負け組勇者と残念魔王 ①
五月。新たなスタートを切った、人間たちが少しずつ歩み始める季節。
ニシニホン勇者養成学園。初等部、中等部、高等部があり、六歳から十八歳までの学生が通う。また、初等部、中等部に入学する子は勇者の才能に早く目覚めた少数の子供達。ほとんどの学生は、高等部から通う学生がほとんどである。ごく一部を除き、高等部を卒業後に魔物を討伐、人類の生存圏を守護するための勇者として認められる。
多くの学生を通わせるための広大な敷地を持ち、次世代の勇者を養成するために必要な建物が並ぶ。
勇者を養成、とはいっても学校に通う学生というのは変わらないので、教室棟があり体育館があり運動場がある。どこにでもある学校施設に、勇者になる上で必要な様々な設備を加えた学園となっている。
世界中にいくつかある内の一つの学園。真っ白いコンクリートには、衝撃を吸収し破壊魔法からも守る魔術防壁を練りこんである。
何棟も連なる学園の端に立つ棟の一階の隅、すぐ手前の壁には非常用通路が作られた角の教室。
ところどころ空席が目立つ教室には約四十人分ほどの机が並ぶ高等部一年G組。斜め右の角、窓際の席で頬をつきながら、ボーと外の光景を見る男子生徒。目元を隠すほどに長い前髪、それはオシャレやポリシーなどではなく単なる面倒くさがりな性格がその髪型にさせた。――名前は、近衛真勇人。
朗らかな陽気に当たりながら真勇人は、大きな欠伸をすると一言。
「あー……。早く、学園終わらねえかな」
心の奥底から、やる気のない声。その目の中に映るのは、ホームルーム前だというのに、運動場で格闘術の稽古を行う体操服姿の学生達の姿。
当たり前の学園の風景が、真勇人にとっては酷く面倒で鬱陶しいとすら思えた。
(俺にいたっては、体育の時間の体操服に着替えるのも面倒くさいというのに……)
学生達は自分の勇者としての才能を持つと同時に、固有の特殊能力を持つ。
初期の五人の勇者は身体能力と固有能力だけで戦ったようだが、今は魔族から教わった技術である魔術が発展したため、驚異的な身体能力、固有能力、学園で習う魔術。と三つの力を軸に勇者は魔族と戦うことが前提となる。
魔術も治癒系や攻撃系や特殊系など、様々なものが存在するが、それを使うのは自分の固有能力を補うために行うのがほとんどだ。最終的には、戦闘で発揮されるメインの力は、固有能力が中心となる。
運動場での光景は、どれも忙しなく真勇人の追いかける視線も必死に動く。視界の中にいるどの学生も自分の能力を使い、派手に動いている。
背中から翼を広げる者、腕を伸び縮みする者、体を透明にする者、自分を分身させる者。
学生達は本来持つ身体能力に加えて、学園に在籍している間に目覚めた力を存分に発揮している。
一瞬、真勇人の脳裏にも風を操り炎で敵を火あぶりにする自分の姿が浮かぶ。
いやいや、それはおかしいな。と、小さく口角を上げた。
(ま、俺には関係ない話か。必死に勉強して鍛えて入学しても、結局、俺はここにいる。どうせ、ここにいる俺達は――)
――バタンッ。
小さな本棚でもひっくり返したような音。それは、足元から聞こえた。
顔を動かすことなく真勇人は、音のした方向に視線を向ける。
「……」
制服を着た少女がうつぶせで倒れている。うなだれ落ちた花のような人間が。真勇人の机の前に。
深過ぎて光すら見えるのではないかと思うほどの黒色の髪、そしてセミロング、毛先に少しだけかかったカールが、心なしか萎れているように見える。純白と例えても良いほどの白い肌も、今は病的にすら感じる。
いきなり倒れたからといっても不審者でもなければ、浮浪者でもない。ここのクラスメイトだという間柄以上に真勇人はこの少女の名前を知っている。
ぐー。ぐー。ぐー。
三度、動物のいびきのような音が鳴る。決して、誰かが寝ているわけではない。
ぐー。ぐー。ぐー。
音の発生源は、倒れている少女の腹から聞こえる音。助けを求めるにしては、もっとそれらしいものなら、こっちももう少し必死になるのにな。と、真勇人は思った。
はぁ、と何度もこの時間に繰り返したため息を漏らす真勇人。
「おい、オリエ。壬生オリエさんよー」
名前を呼ぶが反応はなく、真勇人は慣れた動作でバッグからタッパーを取り出す。
椅子から立ち上がり、慣れた動作でタッパーを開いてみれば、ウインナー、おにぎり、和え物が並ぶ。それは、真勇人の住む学生寮の朝食の一部。乱雑に押し込まれたタッパーは、まるで犬や猫などのペットにあげるようだった。
外見だけで見てみれば、食欲をそそるものではない。それでも、空腹時の人間は枯渇しようとするエネルギーを満たそうと思うものである。
「たべ……もの……」
弱々しい声で壬生オリエが言う。
「ああ、そうだそうだ。お前のご飯があるぞ、ここにな。ゴハンだ、ゴ、ハ、ン」
――ガバッと猛烈な勢いでオリエが起き上がれば、箸も使わずにタッパーの中の食べ物にがっつく。
「がつがつがつぱうくぱくぱくもぐもぐ」
息つく暇もなく、浴びるようにオリエが顔中を米だらけにしながら口に運ぶ。
地べたに座ったままで、食を進めるオリエを呆れ気味に見ていた真勇人は、学生カバンに入れていた箸を差し出そうとするが。
「ごちそうさまでした」
パン、と両手を叩き、ごちそうさま、をするオリエ。
目の前でピッタリとくっついた両の手の平を見るたびに、真勇人はいつもどこかホッとする。
「て、箸はいらなかったな……」
やれやれ、という感じに頭を振り、箸を再び学生カバンに直す。
「ぱふぅ」
嬉しそうに謎の奇声を上げ、満足そうした顔でお腹をポンポンと撫でれば、真勇人の前の席へと座る。
壬生オリエは真勇人の前の席になるのだが、席へ到達する直前に力尽きた様子だった。
「で、何か言うことはないのか」
真勇人は右手で頬杖を付きながら、呆れた顔で告げる。
お、と小さく声を上げて椅子ごと反転してオリエは向き直る。
「……ありがと」
頬を淡く朱にしながらオリエが言う。
「はい、よくできました。それにしても、今日は普段にも増して貧乏具合が酷いな」
「んぅむ……」
オリエはくりくりとした赤色の瞳を小さくさせて、困り顔を見せる。
壬生オリエはとても貧乏である。一見してみれば、どこかのご令嬢にも見える風貌。容姿は非情に良いのだが、天は公平にしようと必死になる。
プラスがあればマイナスが存在するのも人間。彼女のプラスが容姿なら、マイナスは貧乏だということだ。月に一万前後の学生寮の費用すらも拒み、食事に困り続ける。
どれだけ貧乏かといえば、学園の水道の水を水筒に入れて持ち帰ったり、空腹をごまかすために学園に生えている大量の小さな花をちぎり、その僅かな蜜をすする。それだけではない、魔法薬の実験材料のキノコを手に持てば、無意識の内に口に運び泡を吹く始末。
そして、泡を吹く彼女を保健室に運んだのが真勇人である。元から、その光景をいい加減見かねていた真勇人は、面倒見の良い性格も背中を押して、毎朝の学生寮の朝食をタッパーに詰めてオリエに持ってくるようになったのだ。
ホームルーム前に弱りきった体でやってきたオリエに、真勇人は食事を施し続けている。
これこそ、壬生オリエと近衛真勇人の日課である。
「真勇人」
オリエは、未だに指に付いた朝食の味を舐めることで堪能していた。
「なんだ。後、そういうのは意地汚いからやめろって言っただろ」
(箸を使わずに、弁当を一つ空にする人間には意味がないかもしれないが……)
真勇人は心の中で自分の言葉を付け足しながら、オリエに目を向ける。
「私は、容姿を褒められること多い」
「いきなり何を言い出すんだ、オリエさんよぉ」
「ただその容姿を維持するためには、大変な努力が必要になる。その中でも、特に必要な要素があるの」
やたらと深刻そうにオリエが言う。
「花の蜜を吸ったり、木の樹液を舐める女に何の要素が必要だと言うのだ」
オリエの顔は、化粧気などなくてもツヤツヤと輝いた肌を持つ。
(確かに、綺麗な肌してんな……)
まじまじと見てみれば、決して本人には言わない褒め言葉を心で言う。
「――毎日の朝食」
キリッとした顔立ちだが、言葉が言葉だけに全然格好がつかない。
「はいはい、俺が毎朝用意しろってことね」
「そして、昼食も」
「昼もかよ。まあ、金に余裕がある時ぐらいはな」
「晩御飯も」
「――却下だ! ……俺はお前の母ちゃんかよ」
「むしろ、嫁」
残念な脳みそをしたオリエは、無表情でその顔を傾げてみせた。
悪気を全く感じさせないその顔を見て、真勇人は深々とうなだれた。
うなだれながらも、真勇人は他人事のように考える。
(特別することもない。ま、いいか)
それが勇者を目指していたはずの彼の常套句となっていた。