負け組勇者と残念魔王 27
ヨアキムに操られた生徒達は細かな操作は利かないようで、真勇人という撒き餌に釣られた生徒達は愚直にもその後ろをゾロゾロと追いかける。
ヨアキムへの道はあっさりとできあがり、怨敵を倒すために作られたような道をオリエは走り出した。
一歩目で地面を蹴り、二歩目で斜面の瓦礫の端に足をかけ、三歩でヨアキムのから三メートルほど前に到着した。
「やあ、よく来たね。オリエさん。……待っていたよ」
まるで恋人でも待っていたようにヨアキムは、その両手を広げて胸を見せる。
「私に向かって怒ったかと思えば、今度は愛でようとするなんて……貴方、なんなの」
「なんだい、オリエさん。そんな疑問を投げかけるなんて、僕と愛を語り合おうというのかい?」
オリエは深くため息を吐く。
「……貴方とどれだけ話をしても、無意味ね。でも、それだけ、愛だなんだと言っても――」
オリエは知っていた。
人が持つ愛という感情がどれだけ強く、どこまでも温かいものだと。それこそ、自分の持つ世界観を壊すほどに強烈なものだということを。
昔、真勇人の記憶を消したことが彼に対しての愛というなら、今、真勇人と契約したことを愛と呼べるなら、それは誰にも負けないほどに大きなものだ。
「――貴方の愛は軽過ぎる」
オリエは小さくジャンプしたかと思えば、高速でヨアキムの眼前まで近づく。
ヨアキムは、オリエの肉体の一部が迫ってきていることにやっと気づく。しかし、その時にはもう襲い。
オリエの華奢な足から放たれるコンクリート砕くほどのハイキックが、ヨアキムの顔面を直撃をする。そこがヨアキムにとっての美点であり、オリエにとっては最も醜悪なものに見えた。
「ひはっ」
笑いと悲鳴が混じるおかしな声を上げたヨアキムは、受けた衝撃のままに地面に叩きつけられ、人の体ほどの大きさの瓦礫を巻き込みながら転がっていく。
先程まで上から見下ろしていたはずのヨアキムだったが、今ではオリエが地面で横になるオリエを見下ろす形になる。
確かに感触はあったが、これだけで終わるようには思えない。集中を途切れさせないように、真下で腰を曲げて倒れているヨアキムを見る。
「ははは……やるねえ。さすがの僕も、不意打ちに反応することができなかったよ」
ダメージを受けた様子もなく、今まで寝ていただけかのようにヨアキムはその場から立ち上がる。再び倒れるような様子もなく、しっかりと伸びた足は大股でオリエへ向かって歩き出した。
全力で蹴られたはずの顔は傷一つなく、無傷だということをアピールするように自分の頬を撫でる。
「なんで、普通にしていられるの」
声のトーンはさほど変わらないものの、声色の中には驚きが混じる。
「僕はこれでも勇者としては最高位の魔王討伐任務に参加していたんですよ。これぐらいの攻撃、しかも、直接攻撃なんて僕を倒すなんてこと無謀ですよ」
オリエは見たくも無いヨアキムの顔を凝視する。月明かりに照らされて頬が、魔力の波紋を起こす。確かによく見れば、薄い魔術防壁が張ってある。服の下から爪先まで、きっとこの防壁で攻撃を防いでいるのだろう。
「それでもっ」
近づくヨアキムに対して、再び攻撃を行うために接近するオリエ。
体を浮かせて右腕を引けば、バズーカ砲のようなストレート。
「何度やっても一緒さ」
腰を逸らして、簡単にその攻撃を回避するヨアキム。
自分の身を守らなくても、避けることができたヨアキムという存在に苛立ちを覚えるオリエ。
「でも、やるしかないのっ」
蹴り、殴り、角度を変えての一撃。相手の弱い部分を探しての連打。
防壁さえなければ既に全身は形を変えているはずだ。人間には、どうしても鍛えられない場所がある。と壬生ラツキから聞いてはいたが、目の前の存在はそういうのを超えていた。
勇者候補生だとしても、かすりでもすれば、まともに立ってはいられない。そんな自分の一撃を赤子の遊びのように扱うヨアキムへのイライラは増していく。
「なんだい、僕が他者を操ることしかできないと思ったのかい。こう見えても勇者なんだ、これぐらい何ということはないさ」
「舐めないでよ……!」
次々と攻撃を見切るヨアキムへと手を止めることなく、リズムを変えて手数を増やして攻撃を行うが、明らかにヨアキムの持つ戦闘経験の高さがオリエを触れさせようとしなかった。
「やはり、魔術の一つも使えない君は……僕の望んだ君じゃない」
「貴方の望み通りに動くつもりはないわ」
真っ直ぐに伸びたオリエの拳を避け、ヨアキムはその手首を掴む。
「それでも構わないさ、君とこうして巡り会えたのだから」
「触るな! ……きゃぁ!」
掴んだ右手首を引き寄せて、ヨアキムは体をよじって逃げようとするオリエの首を掴んだ。
ヨアキムは、少しでも力を入れてしまえば、簡単に折ることのできるその細い首を愛おしそうに見つめる。
「さっきは怒ってごめん。少しばかり、想像していたものと違うだけで声を荒げるなんて、みっともないと思ったかもね。ごめんね、本当に」
まるで恋人のような甘い声を出すヨアキムに、腹の中の物が吐き出そうなほどの嫌悪感を覚える。
この男は、何度自分に不快な思いをさせるのだろうか。と思うと同時に、至近距離で見つめるヨアキムを睨む。
「お前は私のなんなんだ。本当に、そんな理由で私を狙っていたのか」
首を絞められて苦しいが、喋ることができないわけではなかった。それでも、相手の立場が優位なのは変わらない。
「そんな理由とは失礼だな。私が誰かに焦がれるというのは、君が初めてなんですよ」
「変態、ロリコン」
「そういう癖は持っていなかったはずなんですけどね。魔王の娘という特別でありながらも、その麗しい容姿、魔族でありながら勇者の中で人の中で生きようとする特異性。貴女の内に秘める強大な力にも期待したのですが、それはそれとしておきましょう。……伝わりましたか、オリエさん。僕の感情を。愛を」
ヨアキムの瞳は揺れ、その顔は蒸気しているように赤い。
学園のミーハーな女子生徒が、オリエの立場ならすぐにでも心を奪われていただろう。しかし、オリエはヨアキムの外見も中身も歪んだ愛も全て、醜悪な化け物にしか見えない。
「うるさいよ? 真勇人の命を奪い、私の幸せを壊した。お前を許すわけが無い」
冷たい瞳のオリエ。その目は全てを拒絶する意思が溢れている。
ヨアキムは、一瞬ショックを受けたように顔の筋肉を硬直させる。その数秒後、ふぅと小さく気持ちを落ち着けるために息を吐く。
「あまり僕を怒らせないでくださいね。うっかり、オリエさんを殺してしまうところでしたよ?」
事実、ヨアキムの手元は力が入っていく。
「ぐぅ……ま……ゆと……」
オリエはヨアキムの力に顔を苦悶に歪ませる。
自分ではない男の名前を呼ぶオリエにヨアキムは、冷淡な視線を向ける。
「これ以上、嫉妬させないでください。この僕と一緒の時間に、他の男の名前を呼ぶなんて……。いいでしょう、これから僕とオリエさんは一つになるのですから」
ヨアキム首を絞める指先に淡い緑色の光が灯る。
オリエは全身から力が抜け、自分の体が少しずつ重たくなっていくのを感じる。脱力感と共に、自分の奥底で蓋をしていたものを無理やりこじ開ける感覚。
「がぁ……ぐぅ……あぁ……」
苦しげな吐息を漏らすオリエ。
ヨアキムは、オリエの魔力を奪うために、〈吸収操作〉を発動させた。オリエの心が自分のものにならないと分かった以上、ヨアキムの頭の中にはこの方法しか浮かばなかった。
「この力で、貴女の心も力も僕のものです。全てを吸い尽くした後は、ゆっくりと優しく愛でてあげますねえ。オリさぁん」
普段よりも高くなった声が耳に届くが、力の放流が始まっているオリエにはその余裕がない。しばらく魔力らしい魔力なんて使ったことがなかったせいで、一度開いた自分の中のタンクを調整することもでないまま、ただ力が流れていく状態に苦しみの声を上げることしかできない。
「きて……真勇人」
オリエの助けを呼ぶ声を嘲笑するヨアキム。
「何度呼ぼうが、一緒ですよ……。あなたは、このまま――」
「――うおおお!」
ヨアキムは突然の頭上から降り注ぐ声に、オリエの体を放り投げる。ヨアキムの腕があった場所を、上方向から落ちてきた新たな腕が通り過ぎていく。――それは、高く飛び上がって落ちてきた真勇人の放った拳。
足元の瓦礫を弾き飛ばせば、すぐに拳を抜いてオリエをお姫様抱っこのように抱きかかえて、ヨアキムから間隔を開ける。
「また、キミですか……!?」
開いた瞳孔でこちらを見るヨアキムの視線の先には、真勇人とオリエ。
「無事か、オリエ!」
ヨアキムの言葉なんて無視して、オリエに声をかける真勇人。
「ま……真勇人……。どうして……」
苦しげに呼吸を何度も繰り返すオリエ。
「魔王の契約の印が、また俺を飛ばしてくれたみたなんだ。目ぼしい奴は大方倒してしまったから、あいつらのことは気にしなくていい」
いつも通りの優しい笑顔で笑いかける真勇人。オリエは、ホッと息を吐く。
「少し……作戦がある」
真勇人は耳をオリエの口元に寄せる。
オリエと顔を密着させて何度も頷く真勇人に、眺めていたヨアキムの怒りが湧き上がる。
「近衛真勇人――!」
煩わしそうにヨアキムを見れば、オリエの体をその場に寝かせる。
「オリエ、ちょっと頑張ってみるよ」
オリエは大量の汗を全身に搔きながら、真勇人の逞しい背中を見つめた。
ヨアキムに向けて、真勇人は利き腕の右の拳を真っ直ぐに伸ばした。
「行くぞ、外道。てめえていう勇者は、俺が……俺達が否定する!」
ヨアキムは、激昂して真勇人へ向けて走り出す。
「負け犬の勇者が、この私を止めるなんて幻想を抱くな――!」
そして、真勇人もヨアキムへ向けて土ぼこりを巻き上げて走り出した。




