英雄の哀歌 3
「な、何故だ。」
胸から噴き出した炎を目にして、ゴーザの頭に浮かんだのは疑問だった。
「この炎は己を失くした者に着くのではなかったのか!」
今まで左腕を侵食されていたから分かる事がある。
この炎は自分の精神とせめぎ合う。
ゴーザの心の緩みや揺らぎに付け込んで勢いを増し、強い心には―――押し返すまではいかなくとも―――侵食を抑える事ができた。
コルドランにも幻覚や精神攻撃を仕掛ける魔物はいるので、当然の事としてゴーザはこの手の攻防に熟練していた。
だからこそ感情を完璧に押え込んでいる状態で炎に侵食された事が信じられなかった。
「あら、そんな風に思っていたのですか。」
吹き上がる炎から現れたのは妖艶な美女と手足を不自然な炎で縛められた少女―――トードリリーとマリーンだった。
優雅に降り立ったトードリリーに対して、手足の自由を奪われているマリーンは荷物の様に投げ出されて「うっ」と小さな声を上げる。
「ひっ!」
顔を引き攣らせたアラドーネが後ずさりして尻餅を着いたが、トードリリーはそんな些事を気に留める様子はない。
「私の炎は『抑圧された欲望を解き放つ』神威ですよ。恐怖で押しやられた心に火を着ける事もあれば、反対に理性で押し殺された感情に着く事もあります。そこらの魔物と一緒にされては困ります。」
これこそがトードリリーの恐ろしさと言うべきか。
本人の耐性の強弱に関係なく、その心に揺らぎがあれば支配下に置かれてしまう。
対抗するためには『心を揺らさない』事なのだが、そんなことが出来るのは全てを諦めた老人くらいだろう。
「くっ、こ、こんな事で・・・」
「あら、炎が灯っていると言うのにまだ抵抗できるのですか?本当にすごい方でしたのね。でもあなたが抗うその気持ちさえ私の支配を強める力となるのです。そんなに無理をしても余り意味がありませんよ。」
崩れる様に膝を着いたゴーザは、それでもまだ瞳の光を失いはしていなかった。
弱々しくも水切りを握ると最後の力を振り絞って笑う女の頭に振り降ろした。
――― ボ ヴ ァ ン ! ―――
途端に大きな音を立てて弾けるゴーザの炎。
大木が切り倒されるようにゴーザの身体が傾いて行き、やがて地面に小さく跳ねて止まった。
「あらあら勿体ない。本当に心が壊れてしまいましたのね。」
両断された筈のトードリリーはお菓子を落としてしまった子供の様にゴーザを見下ろしていた。
「おじいちゃん!」
ゴーザが地に伏した頃になって、ユウキはやっと我に返ることが出来た。
アラドーネに叩かれてから今まで、ユウキの心は恐怖と不安の鎖で縛められており、トードリリーの登場やゴーザの敗北に気づく事さえできなかった。
2年前のあの日から、ユウキにとってのアラドーネは『膿み続ける傷』だった。
『あれが母親の本心なのだ』と頭では理解しても心の中では嘘であってほしいと願い続けていた。
その想いは無意識にタルタロスサーキットに送られたので表に出る事は無かったが、今の様に直接対峙すると処理しきれない想いで膨れ上がり心がマヒしてしまうのだ。
しかしアラドーネが恐怖に射竦めらた事で、ユウキを圧迫していたものが薄れて霧散した。
心の自由を取り戻したユウキは直ぐに右目を閉じて心を静めて行く。
ゴーザ、マリーン、アラドーネ、そしてトードリリー。
周囲の状況を確認して妖しい美女の正面に立ち塞がる。
図らずもアラドーネを背に庇うかの様に・・・。
「また会えてうれしいわ。あなたの事は心配していたのよ。」
「・・・」
「うふふ、そんなに怖い顔をしないで。少し聞きたい事があるだけで別にあなたをどうこうするつもりなんて無いのよ。」
「そう思っているのならマリーンを放しておじいちゃんや街中の人達に点けた火を消してください。」
「そうねぇ。あなたが素直に答えてくれたらこのお嬢さんは放してあげてもいいわよ。」
「マリーンだけ?おじいちゃんは?他の人達は?」
「この人達に着いている炎は『押し込められた自分の想い』。私の神威はその想いを解放する事だから元に戻す方法を聞かれても解らないわ。あなたのおじいさん?そこの方は無理に抵抗して心が壊れてしまったからテラペア神にでも祈ってみればいいのではなくて?」
興味がないと同義のそっけない答え。
(おじいちゃん・・・)
ユウキの視線の先には先程からピクリとも動かないゴーザが横たわっている。
見える限りでは怪我をした様子は無いが、トードリリーの言葉通りなら精神に致命的な傷を負っている事になる。
(でも、おじいちゃんはこの位の事でやられたりしない。必ず意識を取り戻してどうすればいいか教えてくれる。だから、僕がしなくちゃいけない事は少しでも前に進むこと。街の人全部は無理だけど、マリーンだけでも助ける・・・。)
「分かりました。それで何を知りたいのですか。」
「このお嬢さんの兄弟?親戚でもいいわ。この娘の血縁者でこの祭典に来ている同じくらいの子供はいないかしら。」
「そんな事の為に・・・そんな普通に聞けば答えてもらえる様な事の為にこんな騒ぎを起こしたんですか。」
「使われる身の辛い所だけど、主様のご意向に沿う為には仕方がないのよ。それで、どうなのかしら。」
「ユウキだめよ。こんな人の言う事を聞いては。」
(だって、ここにいる親戚の子供なんてユウキしかいないのだから。そんな事を知られたらユウキが何をされるか分からないわ。)
「私の事はいいから逃げて・・・キャァーーー。」
トードリリーが一瞥すると炎が蛇の様に絡みつき、マリーンの口を塞いで言葉を遮った。
「余計な事は言わない事ね。それで、彼氏君としてはこの娘のために素直に教えてくれるのかしら。」
「僕は、今日初めてマリーンに会ったんです。そんな個人的な事までは知りません。」
何故か暴れ出したマリーンに睨まれているが、ユウキとしてはそれ以外答えようがない。
「本当に?」
「本当に。」
「・・・そう、嘘は言っていないみたいね。」
「あなたの希望した答えではないかもしれませんが、僕は約束を守りましたよ。今度はあなたが約束を守ってください。マリーンを放して下さい。」
「そうね。神族にとって約束を守る事は大事な事よ。(もっとも、こんなのは『約束』の内には入らないのだけれど。)いいわ、あなたの彼女は放してあげる。」
言うや否や、マリーンに絡みついていた炎は跡形もなく消え失せた。
しかしそれと同時に広場を埋め尽くした人達から悲鳴と共に何百という炎の柱が吹き上がり、周り中から照らされてユウキの影は消え失せた。
「その代り、今度は君を人質にしてこの娘に答えてもらう事にするわ。」
赤く照らされた女が『ニィー』と笑った。
◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆
絶え間なく降り注ぐ炎をユウキは水流で打ち落とした。
この木剣の扱いにも慣れたので水流の制御はかなり正確で外す事は無かった。
始めは飛んでくる炎を一つ一つ撃ち落としていたが、大した威力ではないと判ると広げる様に振りまいた水の膜で受け止める様にした。
これで大分楽にはなったが、火箭は周り中から襲い掛かって来るので、どんなに上手く立ち回っても間に合わないものは出てしまう。
その上、それを避けられない事情があった。
「お母さん!しっかりして。」
蹲るアラドーネを背に庇っている為に水流から漏れた火はユウキがその身に受け止めるしかなかった。
身を焼かれる痛みは以前ほどではなかったが、火が着くたびに脳裏には幾つもの幻影が閃く。
それはユウキが思い出したくもない事ばかりが心の蓋から逃げ出した様に次々と眼前に現れた。
だが最初こそ驚きもしたが湧き上がる感情は片端からタルタロス・サーキットに流してしまえば心を乱される事は無い。
問題はこの幻影が外からもたらされるのではなく、ユウキの思考能力を使って作られる事だ。
強制的に意識の一部が振り向けられるので徐々に考えをまとめられなくなって行き、最後には幻影の世界に捉えてしまう。
ユウキには幾つものロジックサーキットがあるのでそこまで地致命的な事にはならないが、セレーマの収束を乱される事は辛うじて保っている均衡を崩される危険があった。
現状では火箭を阻む為に5つのロジックサーキットが必要だった。
その他に身体操作に1つとドールガーデンに1つ、更に動き続ける必要から治癒の魔導具に2つのロジックサーキットを割り当てていた。
この内、治癒に使っていた2つを周転法に回したが、弱すぎて効果が出ない。
仕方なくドールガーデンも止めて3系統を重ねると時間は掛かるがなんとか火を消せるようになった。
だが治癒を止めた事で今度は疲労で身体が動かなくなって行く。
タイミングを見計らって周転法と治癒を切替えるしかない。
(く、こんな状態では長く持たない。何とかしないと・・・)
そんな時に背後でアラドーネが身動ぎする気配があった。
「お母さん、聖火台の下まで下がって。前からの攻撃は僕が防ぐから。」
アラドーネがユウキを嫌っている事は知っているが、この状況であれば言うことをきいてくれるはずだ。
うしろからの攻撃がなくなって被弾する数が減れば治癒に回す割合が増やせる。
治癒が使えれば疲労を回復してまだしばらくは動き続ける事ができる。
(周りの人達だって消耗するんだ。向こうだってこの状態を永遠に続けられる訳じゃないのなら耐えていればきっと状況が変わる。)
背後でアラドーネが立ち上がる気配がした。
「お母さん、早く・・・」
火箭の合間の僅かな隙間に顔を後に向ける。
細く白い腕がスッと伸びてユウキの肩に触れると、両掌で包み込むようにユウキの首を握り締める。
思わず両目を見開いて訴え掛けるも視界の端に見えたのは恐ろしい顔をした母親。
「お前がリューイの邪魔をする!お前が居るとリューイは不幸になる!」
アラドーネの胸には赤黒い炎。
トードリリーが現れた時から、アラドーネの心は恐怖に満たされていた。
周囲が炎を上げるより前から、アラドーネは炎に囚われていたのだった。
酸欠で意識が朦朧とする。
驚きでタルタロスサーキットを閉じてしまったので幻影が心を乱す。
動けなくなった身体に火箭が当たりユウキの胸にも赤黒い炎が灯る。
『♪ああ、かくして赤の英雄ザクソンは10万の敵を退けた直後に守り抜いた人々の裏切りによりその命を失った。その亡骸は如何なる尊厳も栄誉も無きまま森に打ち捨てられたのであった。』
トードリリーが『英雄の哀歌』と言う寓話の一節を口ずさんだ。




