ユウキの決意
酷使された筋肉が悲鳴を上げ、体の要求に応じて増した呼吸は既に限界を迎えていたがユウキとマリーンが足を止める事はなかった。
後ろからは津波の様に群衆が押し寄せている。
誰も彼もが奇妙に顔を歪めており、苦しんでいる様にも悦んでいる様にも見えた。
既に数えきれないほどの人が追ってきているというのに路地が交わるたびに新たな集団が増え続け、まるで巨人の手が小さな羽虫を握りつぶそうとしているかのように幼い少年と少女に向かって包囲の輪を閉じようとしていた。
いつの間にか少年と少女はまた二人だけになっている。
しばらくの間は聖者の盾の二人が現れる障害を排除していたが少し前に囲みの向こうに見えなくなっていた。
「ユウキ、あの聖者の盾の人たちは・・・?」
「分からない。いつの間にかはぐれてしまったみたいだ。」
あの人たちがどうなっているかなどドールガーデンで観れば一目瞭然だが、事実を知らせてマリーンの気持ちを曇らせる必要はない。
ユウキのドールガーデンが左前方から向かって来る集団を捉えた。
この様な包囲を既に何度もすり抜けて来ていたが、今回は向こうの動きが速い。
今の疲れた足ではあれが合流して来るまでに通り過ぎる事はできそうになかった。
ユウキはポケットから小さなエリアルを一つ取り出すと五つのロジックサーキットを一時的に開放してセレーマを注ぐ。
「マリーン、左前方。3、2、1!」
光り始めたエリアルを嵩増しした力で投げると向って来る集団の先頭で閃光に変わる。
不運にも先頭にいた者は視界を奪われて足取りを緩めるが勢いのついた後続まで止まる事はない。
背中を押されて一人が倒れると次々に人間が折り重なり、悲鳴と呻き声で壁が出来たかの様にピタリと流れが止まった。
走りながら目を向けるとモゾモゾと蠢く人の塊にマリーンは思わず顔を背ける。
あれでは怪我をした人が何人もいる事だろう。
もしかしたら死んだ人さえいるかもしれない。
だがそれより恐ろしかったのは後ろにいる人々の表情に一切の変化がない事。
『何も変わった事などない』というように倒れた人々を踏みつけて前に出ようとしていた。
「ごめんなさい。」
小さな呟きだけがその場に残された。
全てが非現実的で
歪で
悪意に満ちていた。
しばらくすると今度は左右から別々の集団が合流しよう迫って来た。
ほぼ同じタイミングで100人程が雪崩れ込むことになるが今回は広い道幅が幸いして包囲が閉じる前に間を抜けられる。
だがこんなことをあと何度繰り返せばいいのだろう。
ユウキはドールガーデンとロジックサーキットを総動員して打開策を探し続けている。
しかし周囲100シュードを認識し、7系統のロジックサーキットを駆使しても雲霞のごとく押し寄せる追手の前にはほとんど意味を為さなかった。
マリーンの限界が近い。
ここまで懸命に走ってきたがもう直ぐ疲労で動けなくなるだろう。
あるいは足を縺れさせて転ぶかもしれない。
いずれにしても先程の路地と同じことがこの小さな身体を覆い尽くす事になる。
『助けたい』
だから身体制御の1系統以外、普段であれば周囲の警戒に当てているロジックサーキットでさえ使って方法を探していた。
周囲を警戒する感覚を外すのは危険が伴うが、それでも可能性を少しでも上げる為には賭けに出るしかなかった。
だが、運命は少年と少女に過酷だ。
群衆の中から投げられた短剣に気づくのが遅れて、マリーンと共に地面に身を伏せる。
ユウキが身体を起こすと抜けられる筈だった隙間が閉じていった。
目の前には投げられた短剣が落ちている。
握りの部分にバラの花が象嵌され、翼を模した鍔が投擲した際に矢羽の役割をする実用的な一振り。
拾い上げて軽く振ると少しだけ気持ちが落いた。
ユウキはポケットに手を入れて残っているエリアルをすべて取り出した。
「マリーン。今からありったけの力でエリアルを光らせる。周りの人たちが動きを止めたら後ろの扉から家の中に入って。」
「どうするの?すぐに囲まれて捕まっちゃうよ。」
「中に入ったらすぐに鍵を閉めてどこかに隠れていてほしい。」
「ユウキも一緒だよね・・・この家に何かいい隠れ場所を見つけたんだよね。」
「マリーン聞いて。このままじゃあ二人ともあの群衆に飲み込まれる事になる。だから・・・僕はこのまま走って逃げるからマリーンはここに隠れていてほしい。どうなるかは分からないけど少なくとも二人でいるよりは可能性は高いはずだから。」
「そんな、無理だよ。もう完全に囲まれているのに、触れる事もできない人たち相手にユウキはどうやって逃げるの。」
「僕だけなら何とかなるよ。」
「やだ!最後までユウキと一緒にいるよ。」
「わがままを言わないでよ。どちらにしてもマリーンはもう走れないでしょう?お願いだから言うことを聞いて。」
実際に走る力の残っていないマリーンには返す言葉が見つからない。
ユウキの言っている事が正論だからだ。
だけどユウキは自分が囮になってマリーンを逃がそうとしているのだから納得できるものではなかった。
ユウキも気づかれていないなどとは思っていない。
だが二人そろって自滅まがいのマネをするつもりは毛頭ない。
『あの神族の女の人はともかく、追ってきている人たちの狙いは僕だ。マリーンまで巻き込む必要はない。それに・・・』
囲みが間近に迫って来ていた。
もう時間がない。
マリーンは何か言いかけていたが構わずエリアルを握りしめた。
「マリーン行くよ!」
一時的にすべてのロジックサーキットを解放、手の中の3つのエリアルに9つのロジックサーキットからセレーマを注ぐ。
最初は淡く、やがて急激に輝きを増してゆくエリアルを真上に投げると急いで顔を背ける。
空いた手を添えて肩に押し付けるようにマリーンを俯かると図らずも頭を寄せ合う事になった。
こんな場合でもいい匂いがして少しだけ気持ちが和らいだ。
「マリーン、今だよ。」
声を掛けたがマリーンは首を振って動かない。
仕方なく扉を開けると投げ込むように押し込み、ユウキはまだ光が収まらない中を駆けだした。




