英雄の哀歌 1
「アグリオスったら私の下僕を使ったのに簡単にやられて・・・だらしないわね。」
バルコニーの上でトードリリーは呆れたように溜め息をついていた。
そこには眷属のアグリオスが倒されて感情を荒げる様子は欠片もない。
彼女にとっては“自分の言いつけ通りにアグリオスが動き”、“目障りだったカイルたちを排除した”事が重要なのであって、その後のゴーザの登場やアグリオスの敗北についてはどうでもいい事だった。
「それとも、あの子供が良くやったと言うべきかしら・・・。それに結果的には彼氏くんが無事だった方が都合が良いかもしれないわね。おかげであの娘と取引が出来るのだから。」
微笑むトードリリーの傍らに突然炎が上がると、彼女はその中に消えて行った。
◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アグリオスが倒れた事で、激しく燃え上がっていた炎は慌てたように火勢を落として消えて行った。
縛めが消えて一応の自由を取り戻したものの、自分で何か行動を起こせる者など誰もいない。
危険なまでに体力を奪われた人達には倒れる以外の選択肢は残っていなかった。
次々に折り重なる人々の中心でユウキとゴーザの二人は戦いで上がった呼吸と熱を鎮めていた。
「おじいちゃん、大丈夫?」
駆け寄ったユウキが治癒の魔導具を押し当てるとゴーザの呼吸は直ぐに静かになり、受けた傷が瞬く間に癒された。
「すまなかったな。」
呼吸は落ち着いたものの、ゴーザの声は何時になく弱々しい。
「元々この魔導具はおじいちゃんに貰った物だし大したことじゃないよ。」
「治癒の事ではない。」
「?」
孫の勘違いをゴーザは苦笑いを浮かべながら聞き、言葉をかき消す様にワシャワシャと頭を撫で回した。
「いきなりだったが良く合わせてくれた。お前の力がなければ儂は死ぬしかなかった。」
アグリオスとの戦いは思いのほか苦しい戦いになってしまった。
炎の呪縛があったとは言え、庇護すべき孫に頼るなど保護者としては情けない失態以外の何ものでもない。
辛うじて勝ちは拾ったがその内容はとても誇れるものではなく、素直に喜べない理由がそこにあった
「そんな、ぼくはおじいちゃんの指示通りにしただけだよ。」
確かにあのギリギリの戦いの中でゴーザは攻撃の指示は出していた。
声や身振りではない。
まして思っただけで伝えられる様な特殊な能力でもない。
ユウキに攻撃させる時、ゴーザは斬りつける場所を視線でなぞっていたのだ。
しかも瞼を閉じた状態で・・・。
ユウキは戦いの場では必ずドールガーデンを使う。
そしてドールガーデンは認識空間をあらゆる方向から捉えることができるので気付いてさえいれば、例え背後にいても眼球の動きで斬る所を正確に知ることができた。
あとは指示に遅れないように木剣を動かすだけなのでユウキからすれば確かに『指示に従った』という感覚だった。
だが、それを完璧に熟す事がどれ程難しいか。
普段から連携の訓練はしていた。
訓練では十分に対応できるだけの技量には達していた。
だが何の打ち合わせもなく、準備もない状態でユウキが着いてこられるかどうかは大きな賭けだった。
そして訓練したままではユウキは着いて行くことはできなかった。
当たり前だ。
指示を出すのは戦闘モードの英雄ゴーザであり、相手は炎鬼となったアグリオスだ。
ユウキが攻撃できるタイミングなど刹那の間しかなかった。
指示を待っているだけではダメだと気付いたユウキはいつでも指示通りに動ける様にと、無駄になるのも厭わずに何度も何度も斬り込む直前までの準備を終えて待っていたのだ。
結果的にこの隠れた努力は静かなプレッシャーとなってアグリオスを追い詰めていた。
自分でも気づかない内に僅かながら判断を狂わされたアグリオスは、焦りから最後の愚行を選択する事になったのだ。
「良くやった、ユウキ。」
満面の笑顔で称賛する祖父に最初は驚きに目を見開き、次いで思いがけない事態に“はにかみ”ながら俯くユウキ。
この厳しい師が褒める事は珍しく、ユウキにとっては何よりもうれしい事だった。
◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆
胸の奥から湧き上がっていたものが途切れると、霞が晴れる様に徐々に意識がはっきりとしていった。
「わ、私は・・・」
少しづつ戻ってきた感覚が濡れた地面の冷たさを伝えている。
どうやら自分は倒れているらしい。
『良くやった、ユウキ。』
周囲の音が聞こえる頃には、自分が何処にいて何をしていたかも思い出されてきた。
「リューイ・・・」
その呟きは掠れてほとんど声にならなかったが、何よりも大切に思うその名を言葉にした事で意識は急速に覚醒へと向かう。
「私たちは追い詰められて、堀の下に逃げたけど扉が開かなくて・・・カイルが炎に焼かれて・・・それから・・・私は・・・それから・・・リューイは・・・」
焦りに呼び起こされたのか身体は完全に力を取り戻した。
跳ねる様に飛び起きて周りを確認すると嬉しそうに笑っていたもう一人の子供と目が合う。
「お母さんっ!・・・だいじょう―――パーーーン!―――(ぶ?)」
「えっ・・・」
ユウキの母親を気遣う言葉は、しかし頬を叩かれて最後まで言うことが出来なかった。
「リューイを何処にやったの!早く出して。」
余りにも理不尽な言葉。
追い詰められたミャーが牙を剥く様に、血の上がった顔でユウキを睨んでいる。
「お、お母さん・・・待って。僕は何もしてない・・・」
「言い訳をしないで!リューイは何処にいるの。」
再度振り上げた腕は、しかしゴーザに止められて振り降ろされることはなかった。
「アラドーネ、止さないか。」
「お父さんは口を出さないで!この子はいつも私たちの邪魔をするの!私とカイルがリューイの為を思ってしている事をいつも台無しにするの。」
「お前は何を言っているのだ。ユウキはお前たちを護ろうとして今まで戦っていたのだぞ。どう言うつもりか知らないが、感謝こそしてもいきなり殴る謂われは何一つ無い筈だ。」
「ふん、今に限った事じゃないわ。普段からいつも邪魔ばかり。私たちがリューイの為に習い事をさせようとすると、これ見よがしに遊び回ってリューイの集中を邪魔するし、私たちがリューイの為を思って厳しく接していると当て付ける様に優しい事を言って、さも酷い親みたいに誘導している。何よりも、ユウキが居る限りあの娘は家を継げないのよ。その所為で神々に愛されたあの才能が消えてしまうなんて・・・」
「黙れ!」
ゴーザの強い制止に、さしものアラドーネも身を竦めて言葉を止めた。
いくら興奮して我を忘れていたとしても、ゴーザの覇気に当てられれば唯の女が対抗できるものではなかった。
「それ以上、フェンネルの事情に口を挟む事は許さん。」
「お父さんはいつもそう。フェンネル、フェンネルって・・・私だってフェンネルに生まれたかったわよ。私の気持ちなんて知りもしないで。子供の頃に皆に言われたわ。『お前の家はフェンネルなのにお前はフェネルなんだな。』って。何度も何度もそんなことを言われて私がどれだけ悲しかったか・・・。私の気持ちなんてお父さんは知らないでしょう。私が何度この家を出たいと思ったかなんて興味もなかったでしょう。」
『甘えた事を言うな!』
以前のゴーザであれば迷うことなくそう言ったであろう。
それは戦いに身を置く者としては当然の心構えなのだから。
だが、ユウキの苦しみやリューイの孤独に心を痛めてきたゴーザにとって娘アラドーネの悲しみもまた惰弱と言って切り捨てる事は最早できなかった。
「フェンネルのお父さんには私の気持ちは解らないわ。リューイの事がどれ程大切なのか。リューイをどれ程誇らしく思っているか。」
茫々と涙を流す娘にゴーザは掛ける言葉が見つけられない。
家族を顧みなかった己の不始末を突き付けられているのに他ならないのだから。
ただ、それでも言わなければならない事はあった。
「儂に対する恨み言は解った。しかし、ユウキに辛く当たる必要はない筈だ。ユウキもまたお前の子供なのだぞ。」
「この子とリューイでは全然違うわよ。この子はお父さんと同じ“ただのフェンネル”。リューイはそれを越える“神の愛し子”。リューイの成す偉業の前にただのフェンネルなんて他の人と変わらない事を思い知ればいいのよ。」
それは、歪められたアラドーネの復讐なのだろう。
自分の受けた傷を氷柱の様に尖らせてゴーザに、そしてゴーザと同じフェンネルのユウキに向けて解き放つ。
そして、その思惑通りに昏い想いは二人の胸に突き刺さって毒を撒き散らした。




