負け組勇者と残念魔王 ⑩
約二時間に及ぶ映画は終わり、真勇人とオリエは歩幅を合わせて映画館から出てくる。
映画の内容といえば、テレビで見ていた予告で十分予想できる内容だった。
自分の作った人形を販売することで生計を立てていた人形師。ある時、傷ついた勇者を助けたお礼として、不思議な力の宿る魔法の粉を貰う。そんな彼の作り出した女の子の人形が、偶然その粉を浴びたことが原因で心と命を手に入れる。人形の身でありながら、人間に憧れる主人公が理不尽な差別に負けず冒険をしながら、成長しつつ人間へと変わっていく。
周りは子供達ばかりだったが、一緒に来ていた親もスクリーンを集中して見ていたように思える。同じく、真勇人もオリエも目の前で繰り広げられる物語から目を逸らすことができなかった。
正直なところ、背伸びをして妙な映画を見るよりも、オリエの選んだこの映画には値段以上の価値があったように思えた。
真勇人は、若干興奮しながらオリエに話しかける。
「この映画て子供向けかと思っていたけど、結構おもしろかったな」
「うん、そうだね」
「冒険の途中で、昔助けた人が現れるとこでは不覚にもグッと来ちまったよ」
「うん、そうだね」
「ラストのアクションシーンもすごかったよな。アニメも馬鹿にできないもんだ」
「うん、そうだね」
「……オリエ? おーい、オリエさーん」
「うん、そうだね」
オリエは歩きながらも、どこか遠くを見ていた。未だに、その目の中には映画の光景が繰り返されているのだろう。
真勇人が、顔の前で何度も手の平を振っても反応しないオリエ。
「オリエ、パンツ見えてるぞー」
「うん、そうだね」
「……こりゃダメだ」
オリエから感想が返って来るのを諦め、歩幅を合わせて進む。
呆けているオリエの歩く速度は、普段よりも随分と遅い。それだけ、彼女が映画を楽しんでくれた証明だといえる。
(オリエから、話かけてくれるのを待つか)
ゆっくりとした速度で、二人して街中を歩く。
暖かい陽気の中。晴天の空は、木々の隙間から陽の光を地表に落とす。真勇人とオリエの頬は穏やかな日差しのせいか、それとも横に並び立つ気恥ずかしさのせいか、ほんのりと頬は朱に染まる。
ふと、真勇人は、この時間が続けばいいと願ってしまった。その時――。
「真勇人」
オリエが急に口を開く。
オリエの顔を見れば、こちらをいつになく真剣な眼差しが見つめていた。
「女の子は、本当に幸せだったのかな」
女の子、という言葉が映画の主人公のことだと気づくには、少し時間が必要だった。うっかり忘れてしまいそうなほどの穏やかな時間を一旦休止して、オリエの言葉に耳を傾ける。
「ずっと人間に憧れてきたんだから、そりゃ嬉しいもんだろ」
なにより、映画のストーリーには悪い人間も出てくるが、それは極一部の悪役というキャラクター達で、基本的には主人公の周囲の人間達は好意的に描かれていた。事実、そういうものだと、真勇人は常識だと言わんばかりに即答する。
「そう、かな。……もしかしたら、本当は変わることが怖いのかもしれないよ。実は、世界は悪い人達ばかりかも。それに、ずっと近くに人形師さんがいてくれるかどうかも分からないよ。……それでも、彼女にとっての世界は人間になってでも過ごしていきたいものだったのかな?」
どこか真に迫るオリエの言葉。表情もどこか必死な感じが窺える。
慣れない映画の主人公に感情移入し過ぎているのか、いや、それにしては鬼気迫るものも感じる。
あまりの気迫に言葉を失いそうになりながらも真勇人は、何か言おうと口を開きかけた。
「オリエ、お前――」
耳を突き刺すような鋭い悲鳴が聞こえた。
「なに、今の」
オリエは淡々としながらも悲鳴のした方向を見る。その方向からは、再び悲鳴が聞こえる。男の声、女の声、高い子供の声。その悲鳴をきっかけに、声のした方向からたくさんの人が走り出した。――大勢の人達は必死に何かから逃げていた。
「なんか、嫌な予感がする。俺、ちょっと行って来るよ」
人の流れに逆らって走り出そうとすれば、オリエは真勇人の袖を引く。
「待って、私も行く」
真剣な眼差しを真っ直ぐに受けた真勇人は、強く頷く。そして、二人は迫り来る人間の壁を縫うように走り出した。
※
その出来事から、数分前。
少女は泣いていた。それは、映画館でオリエとぶつかった少女だった。
「おかあさん……」
親とはぐれてしまった少女は、一人泣いていた。親の名前を小さな口で呼び続けるが、通行人たちは少女の周囲を行き来する。一人の孤独感が、さらに彼女を悲しませる。
寂しく、悲しく、世界に一人だけになったような感覚。吐き気と眩暈で、全ての人間が自分を嫌いになったのではないかと錯覚してしまうほどに少女は絶望を感じていた。
「――こんにちは、お嬢さん」
男の声。少女は顔を上げる。
その人物は優しく笑いかけると、ポケットから包装紙に包まれた飴玉を取り出した。
「おいしいよ。食べてごらん」
、
少女は赤くなった両目で、その飴玉を見つめる。警戒することもなく、飴を手に取る。そして、包装紙を乱暴に外すと中の飴を口に放る
コロリコロリ、と口の中で転がす。
まるでプラスチックで舐めているかのような奇妙な味に、顔を歪ませる少女。この味はなんだ、と聞きたくて顔を上げる少女の耳元に顔を寄せる。
事実、男が渡したのは飴ではない。――勇者の固有能力を強制的に強化する薬剤だ。
少女には、確かに勇者の才能があった。しかし、自分の力のことも知らず、一般の学校に通っている少女には才能はあっても無縁の薬剤。
「お母さんが、どこに行ったのか分からないだろう。不思議だよね? でも、僕は知っているよ。お母さんが、どうしてここにいないのかを。教えてあげるから……よくお聞き――」
少女は男の寄せた顔に耳を向ける。
「――お母さんは、君を捨てたんだよ」
しゃっくりに似た驚きの支配する小さな声を上げる少女。
不安な顔はさらに悲しみを強くさせ、強烈な眩暈に頭を抱える。
絶望のさらに奥底に落とされていく少女に対して、さらに追い討ちをかけるよう、言葉を続ける男。
「君のことが、嫌いになったんだって。君の親なんて、なりたくない。他の家の子供の方が可愛い、君と一緒にいたくないんだ。……だから、君を嫌いになったのさ」
少女の口は激しく震えていた。顔も青白く、焦点が定まらない瞳は宙を見る。
男はゆっくりと離れ、満足そうに笑みを浮かべれば、その場から背を向けて歩き出す。
男の背後から聞こえるのは悲鳴。音楽でも聴くかのように、その激しい声を耳にする姿は実に心地よさそうだった。
男は待っていた。
(実力、見させてもらうよ)
男は手に持っていた勇者測定の診断結果の用紙を丸めて、脇のゴミ箱に向けて投げ捨てた。
測定用紙の右上には、診断を受けた子供の写真が貼ってある。その写真は、今もなお泣き叫び続ける少女のものだった。