここの師範だ!」
「け、け、け、け、け、けがらわしいでち!」
ばきっっっ!
気が付くと、ネネはゲンタキスと名乗る筋肉男を杖で殴り倒していた。
ほとんど無意識の防御反応だった。これが筋肉男恐怖症の始まりになるとは――ネネ自身、知る由も無かった。
ザワワワワワワアアア~ッ!
観客席から驚きと戸惑いの声が漏れた。なにせ自分たちの師範が伸されてしまったのだから。
――そう。観客席にいたのは千人にも及ぶゲンタキスの弟子たちだった。
全員、見事なまでの筋肉男で、締込み一丁の半裸である。
「師範!」「先生!」「ゲンタキス様!」
何やらキナ臭い雰囲気だが。
「み、皆の者、良く聞け!」
横倒しになったゲンタキスが口を開くと、途端にコロッセオが静まり返った。
拳闘士たちは師範の言葉に聞耳を立てた。
「ここに居られるのはドラゴンズヴェースンの名を冠する者。この方に一撃入れたら――」
一撃入れたら?
「――昇級――!」
やっぱりケンカ腰なのか。
『ウオオオオオオッッッ!!!』
コロッセオが沸きに沸いた。
拳闘士たちは我先にと観客席から飛び降りて、ネネの持つ石舞台に駆け寄った。
「昇級ってなんでちか!?大体、真夜中に裸ん坊の筋肉男がたくさん群れ集まって……気持ちが悪いでち。」
抗議している暇はないぞ。
満天の星空の下、ここに筋肉男VSお子ちゃまの千人組手が始まった。
「そーりゃっ!」「どーりゃ!」「へりゃ!」
前後左右から無作為なタイミングで飛びかかる拳闘士たち。パンチ・キック・肘鉄など多種多様な攻撃パターンでネネを狙う。
「こっち来るでないでち!」
ぼこっ、ばきっ、ぐちゃっ!!!
杖の一振りで三人の拳闘士が弾き飛ばされた。
一人目は顎を砕かれ、二人目は脇腹を砕かれ、三人目はクルリと翻った宝玉が股間のド真ん中に絶好の角度で。
「皆の者、ただ突進しただけでは駄目だ!」
いつの間にか復活したゲンタキスが、石舞台の端ぃぃぃぃぃぃ~っこの方で弟子たちに指示を与えた。
自分は戦わないつもりか?
「フォーメーション・デルタで囲い込め!」
『オオオウッ!』
数百人の拳闘士がネネの周囲三百六十度に配置された。
『ホフンッ!』
吐息が漏れるような掛け声と共に全員で右腕を上げ、ツルツルの腋の下をネネに見せつけた。
剃毛は済ませてあるようだ。
『ホッ、ホッ、ホフンッ!』
割れた腹筋を強調しながら腰を左右にフリフリ、前後にフリフリ……一斉に輪の中心に向かって躙り寄る。
『ホッ、ホッ、ホフンッ!』
脈打つ筋肉。飛び散る汗。重なり合う吐息。
「ひいっっっ、連携マッチョメン!」
十二年間の人生の中で、こんな筋肉男の群れは見た事はない。
――ネネは思った。
(筋肉男はパパちゃまだけで充分でち。)
目線が左右に泳ぐ。
彼女はビクビク怯えながら辺りを見回した。
最初に襲いかかって来るのは誰だ!?あの男か!それとも、あっちのハゲか!否、真後ろのアフロか!
『ホッ、ホッ、ホフンッ!』
拳闘士たちは輪を狭めると互い違いにズレて二重の輪を作った。
内側が時計回り、外側が反時計回りの回転を見せて筋肉と筋肉が残像効果で重なり合う。
ネネは目が霞むような感覚に捕らわれた。
「これは“術”でちね!?」
耐えようと歯を食い縛るが、脱力感や浮遊感のようなものが全身を支配していく。
「フッフッフッフッ、今頃気付いても遅い!」
ゲンタキスが筋肉男たちの輪の外で吼えた。
「人間の生体リズムに合わせて繰り出される吐息の大合唱!そして、三半規管を狂わせる筋肉と筋肉が織り成す不思議映像の数々!」
「うっ、う……!」
ネネは、その場にペタンと座り込んだ。
もう立ち続ける事ができなかった。頭の中は筋肉男の映像で埋め尽くされている。
幼い頃からドラゴンの洗礼を受け続けたネネが、まさか精神攻撃に弱かったとは。
「もはや逃れる術はない!今だ、掛かれ!」
ゲンタキスの号令一下、拳闘士たちが輪の中心に向けて攻撃を繰り出した。
はたしてネネは、この最悪の状況を切り抜ける事ができるのか。
それとも、哀れ筋肉男たちの餌食となってしまうのか。
『いやでち!マッチョはいやでち!
――魔法アッパーカット――!』
ただ捻りを加えたジャンプと同時に光る拳で殴り上げるだけ技である。
技を繰り出したのは、もちろんネネ。迫り来る数百人の拳闘士を左腕一本で時計回りに薙ぎ倒す。
どどどどどどどどどどどどかっっっ!!!
ネネは輪の中心で螺旋状の衝撃波を撒き散らしながら高く飛び上がった。
その動きに合わせて、拳闘士たちが反時計回りに高速回転しながら吹き飛んでいく。
噴き出す血飛沫。噴き出す血の涙。噴き出す血の涎。遠心力で飛び散る全種類の体液に血が混じっていた。
その数秒後、石舞台の上に拳闘士たちの惨たらしい気絶体が横たわった。
「次はフォーメーション・ガンマだ!」
それでもゲンタキスは弟子たちに攻撃を命じた。
実力の差が分からないのか。それとも、数で攻めて持久戦に持ち込むつもりか。
『ヨッシャーッッッ!』
今度は拳闘士たちが横に数十人ずつ並び、まるで津波のように押し寄せた。
全員が胸の前で腕を組み、大胸筋と上腕二頭筋を強調したポーズだ。
『チミたちしつこいでち!しつこいと女の子にモテないでちよ!合コンでも“お味噌”でちよ!
――魔法フロントキック――!』
ばばばばばばばばばばばばきっっっ!!!
前蹴りを喰らった拳闘士たちは、血ダルマとなって後方回転をしながら飛んでいく。
「――笑止!我々は婦女を魅惑するために鍛練しているのではない!神業を得るためだ!
皆の者、フォーメーション・アルファだ!」
ゲンタキスが命令を下すたびに、拳闘士が数百人ずつ倒れていった。
まるで国を守る最後の砦に立て籠もった兵士たちが、決死の覚悟で打って出るかのように。
そして、誰も居なくなった。
「ハ~ハ~!」
さすがのネネも疲れたのか、荒い息遣いで肩を上下させる。
虚ろな目で辺りを見回すと、石舞台の上に一人だけ標的が残っていた。
「むむっ、まだボスが残ってたでちね!」
このコロッセオの師範、ゲンタキスその人である。
「アハ、ハ、アハハハハハハハッ!なかなかやるじゃないか!」
目が泳いでいるようだが。
と、ここでゲンタキスは顔を背けて、
『話が違うぞ!何で、こんなに強いんだ!』
まるで呻くように意味深な言葉を紡ぐ。幸い、ネネの耳には届いていない。
「さて、話してもらうでち。」
ネネは杖を構えて、ゆっくりとゲンタキスに躙り寄った。
先ほどとは逆の構図だ。
「“話してもらう”だと?」
「とぼけても無駄でち。なんで、ねんねがやって来るのを知ってたでちか?」
「――ウッ!」
あからさまにうろたえるゲンタキス。何かを隠している様子だ。
「あらいざらい吐かないと、とっても痛い目に遇うでちよ?」
ネネがドス黒い笑みを浮かべると、
「ファッハッハッハッハッ!やれるものならやってみ――」
べこっっっ!
ゲンタキスは再び杖で殴り倒された。
本当に拳闘士の親分なのか、あんた? それともドラゴン猟師見習いが強すぎるのか。
「わ、わ、わかった!全部、話すから!」
赤く腫れ上がった顔で、遂にゲンタキスが降伏した。
千人組手はネネの勝利に終わった。
ピクピクンッ、ピクンッ――!
「いちいち筋肉をピクピクさせるでないでち。」
脈打つ大胸筋を杖の尖った方で突々きながら、ネネは肥溜めを覗くような表情で顔を背けた。
「――というのが、ねんねがドラゴン盆地の端っこに立ってる理由でち。」
峰の頂上に佇む魔法少女ネネは、何度か「うむうむ」と頷いた。
「まったく、パパちゃまのお仕置きは、だんだん支離滅裂になって来たでち。」
たしかに。夜遊びをしたくらいでマッチョメンと千人組手をさせられたのでは堪らない。
「もう許さないでち。ねんねはパパちゃまに仕返しするでち。」
ネネは強い決意でグッと拳を握った。
母親が死んでからというもの、彼女は何かにつけて父親から意味不明なお仕置きを受けていたのだ。それはもう筆舌に尽し難いような。
「ちゃんと作戦も練ってあるでち。」
ネネ・ザ・ドラゴンズヴェースン、満十二歳の冬――いよいよ反攻へと転じる時がやって来た。
一頭の陸上型ドラゴンが川岸で水を飲んでいた。アルマジロに似た体型をした全長五馬身ほどの草食ドラゴンだ。
そこから少し離れた茂みに潜むのはネネの父親に他ならない。
彼の名はガター・ザ・ドラゴンズヴェースン。“ドラゴン盆地のガター”という意味である。
代々ドラゴン盆地で生活する猟師一家の頭領である。
ガサゴサ……。
その時、背後で物音がした。振り向くと、そこにはネネが――
「んっ?なんだ、オマエか。」
ガターは、つまらなそうにドラゴンの方を向き直る。
「邪魔だから離れてろ。ドラゴンの風上を横切るなよ。臭いでバレるからな。」
どうやら彼は川岸のドラゴンを狙っているようだ。
「パパちゃま、ただいまでち。」
ネネの口元が吊り上がっていた。笑っているように見えた。
「ああ、お帰り。どうだった?少しは倒し甲斐があっただろ?」
コロッセオの一件だ。自分が科した苛酷な罰に後ろめたさを感じている様子は無い。
「あんな筋肉男ども余裕だったでち。」
「そうか、それは良かった。」
ガターは自らの背後に忍び寄るネネの殺気に気が付かなかった。
「パパちゃま――」
ネネが我が父を呼んだ。
「何だよ?邪魔だって言ってるだろ。」
彼が鬱陶しそうに振り返った時、それは起こった。
ごんっ。
ガターのオデコに食い込む杖の宝玉。
『マジカルすたんぷ、ぺったんこ!』
カッッッ!
呪文と共に宝玉に閃光が迸り、宝玉とオデコの狭間から煙が立ち昇った。
「ア、エッ……?」
あまりの出来事にガターは瞬きさえ忘れた。
「やったでち!パパちゃまのオデコに“目印”つけたでち!これで勝ったでち!」
視線の先で我が娘が猛スピードで自分から遠ざかっていく。
やがてネネの姿は消え、ガターは独りぼっちになった。
オデコがヒリヒリするので、手で摩りながら近くの川面を覗き込む。
と、そこにはピンク色で丸に“ね”という紋様があった。ネネの言う“目印”に違いない。
次の瞬間、その“目印”が赤い光を放った。
「何ぃっ!?」
ガターは異様な気配を察して顔を上げた。
彼方の空に巨大な魔法弾が輝いていた。それが放物線を描いて飛んで来る。
「しまった!」
地面スレスレの位置を滑るようにダッシュするガター。
魔法弾は着弾の寸前に軌道を折り曲げ、まるで意志を持っているかのように彼の後を追った。
オデコの“目印”が激しく光り輝いていた。
「追跡弾か!」
オデコの“目印”を使って目標をロックオンしているのだ。魔力が続く限り、どこまでも追って来る。
「クソぉっ、ネネの奴!」
ガターは魔法弾と同じスピードで走った。
歯を剥き出しにして怒っている反面、なぜか嬉しそうにも見えた。十二年間手塩に掛けて育てて来た(※鍛えて来た)我が娘が、自分を困らせるほどの力を身につけたのだから。
『グオーッ?』
ドラゴンは自分に突進して来る筋肉男と魔法弾に首を傾げた。状況が把握できなかった。
ビュンッ!
その筋肉男が極度の前傾姿勢で巨体の下を潜り抜けた。
当然、魔法弾は真っすぐにオデコの“目印”に向かって飛ぶのだから、
『グオッ!』
光の玉はドラゴンの脇腹に突き刺さる。巨体がグラリと傾き、轟音を発てて横たわった。
ドラゴンはイビキを掻いて寝ているようだ。
「眠りの魔法!?攻撃魔法じゃないのか!」
たしかに今の攻撃は合点が行かない。最初からボコボコにすればいいのに、ワザワザ効果の弱い補助的な魔法を使うとは。
一体、ネネは何を狙っているというのだ。
「ウッ…またか!」
再びオデコの“目印”が光り始めた。
早く逃げなければ、また魔法弾が飛んで来るはずだ。
見晴らしの良い川岸は不利と見て、彼は近くの森を目指して一目散に駆け出した。
ピュルピュル~!
天駆ける光の玉が二つ――
「来た!今度は二つに増えてやがる!」
ガターは木々の間を擦り抜け、ネネの魔法弾を誘導した。すると、
カパンッッッ!
魔法弾の一つが木の幹に突き刺さり、閃光と共に消滅した。
「フッフッフッフッ!やはりガムシャラに真っすぐ追いかけるだけの追跡弾か!障害物に対する回避プログラムを書き込む技術は持っていないようだな!」
なるほと、ネネは初歩的な魔法しか使えないわけか。それが分かるとガターは急ブレーキを掛けて反転し、必殺技を繰り出した。
一体、何をするつもりだ?
『あまいぞ、ネネっ!あまちゃんだ!
――魔法パンチ――!』
ただ光る拳で魔法弾を正面から殴り付けるだけの技である。
光と光がぶつかり合い、パンッと弾けて消滅した。
と思ったら、
ピュルピュルピュルピュルピュル~!
天から降り注ぐ無数の魔法弾。障害物を利用しても全て躱せるかどうか分からない。
「あ、あまいぞー……」
ガターは、ちょっとだけビビった。
「成長したじゃないか、ネネっ!」
そして、全速力で走った。右へ左へ不規則な蛇行を繰り返し、次から次へと襲いかかる魔法弾を躱していく。
最後の十数弾が距離を狭めようとした時、
「あっちの方だな。」
彼は再び急ブレーキを掛けて反転した。
また全弾を『魔法パンチ』で迎撃するつもりか。
『闇から闇へ、大地を渡れ、海原を渡れ、天空を渡れ!』
否、そうではない。彼が呪文を唱えると、体の正面に横向きの魔法陣が現れた。
『――転送――!』
ドラゴン猟師は自ら生み出した魔法陣に飛び込む。
全身が呑み込まれると魔法陣は消滅し、ネネの攻撃が虚しく素通りした。
同じ頃、 ドラゴン盆地 を見下ろす高台の大岩の上で五紡星の魔法陣が光り輝いた。
その中から現れたのはガターその人だった。
「あそこか!」
見ると、近くに“ね”というデザインの魔法陣が横向きに立っていた。
たった今、ネネのマントらしき空色の布切れが呑み込まれたところだ。ガターは自分の魔法陣から飛び出してネネに迫るが、手の届く寸前でそれが消滅した。
「クソっ、何処に行きやがった!?」
彼は広大な森を見渡した。
「ネネは遠見が利かない。したがって、目で直接見える範囲しか空間を渡り歩く事はできない。魔力の容量にも限りがある。必ず、このドラゴン盆地の何処かに居るはずだ。」
視線の彼方で、先ほどまで自分の居た川面が太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。
ダッダッダッダッダッダッ――!
ガターは次なる攻撃に備え、草原の真ん中を走っていた。
備えにならない、というのは素人の考えだ。
やがてオデコの“目印”が光り始めた。
「さあっ、撃って来い!何処から飛んで来る!全て丸見えだぞ!」
あえて見晴らしのいい場所で攻撃を誘い、ネネの位置を突き止める作戦か。
突き止めたら最後、全速力で発射地点を襲撃するつもりだ。そうなればネネに未来は無い。
が、しかし、攻撃は思いも寄らぬ所から、思いも寄らぬ形でやって来た。
頭上に巨大な “ね”の魔法陣が現れた。
そこから爬虫類の尻尾が垂れ下がり、全長二十馬身を超える四足歩行の首長ドラゴンが降って来た。草食なので性格は穏やかだが、 ドラゴン盆地 で一番の巨体を誇る。
もちろん、その額には“ね”という紋様が付いていた。このドラコンはネネの魔法従属体だ。
「どぅわあっ!」
さすがのドラゴン猟師も、これにはビックリしたようだ。
どっだぁぁぁぁぁぁ~ん!
彼はドラゴンの尻尾に押し潰された。
辛うじて胴体部分の直撃は免れたが、そのダメージは計り知れない。
『モゲッ、モゲーッ!』
ドラゴンは混乱した様子で立ち上がり、ドッタンバッタンと地響きを発てて逃げ出した。
「オシャレな事してくれるじゃないか……!」
地面の窪みに埋もれる薄汚れたドラゴン猟師。その目が完全にキレていた。
「だが、あれだけの巨体を送るのに魔力を使い過ぎたな。」
今まで自分が走って来たのと反対方向にある山の稜線を、右へ左へ嘗めるように見渡す。
「位置がバレバレなんだよ。」
彼は全速力で駆け出した。
「さっきは横着して転送魔法を使ったから、ネネにバレて逃げられた。ここは魔力を使わずに脚で距離を縮める。」
なるほど、その手があったか。
「それに、ネネは自分で焼き付けた“目印”の位置が分からないようだからな。」
それは、どういう事だ?
「ドラゴンを降らせた時も、オレが走る速度による誤差を全く考えずに、ただ単純に“目印”の真上に魔法陣を作りやがった。だからドラゴンの落下地点が逸れた。ネネは自分でも何処に攻撃が飛んでいくのか分からないんだ。」
所詮はドラゴン猟師見習いといったところか。そこがプロと見習いの差だ。
ネネは自分の危機を察しているだろうか?
「いっひっひっひっひっ!今頃パパちゃまは首長ドラゴンのデカトンちゃんにペッタンコされて、ペッタンコになってるでち!」
――察していなかった。
ネネが座っていたのは、何と先ほど逃げ出した高台の大岩の上だった。遠くに逃げたと見せかけて、すぐ近くに隠れていたとは。
たしかに、ここならドラゴン盆地の全域が見渡せるので、作戦本部としては絶好の位置だ。
ドラゴン猟師(プロ)も、まさか一度逃げた場所に舞い戻っているとは思うまい――というのが、お子ちゃまの頭に浮かんだ発想である。
が、そうは問屋が卸さないのが世の常だ。
眼下で土埃が舞い上がった。
「なんでちか?」
それが一直線に崖を登って来る。
「パパちゃま!」
我が父が壁面を縦に走っていた。
ビュンッ!
足元からガターが飛び出し、ネネはコテっと後ろに転げた。彼はネネを大きく飛び越えて、その向こう側に着地する。
「結構な“おイタ”だったな、ネネ!」
「ひッ……!」
ガターが不気味な笑みを浮かべて振り返ると、お子ちゃまは硬直した。
「でも、やっぱり悪いのはパパちゃまでち!」
それでもネネは恐怖を振り払って立ち上がり、大岩の端で杖を構えた。まさか我が父と武力で渡り合うつもりか。
「何だと、コラっ!」
「ひいっっっ、いちいちチンピラっぽいでち!」
が、やっぱり怯えて涙目になる。
「大体、可愛い娘を筋肉男どもに金貨千枚で売り付けるとは、どういうつもりでちか!」
なるほど、そういう仕組みか。
ガターとコロッセオの師範ゲンタキスは裏でつながっていたようだ。
「何を言う!一人金貨一枚ずつだから千人で金貨千枚じゃないか!計算は間違っていない!」
「論点がズレてるでち!ねんねを拳闘士の昇級試験に利用したことを怒ってるんでち!」
「なんだ、その事か。」
いや、その事しかないだろ。
「ゲンタキスとは古い付き合いでなぁ、オレがネネくらいの年頃にコロッセオで鍛えてもらったんだ。強い対戦相手を紹介してほしい、って頼まれたら断れないだろ?」
「だったら、ねんねにギャラを払って頭下げてお願いするのが礼儀でないんでちか。」
「オレが?オマエに?」
「そうでち!」
「オレとオマエの間に取引関係が成り立つとでも?」
「…………」
お子ちゃま、思考停止。
「オレとオマエの間に成り立つのは、オレからオマエへの一方的な命令関係だけだ。」
この筋肉男、目が本気だ。
「き、今日からは違うでち!」
ネネは生まれたての偶蹄目のように脚をプルプルと震わせながらも宣言した。自分が父親から独立した事を――
そして、彼女は杖を武器に正面の父親に殴り掛かった。
“独立”というのは伊達ではない。彼らがカムサラ王国の縛りを受けない存在である以上、“独立”とは即ち主権その物の分離独立を意味する。
ドラゴン盆地とい名の国家で内戦が巻き起こった、と言っても過言ではない。
「アホ抜かせ!」
ガターは手刀で杖を払い退けた。宝玉が付いている部分だ。
しかし、払われた勢いで杖がクルリと翻り、逆に尖った方が前に繰り出された。あきらかに棒術の動きだ。
「クッ!」
腰を大きく後ろに引いて攻撃を躱すガター。
ドッガッガッガッガッ――!
そこへ上下左右から手を替え品を替え、目にも止まらぬ速さで杖の打撃が飛んで来た。
ガターは後退しながらも全ての攻撃を素手で受け止めた。
(ここまで成長しているとは……)
その表情に余裕は感じられない。
『魔法パンチ!』
ネネの攻撃が収まった一瞬の隙を突いて、光り輝く拳が繰り出された。
『魔法スマッシュ!』
ネネも負けじと光り輝く杖を振り下ろした。
カバチッッッ!
父娘の光が正面からぶつかり合って、辺りに衝撃波が撒き散らされた。
力は互角だ。あまりの出来事に、森に潜んでいた鳥や飛行型ドラゴンが鳴き声を上げながら飛び立った。
「フッフッフッフッフッ、強くなったな!」
「いっひっひっひっひっ、衰えたでちね!」
拳と杖を噛み合わせたまま、父娘は互いに攻めず退かず戦線を維持した。
数秒後、先に動いたのはネネの方だった。
『マジカル寝ん寝――!』
彼女が何かの呪文を唱え始めると、杖の光が出力を増大させた。並のレベルではない。
(眠りの魔法か!)
慌てて後ろに跳び退き、間合いを取るガター。右の拳に魔力を溜めて『魔法パンチ』の準備をする。
『寝ん寝子ねん!』
ネネの呪文が完成した。
と同時に、ドラゴン盆地を全て照らすような閃光が瞬いた。
(なんて出力だ!だが、直撃さえしなければ問題は無い!オレの拳で叩き落とす!)
活路を見出した父親だったが、
『ねんね行け行け、あっちゃ行け!
――転送――!』
彼の視線の先でネネは体の真横に小さな魔法陣を作り、その中に右手を突っ込んだ。
杖を持った方の手だ。
(エッ……!?)
一瞬、父親は呆気に取られた。自分の真後ろに、もう一つ魔法陣が現れた事に気が付かない。
そこからネネの右手が生えて来た。当然、右手には杖が握られているわけで――
ごんっ。
ドラゴン猟師の後ろ頭に食い込む杖の宝玉。
魔法の光が全身に乗り移り、
どさっ。
彼は白目を剥いて大岩の上に倒れた。最初に川岸で倒されたドラゴンのように、イビキを掻いて寝ているようだ。
ネネの手が魔法陣の中に戻り、今度は真横の魔法陣から引き抜かれた。役目を終えた二つの魔法陣は消滅する。
極大魔法を発動させた手だけを転送魔法で目標の近くまで送り届けるとは――たいした技だ。
途中で魔法が途絶えたら腕が切断される危険性もあったというのに、そこまでして『パパちゃま』に一撃を喰らわせたかったのか。
「……勝ったでち」
ネネの心に喜びが込み上げた。
長年溜まり続けていたものが、残らず体の外に吐き出されたような気分だった。
「ねんねは勝ったでち!天国のママちゃま、ねんねはパパちゃまを倒したでち!本懐を遂げたでち!」
涙が止まらなかった。この世に生を受けて早十と二年―彼女にとって最良の時だった。
「おっと、泣いてる場合じゃないでちね!」
ネネは父親の寝姿を見て涙を拭う。
「まだ、本当の仕返しが済んでないでち!」
おいおい、まだ何かやるのか?
「ウッ…何だ?」
ドラゴン猟師は白く淡い光の中で目を覚ました。
とても暖かい感じがした。
「臭いぞ?」
でも、臭かった。
彼の全身は謎の粘液で覆われていた。ネネが掛けた 眠りの魔法 の影響で、まだ体がダルい。
「クソっ、ネネの奴……」
顔を上げて天井の部分を押し上げると、そこに外の景色が拡がっていた。
「何処だ?」
ドラゴンの巣の中だった。
まだ孵化していない卵やら、もう生まれて『ピーピー』泣いている赤ちゃんドラゴンやら、今まさに殻を割って這い出そうとしている個体やら――
「…………」
そんなベビーラッシュな状況の中、卵の殻に詰め込まれて卵の殻を頭に乗せるドラゴン猟師の姿というのは、いやはや何とも。
『グモーッ!』
すぐ横に、お母さんドラゴンがいた。二足歩行の肉食ドラゴンだ。
ベロベロ。
そいつがドラゴン猟師の顔を舐めて、頬っぺたのヌメリを取ってくれた。
なんて優しいお母さんだろうか!
時刻は正午過ぎ――
山小屋の前にネネの姿があった。
「ママちゃま、これでパパちゃまに仕返しできたでち!」
彼女は墓の前に立ち、今は亡き母親に戦いの成果を報告した。待ちに待った瞬間である。
「今頃パパちゃまはドラゴンに托卵されて、お母さんドラゴンにベロベロされてるでち。
ドラゴンに托卵されるドラゴン猟師――いひっ、世間の笑い者でち!いっひっひっひっひっひっ、もうオナカ痛いでち!」
なんてセンスの悪い仕返しだろうか。
ガサゴソ……。
その時、ネネの至福の一時を破壊する足音がした。
「ネぇぇぇーネぇぇぇー!」
はやり現れたか、ドラゴン猟師。
「あっ、パパちゃま!」
そこには卵白のヌメリで全身をテカテカさせ、頭に卵の殻を乗せた我が父が立っていた。
「――パパちゃま、お帰りでち!(ニッコリ)」
「笑ってんじゃねえよ!」
ガターが地面に手を翳すと、ネネの足元に魔法陣が現れた。
「ひいっっっ、冗談でち!ちょっとやりすぎたのはゴメンするでちから!」
ちょっとだけなのか?
「おめでとう、ネネ――これが記念すべき最後の遠足だ!行ってらっしゃい!」
そして、ガター・ザ・ドラゴンズヴェースンはトドメの呪文を唱えた。
『闇から闇へ、大地を渡れ、海原を渡れ、天空を渡れ!
――転送――!』
ここに、ドラゴン猟師が全身全霊を籠めた最高出力の魔法が炸裂した。
「あああああああああっっっ、またでちか!!!」
ネネは闇に呑み込まれて、どこか遠くへ飛ばされた。
その転送先が世界の裏側である事を彼女が知るのは、もう少し先の話だ。
――ねんねの復讐――おわりでち。