家族の絆 - 3
「おばあちゃん・・・」
部屋に入って来たユウキが小さな声を掛けると、エリスは編み物の手を止めて顔を向けた。
そこには少し困った様な顔をしたユウキと、しがみつくリューイが立っている。
事情を察したエリスは微笑ましく思いながらも、とにかく二人を座らせるために部屋の中ほどへ連れて行った。
その時、ドアの外からノックと声が掛けられる。
「おかあさん。リューイは来ていませんか?」
ベッドにいないリューイを探してるアラドーネだった。
リューイに対して異常な執着をするアラドーネもエリスの事は多少尊重する。
だから、リューイが編み物や料理などを習ったり、お茶やお菓子を囲んで二人で過ごす時間を取る事ができるし、今もノックをするなど常識的な対応をすることができた。
そうでなかったら問答無用で部屋に駆け込んできただろう。
エリスはユウキ達に黙っている様に身振りで知らせると、軽くウィンクをして二人を物陰に移動させた。
「アラドーネ?リューイならさっき来たけどまだ眠いみたいだったから私のベッドで寝かせているわよ。ぐっすり寝ているから起きたら連れて行くわね。」
いない事にすると血相変えて探し回るので居場所は伝えなければならない。
その後、連れて行くと言うアラドーネをなだめてとりあえず納得させ、やっと孫たちと向かい合う事ができた。
「リューイ・・・ほらもう放して。」
「嫌・・・お兄ちゃんがまたいなくなっちゃうから。」
やっと口を開いたリューイは更に力を込めてユウキを抱きしめる。
「いつも一緒にいるじゃないか。僕はいなくならないよ。」
「でも近くにいても近くにいないもん。」
幼児ゆえの感覚的な言い方になっているが、確かに同じ家で暮らしていても”抱き着ける程近けない”事を言っているのだろう。
誰かが二人を引き離している・・・と言う訳ではなくアラドーネがリューイに掛かりきりの為、ユウキが近づく事はできなかった。
リューイの色々足りない言葉につい微笑みが浮かんでくるが、同時に困った様な、憐れむような気持ちが湧きあがってくる。
それらの様々な思いを微塵も表に出さず、何気ない調子で話しかけるのは、やはりエリスが大人だからなのだろう。
「リューイはお兄ちゃんの事が大好きなのね。」
「うん!お兄ちゃんがだ~い好きなの。」
気に入る話題を振られてうれしくなり、リューイはふわーっと花が咲く様な笑顔を浮かべている。
「でもそんなにくっ付いていて大好きなお兄ちゃんのお顔が見えないのはもったいないわね。」
『離れなさい』と言われたら全力で抵抗したであろが『もったいない』と言われるとせっかくの機会を無駄にしている様な気がしてくる。
改めてユウキを見ると下から見上げた状態では確かに顔が見えづらい。
抱き着いてユウキの匂いに包まれているのは幸せだったが、話しもしづらい様な感じがする。
『損した分は直ぐに取り返す』とばかりに急いで離れると、リューイは兄の顔を真っ直ぐ見つめて微笑んだ。
『うん、この方がいい!』
もっとも離れ際に確保したユウキの手は決して放すつもりはない。
その後、ユウキは片手だけは何とか取り戻して、紅茶を飲みながらリューイとの会話を楽しんでいた。
「リューイはお母さんたちの事はどう思っている?」
色々な話題の後にエリスが率直に聞いてみる。
幼児にする話でもないが、幼児だからこそ直接的な言い方をしなければ伝わらない。
「お父さんとお母さんは嫌い・・・。」
「どうして。怒ったりしないで優しくしてくれるでしょう?」
「近くにいるけど遠いから・・・。」
少し言い方を考えた後でやはり感覚的な色々足りない答えが返ってきた。
近くにいるけど遠い・・・体は近くにいるけど心理的な距離は遠い。
「そう・・・」
悲しみの混じったまなざしで孫を見つめて、エリスが返す事ができた言葉はそれだけだった。
リューイが生まれてから、その才能に狂喜した夫婦は、娘の事を”神に使えるかのように”扱ってきた。
そこにはゴーザが漏らしてしまった神の予言が影響しているのは間違いないし、彼女たちも予言に踊らされた被害者なのかもしれない。
しかし、だからと言って娘夫婦の行いを許せるとも思えない。
予言の中で自分に都合のいい部分だけを・・・子供が『神々の様に名を呼ばれる』という輝かしい部分だけを喜び、そこに至るまでに子供たちが乗り越えなくてはならない”様々な試練”の事を無視している事、妄信的な考えに囚わてもう一人の子どもを全く顧みることがなくなっていた事、この事だけでも愚かな娘に育ててしまった事に責任を感じていた。
リューイにとってもユウキにとっても、アラドーネの事はもはや親として見る事は出来なかった。
だからほとんど無視されているユウキはもちろん崇め奉られているリューイにしても家族の絆に飢えていた。
ユウキにとっては『こんな事になったのは妹が生まれたから』と恨む気持ちが無かったわけではないが、自分に愛情を向けてくれるリューイは数少ない家族として愛おしく思っていた。
『幸薄い孫たちが、せめてお互いを心の拠り所として支え合ってほしい』
そんな当たり前の想いからエリスは言い聞かせるように二人にある約束をさせた。
「ユウキ・・・どんなことがあってもリューイの事を守ってあげてね。リューイ・・・辛い事はいっぱいあると思うけどお兄ちゃんを信じて、お兄ちゃんを助けてあげてね。たった二人の兄妹なんだから。」
深窓の令嬢として生まれ、そのまま家庭に入ったエリスは、世の辛酸も人間の悪意も本当の意味で経験したことはない。
その為、経験が足りないが故の浅慮なのか、夫ゴーザが決意した対応とエリスのこの言葉は似ている様でも意味するものが異なっていた。
後になってエリスと交わしたこの約束は、ユウキの逃げ道を塞ぎ、死地へ向かわせることになる。
しかしこの想いのおかげでユウキは絶望することなく、誇りを持って生きていく事ができたのもまた運命の皮肉と言うべきかもしれない。
そして運命を司る姉妹神の思惑さえ超えて、ユウキの物語は本当の意味でここから始まる事になる。