負け組勇者と残念魔王 22
――そして、過去の世界からようやく覚醒した。
「――真勇人ッ!」
もう泣いているのではないかと思うほどの、強く心に響くような夢音の声。
先程までの頭痛は既になく、今度はしっかりとした感覚で目の前の鉄の棒を掴むとゆっくりと腰を上げた。
「思い出した……」
立ち上がり、一言呟く真勇人にホッと安堵の呼気を漏らす。
「ねえ、やっぱり早く帰ったほうがいいよ? 顔色もなんだか、悪いし!」
強引に真勇人の腕を引き寄せ、家に連れ帰ろうとする夢音の眼前に、空いているもう片方の腕を持ち上げて手の平を見せる。
「いや、心配ない。確かに、体はちょっとキツイけど……忘れていた大事なことを思い出した……」
頭を振り、もう一度深く呼吸をする。肺に満たされていく空気に、心が平静を取り戻していく。
一、二分前まで感じていた頭痛が嘘のようだ。冷静になってくる思考が、頭痛の意味と強引に掘り返された記憶の結果を追求する。
頭痛の原因は、この記憶を消去したオリエの魔法のせいだろう。そして、その魔法が解かれる原因になったのは、真勇人がオリエと魔王騎士の契約をしたことが理由なのは明白だった。
「夢音、俺さ……オリエのこと忘れていたよ」
落ち着いた様子で声を発する真勇人を見た夢音は、とりあえずは本当に安心したようで、掴んでいた腕の力を弱めて返答をする。
「本当に忘れてたんだ……。住んでいたところに帰ったオリエのことを話しても、まともに聞いてくれなかったもんね。……ボク、てっきり喧嘩して別れたかと思って悲しくなったんだよ」
夢音の言葉が気になり、真勇人は口を挟む。
「ん? お前、オリエが帰ったていうのを何で知っているんだ?」
真勇人は不思議に思う。
あの記憶の中に夢音の姿はない。その夢音が、どうしてオリエのことを知っているんだ。
真勇人の疑問を知らず、さも当然という風に夢音は言う。
「だって、オリエ。帰る前にボクの家まで会いにきたよ?」
「え!? それ、本当か!」
「あいたた……本当だから、手引っ張らないで」
気が付けば、夢音の手首を強く握っていたようで慌ててそこから離した。
「すまんっ。つい……」
尋常じゃない真勇人の様子に気づいた夢音は、やんわりと痛みの残る右手を振りながら囁くように声をかけた。
「どうしたの? なにか、あった?」
真勇人は両腕の拳をグッと握り締める。その握り締めたものは、傷つけたオリエへの想い。
「……俺、学園でオリエに会ったんだ。そこで、アイツのことを傷つけちまった」
最初はオリエの名前を聞いて、顔に喜色を滲ませる夢音だったが、その先の言葉を聞いて訝しそうに真勇人を見る。
「せっかくオリエに会えたのに、なんでそんなことしちゃったの……?」
真勇人は辛い気持ちを表情に出して、夢音の言葉に対して首を横に振る。
「悪い、それは夢音にも言えない。……でも、俺はオリエの気持ちを考えることもなく、身勝手に傷つけちまった。昔の俺と同じことをやってしまったんだ」
中学を卒業して学園に行くまで悩みなく夢を追いかけることができたのは、確実にオリエのおかげだった。
自分の友達から記憶を消すという行為が、オリエにとってどれだけ悲しい決断だったのだろう。幼い日のオリエのことを考えると、身が裂かれる思いだった。
夢音は真勇人のやってしまったこと、オリエをどれだけ傷つけてしまったのかは理解することができない。しかし、彼の深く重い後悔だけはひしひしと胸の奥まで伝わってきていた。
「ボク、今の二人のことはよく分からない。悔しいけど、ボクはどうやって力になっていいのか答えようがないよ。それでも、今のボクに言えることがあるとしたら――」
悩み苦しむ真勇人とオリエの問題に深く入ることができない。真勇人の表情を見ていれば、夢音はそれに気づく。
夢音は、思うがままに二人の幼馴染として言葉を口にする。
「――マユくんは、どうしたいの? 自分の気持ちを教えて」
「俺が……どうしたいのか……」
学園に入学してからというもの、自分の気持ちを抜きにして世界は進んでいた。夢への一歩のはずが、現実とのギャップに苦しんでいた。
そんな中、オリエという存在がそのギャップを埋めてくれていた。
オリエを助けているつもりが、オリエの側にいることで守られていた。
真勇人は今の自分がどうしようもないぐらいみっともない人間に思えた。一人、身勝手な勘違いを抱いていた。
「オリエに謝りたい。傷つけたことを謝って、また友達に戻りたい。でも、今の俺が会いに行っても迷惑になるだけだ、きっと今度こそオリエに嫌われた」
真勇人の情けない声を聞き、夢音は顔をムッと膨らませた。
「そんなの、誰が決めたんだよ! 少なくとも、私の記憶の中のオリエはマユくんのこと大好きだったよ! きっとマユくんが戻ってきたら嬉しいに決まってる! マユくんと同じ気持ちなんだよ! 絶対に!」
夢音の発言を聞き、悔しげに真勇人は顔をしかめた。
念を押すように夢音は言う。
「さっき、オリエが最後に私の家にきたって言ったよね。……その時、言っていたんだ。『真勇人も夢音も大好きな友達だよ』ってさ」
夢音の言葉に、胸の奥が温かくなる。
誰かの一言に、ここまで心が動く自分に真勇人は驚く。
「そうか……。オリエは、こんな俺を友達と言ってくれていたのか……」
夢音は真勇人の両頬をその手で挟みこむ。
突然の出来事に、顔が熱くなっていく。それだけ夢音の手の平の体温が直に伝わってきた。あったかな手の中に包まれ、真っ直ぐな夢音の瞳を見つめる。
「オリエはどこか変わってたの!?」
記憶の中のオリエと現在のオリエは、そのままはっきりと重なっていく。
暴れれば逃げ出すことはできたが、無意識下に夢音の声から手の中から抜けることはできなかった。
「変わってなかった」
「真勇人に冷たくした?」
そんなことあるわけがない。最初からずっと、あの頃のままで一緒に居た。
「アイツは、誰かに冷たくするような奴じゃない」
「……そこまで言えるなら、真勇人のやるべきことも決まったんじゃない?」
夢音は表情を穏やかに崩せば、両頬を挟んでいた手の力を緩める。
「――俺、行くよ。オリエに会いに行く」
夢音の顔を揺ぎ無い瞳で見返す。
(たくさんオリエに迷惑をかけた。それでも、オリエは信じてくれた。……どんな俺になっても、アイツは俺を信じ続けてくれていた)
真勇人は自分の頬に当てられた両手の手首を掴んで、ゆっくりと離す。
その顔は真剣を絵に描いたように、勇ましいものだった。そして、それは夢音にとってもっとも好きな彼の顔でもあった。
夢音は真勇人の顔を直視することもできず、恥ずかしげに顔を逸らした。
「……うん、今度戻って来るときは、オリエも一緒にね。また会いたいし」
真勇人はオリエに向かって満面の笑みを向けた。
「ああ、そうだな! ――痛ぅ」
チクリと針に刺されたような急な手の甲の痛み。顔を歪めて、庇うように左手で右手を支える。
「えぇ!? 今度は、どうしたの!?」
「いや、急に手が痛くなってきて……。ん、これは……」
右手の甲に浮かび上がった魔王騎士の契約の印が淡く輝いている。
「一体、どうしたの!? ……怪我、しているわけじゃないし」
夢音は、右手をじろじろと見ているが、契約の印は見えていない様子だ。
(コレ、俺にしか見えていないのか……)
最初の刺すような一度きりの痛みからは、継続的に痛むこともない。ただただ、ぼんやりと輝く手の甲になんとなく触れてみた。
――たすけて、真勇人。
「オリエ?」
はっきりとオリエの声が胸の奥に響いた。
契約者としてオリエの想いが、音声となり温もりとなって心に到達した。
(なるほど、これが契約した俺とオリエの繋がりか)
魔王騎士としての証。勇者ではなくなった証明を見つめる真勇人。
「アイツが、助けを待っている」
手の甲から顔を上げた真勇人の顔には、勇者が持つその表情をしていた。