【4】男の独白
【4】男の独白
2013年2月
私は芦名アルベルトと言う。名の通り、私は純潔の日本人ではない。独系クォーターの日本人である。
しかし色素的には日本人の血が濃いためか少し肌の色が白いくらいで、毛は黒みが強いし瞳も鷲色。
名を名乗らなければクォーターであることは解り辛い。
自分で言うのもなんだが、目鼻立ちも彫りが深く、背丈も体格も良い方ではあるものの現代日本ではあまり目立つものでもないだろう。
私はK王大学の経済学部で経済の仕組みを学びながら家業の手伝いをしていた、正確に言うなれば実際に経営を担っている現場の空気を感じる為に母に申し出たのだ。
…本音を言えば、こんなものは体の良い言い訳に過ぎない。
母を窮地に追いやろうと画策する俗物どもを一刻も早く社内から追い出す為だ。
私の母は、女手一つで私と弟を育てながら会社の経営者として活動していた。
仕事一辺倒ではなく私と弟との時間もやりくりしてキチンと作ってくれた。
私はそんな母に尊敬と敬愛の念を抱いている。大学なんぞ行っても行かなくても変わらないと思ったので進学ではなく就職を希望したいと申し出たのだが…
母は最後に大学で人間関係を学べと言って、結局私の方が押し切られた形となった。
だが、母の言っていた事は今なら解る。
人間とはとても複雑で、多面的に見なければ理解しえない相手も存在する事がよく解った。
特に大学ともなれば、地方出身者も進学の為に上京している者が多く私自身の知らぬ環境と言うものをよく聞かされたものだ。
…私がそいつらを《友人》と言う括りに入れるかは、話が変わるが。
大学に来た目的を見失う者、遊ぶに惚ける者、自ら人間関係を破壊していく者、新しい目的を見つける者、大学から籍を外していく者。
元々、私のように明確な目的があって入った者の活力に比べて、《とりあえず入っておく》というスタンスの者は
やはり途中で頓挫していくものなのだという事が一番よく解ったことだ。
今の若者に《夢》がないというのは、そういう事だろう。
何かを成し遂げたいという向上心、目指したいと思えるほどの目標、愛してやまない存在を守る覚悟。
それらが欠けているから、何かに対して抱ける情熱が欠けているのだろうと私は思う。
目標も志しも持てない連中は私から見て、《不幸》であると思う。類は友を呼ぶ、とはよく言ったもので。
不幸な者同士は合同コンパを開いて互いの傷を舐め合うようだ、その中で顔立ちや雰囲気を見初められた者がその輪から外れていく。
より不幸な者が選別されていくというのが皮肉だな。
話が逸れてしまったな。これは昨年までの話、今現在は《代表取締役社長》という肩書きが私には付いている。
卒業と同時に、母から肩書きを引き継いだのだ。
封建的なやり方だと思うかも知れないが、芦名製菓は明治より代々引き継がれてきた老舗の店舗だ。
新しい流れを汲み取りつつ、古き良きものを受け継いでいく社風も私は気に入っている。
これは私の父が残してくれた数少ない遺産であると思っている。
…ああ、私の母は父亡き後に《代表取締役社長・代理》だったのだ。
正確な跡継ぎが芦名アルベルトであるから、と言って代理という肩書きは必ず名乗っていたという。
おまけに経済学というものも一切学んだことがなかったのだ、その身に乗りかかった重圧がどれほどのものだっただろうか想像に難くない。
自分の判断一つで、従業員の明日がなくなってしまうかもしれないのだから。
私も現場に入ってからつくづく母に説き伏せられる。
『人は石垣、人は礎。私達を支えてくれる、製造工場から本社の運営まで動かしてくれている従業員。5468人が居るからこれまで続いてきた。一人たりとも蔑ろにしてしまえば一気に骨組みは崩れやすくなる』
母は文字通り、従業員一人一人までの顔まで覚えていた。
会社の運営業務はもちろん、業務成績の伸びが悪い者との面談、社内での風紀が少しでも乱れれば調査し、製造工場にも抜き打ちで検査に入る。
それらをすべて行い、尚且つ私と弟との時間も作る。普通ならここまでやらない、周りの者にある程度任せてしまえば解決できるような事を母は絶対に任せなかった。
疑問に思って、私は母に聞いた。何故そこまでして自分で動くのかと。
母は、こう答えた。
『目を見れば解る、だから直接会って目を見に行くの』
よどみなく、迷いなく、真っ直ぐな言葉だった。目は心の窓というが、母は本気でこう答えていたように感じる。
目を見るという事は、相手と向き合うこと。相手の心を見据える行為なのだと、語っていた。
もちろん、母の判断で自主退職を促された者も少なくはない。それも定年前の者だったとしても、母は切り捨てた。
亡き父から預かり私が正式に引き継ぐまで、母は厳しさを以て社内の統率を図りほぼ全ての状況を把握していてくれたのだ。
しかしその厳しさ故に、母は『冷血女王』『独裁魔女』と言われていた。
母は俺に引き継いでからも色々と手を貸してくれているものの、そろそろ自分の時間をとってもいいのではないかと思う。
弟もすでに中学生だ、自分の食事や部屋の掃除も出来るし法律的な善し悪しも判別出来ているのだ。
…しかし、私は知っている。いや、知ってしまったのだ。
先ほど母は独裁魔女と評されていたと言ったが、母は、《本物の魔女》なのだと。
私ははっきり言って、オカルトの類も未確認飛行物体も一切信じていないし居るとは断じて思っていない。
しかし、母に関しては別だ。そして現代では《病気》という呼称に分類されるものと思われる。
かつて、脳腫瘍による影響で人格が変わってしまった者が存在したという話がある。
現代では先駆者の医療への貢献により脳が圧迫されたことによる神経パルスの伝達異常が原因であるとハッキリ解るが、
医療技術が未発達な地域では『悪魔憑き』と言われ退魔師に除霊…いや、殺害されてしまった者も少なくはない。
中世のヨーロッパでも『魔女狩り』と称して、罪なき女性が何人も火刑に処されていった。
母はおそらく魔女狩りから逃れた、数少ない魔女の正統後継者なんだと私は思う。
脳腫瘍の話を私は出したが、母は外科、内科、脳外科的な障害がある訳ではないし後遺症という訳ではない。
母の病気は心身性のモノ…つまり、心の病気を患っているのだ。
しかも自覚症状が全くない、まるで『魔法』にでもかかってしまったかのような病気だった。
一見するとなんでもない、受け答えも出来るし注意力も判断力もある人間だが、その精神に患っているモノが凄まじいことを私は知っている。
だが、私では母の病気を治す術を知らない。
なるべく母の心を傷つけてしまうような存在を近寄らせないことが、精一杯の看病なのだ。
…母は、今日は休日にして買い物に行くと言っていたが、大丈夫だろうか。
少し電話をかけてみるとしよう。
「…もしもし」
『アル、どうかしたの?』
「いえ、今どちらにいらっしゃるかと思いまして。近いようでしたら車を使っておりますのでお迎えに上がりますよ」
『ありがと、実はさっき路上で襲われちゃって…』
「…なんですって?」
『だから、路上で暴漢に襲われて、カイザーバーガー?っていうお店に居るわよ』
なんという事だ、暴漢に襲われただと!?
「どこの支店でしょうか」
『えーと、横浜駅前店って書いてある』
「すぐ迎えに行きますので西口駅前に着いたら絶・対・に、そこから動かないでください」
『え、うん、わかっ』
《ピッ》
…親心子知らず、とは言うが子の心を親も知らないようだ。