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【3】ひつじが一匹、ひつじが二匹

【3】ひつじが一匹、ひつじが二匹


2013年3月 木更津市


いま、俺の目の前にはのどかで牧歌的な風景が広がっている。

青々とした広大な放牧地と、その中を群れをなして闊歩する羊や牛の姿。

ここは千葉県有数の牧場、ファザー牧場……都心から長距離バスで1時間の、

都心に最も近い牧場テーマパークだ。

春先のまだ肌寒い風が吹き抜ける中、なぜ俺がこんな所にいるのかというと…。

「わぁ!…羊さんってこんなに大きいんだね、孝志君!」

そう、エルザに遊びに誘われて来たのだ……所謂、デートだ。

エルザは毛刈り前のモコモコとした羊に興奮気味に抱きついていた。


***


一週間前。

卒業式を間近に控えた俺にエルザからメールが来た。

就職先が見つからずに就職浪人が確定してしまい、バイト先を探している時だった。

《テーマパークのチケット貰っちゃった、一緒に行こ?》

『なんでこんな時期に』と思う自分と、『デートのお誘い!?』と舞い上がる自分がいた。

…そしてしょうもなくも壮絶な脳内会議の末、舞い上がる自分が勝利して…今に至る。

だ、誰だって清楚で美人なお姉さんと二人で遊びに行けると思ったら喜ぶだろう!

だがしかし、まさか『牧場』だとはこの時の俺はまったく予想だにしていなかった。


***


「この子達も夏場になったら毛刈りされちゃうのかなぁ…」

今日のエルザはドレスではなく、オフショルダーのニットワンピースに

スキニージーンズというかなりカジュアルな装いで、長い髪をサイドにまとめ落ち着いた雰囲気だ。

(さすがにドレスではバスに乗れないということだったが、問題はそこなんだろうか)


エルザは実物の羊が気に入ったのか先ほどからずっと羊に抱きついている。

「羊さん、もふもふ暖かい~…」

幸せそうな笑みを浮かべて羊に顔を埋める、落ち着いた人だなと思っていた俺には新鮮な光景だった。

「エルザ、せっかくだから他も回ろう?牛の乳搾りとかも出来るって」

「え、牛さんもいる…の!?」

エルザはたった今初めて知ったような、衝撃を受けた表情をしている…

チケットにも受付でもらったパンフレットにもでかでかとホルスタインのイラストが入っているのだが、

入る時から興奮気味だったせいか気づいていなかったようだ…そんなに牧場が楽しみだったのだろうか。

俺も何度かファザー牧場には家族で遊びに来たことはあるが、

初めて遊びに来たときはここまでハイテンションになることはなかった…ハズ。


「いこうよ、牛さんの乳搾りやってみたい!」

「うわぁっ!?う、牛は逃げないから大丈夫だよ!」

「お腹がすいて牧草地に帰っちゃうかもしれないわ!」

エルザはぐいぐいと俺の手を引いて走る、俺も前につんのめりそうになりながら一緒に走る。

こんなに全力で走るのはいつぐらいぶりだろうか…高校の体育祭でもこんなに真面目に走ったことはなかったような気がする。

走る距離が延びるごとに心臓がバクバクと鼓動する、俺は走ってるからだけじゃないような気がしていた。

いや、言葉にしてしまったら今まで通りに出来るか解らなくて、気づいていないふりを続けた。


時間はまだ11時、今日はまだ始まったばかりなのだ。あれこれやろうと先を急ぐ必要はない。


***


「牛さんって意外とお乳が柔らかいのねぇ……触った瞬間ビックリしちゃった」

「あはは、すごい驚き方して俺もびっくりしたよ」

時間は12時すぎ、乳搾り体験を終えてまた牧場内を歩いていた。

エルザは体験が終わってからも興奮が冷めやらぬ様子で目を輝かせていた、ちょっと可愛いな。

道端には黄色いタンポポがちらほらと咲き始めていて、頭上にも桜の木が徐々に花を開き始めている。

日も高くなってきたからか、先ほどよりも日差しが暖かく感じられ気持ちが良かった。

牧場に入るまで薄曇りで天気が心配だったが、今はもうすっかり行楽に相応しい快晴となった。


……いや、観光じゃない。デートだ。俺は生まれて初めての、デートをしてるんだ…


「エルザ、次はどこに行こうか?」

「そうね…………あ、あれやってみたい!」

場内マップを広げながらどうしようかとエルザに相談を持ちかけると、彼女は考える素振りを見せて、視界に入った『あるもの』を指差した。

それは……高さは25mにもなるだろうか、頂上には細長い板が飛び出しており…

板に乗っていた、男の人が、飛び降りる直前だった。

「まさか…」

「えと、バンジージャップって言うんだっけ?一回やってみたかったの」

固まる俺と、笑顔のエルザ、牧場内には飛び降りた男の空しい悲鳴が響いていた…。


***


「だ、大丈夫?」

俺が気づいた時には、売店近くにある古ぼけた木製のベンチに座っていた。

放心状態になっていた俺をエルザが連れてきてくれたようだ、我ながら情けないところを見せてしまった。

「ソフトクリーム買ってきたから、これ食べて少し休憩しよう?私もはしゃぎすぎたみたい、少し疲れちゃった」

「あ、ああ…ありがとう」

俺はだらりと力なく垂らしていた腕を上げてエルザからソフトクリームを受け取る、濃厚なミルクの甘味がたまらなく美味いファザー牧場の名物だったと思う。

口溶けのよいソフトクリームは夏にはコーヒーフロートやメロンソーダとも相性が良かったのを幼心に覚えている。


ソフトクリームを食べる俺とエルザの間に、しばしの沈黙が流れた。

しかしその空気は気まずさよりも居心地の良さを感じられ、時折吹き抜ける冷たさの残る春風すらも心地よく感じられた。

おかげで気分の悪さも少し抜けてきた気がする。


「…孝志君、息抜きになったかな」

「え…?」

「無理もないよね、必死に足掻いて、足掻いて、進みたい道に進めないなんて…辛いのなんか、当たり前だよね。そのまま思い詰めて、心が壊れてしまう人は山ほど居るもの」

エルザは空を見ていた、見つめた先には鳶が飛んでいる。この辺りでは野生の鳶が生息しているので珍しいものではなかった気がする。

エルザの鳶を見つめる視線は、憧憬のような、手の届かないものへの思慕を感じられた。


「…やっぱり、ムカついちゃったかな。余計なお世話だったよね」

空から視線を下ろし、俺に向けられた瞳には不安が浮かんでいた。それは…俺が、彼女に抱かせてしまったのだと強く感じた。

彼女はずっと俺の心配をしてくれていたのに、そんな事を気にかける余裕すら失っていた。

「…ごめん。忙しいのに時間作ってくれて、こうして息抜きさせようって気を遣ってもらってるのに、今気づいた」

大人にならないと。

子供だからこそそんな事を思ってしまうのだろう。どれだけ背伸びしても、背が伸びる訳ではない。

ほんの少しだけ目線が高くなって、背伸びするのに疲れて、元の目線まで戻すだけだ。


「うふ、遅いぞ孝志君」

エルザは叱られて落ち込んだ子供を励ますように明るい笑みを見せてくれた。

華やかさと包容力に母性を感じさせ、それでいて儚げで魅力的な眼差しを見せてくれる。

…何故、こんなに胸がドキドキするのだろうか。日増しにエルザへ特別な感情が湧き上がってきている事が解る。

俺は、もしかして――


「さて、孝志君。ここでいくつか質問があります」

「えっ」

エルザはずいっと顔を近づけてきた。

キメの細やかな白い肌、色素の薄い長いまつ毛が至近距離に入りマリンブルーの瞳から目が離せなくなる。

薄桃色の、潤んだ薄い唇が間近に迫り俺の胸が早鐘を打ち始める。


「卒業後の進路はどうするか決まったの?」

「え、いや、多分またバイト生活になるかな…?」

「そう、普通自動車運転免許は持ってる?」

「い、一応」

「子供は好き?」

「嫌いではないけど…」

矢継ぎ早に繰り出される質問には関連性が一切感じられず、エルザの質問に少し俺は気圧されていた。

「じゃあ最後に、サンタクロースはいると思う?」

「サンタは…日本には居ないけど、居るなら嬉しい…かな」

「そう」


エルザは満足気な笑みを浮かべながらゆっくりと元の位置に座り直した。

未だに騒がしく激しい動悸で主張している俺の心臓は未だに収まる気配を感じられない。

「ねぇ、孝志君。お願いがあるんだけど」

「お願い…?」

「うん、お願い。聞いてもらえるかしら」

エルザの言動が支離滅裂過ぎて俺の思考が全く追いつかない、エルザはニコニコと嬉しそうに笑みを浮かべているばかりで真意は全くつかめない。

「俺に出来ることなら協力するけど」

「多分、孝志君にしか出来ない…ううん、孝志君だからお願いしたいの」

孝志君だから。その言葉は俺を必要としてくれているということだ、ここで断ってしまうことはエルザの気持ちを真っ向から断ってしまうことになってしまう。

少しズルい言い方だと思う人も居るだろうけど、面接はおろか最後の方では書類選考すら通ることもできず、

誰からも必要とされていないのではないかとすら思えていた俺には、とても胸に響く優しい言葉だったんだ。


「解った、エルザに協力する。それでお願いってなに?」

「私のお仕事のお手伝いをして欲しいの。ずっと私と一緒っていう訳じゃないのだけど……週四くらいで、どうかな」

…一瞬、俺は呆気にとられた。

エルザからそんな申し出をされるとは思わなかった。

普段はメールでやりとりし、プライベートでも片手で数えられるくらいしか会った事がない、俺に。

プリンセスのようなドレスを着ている彼女の仕事、モデル業かと思っていたのだが…今の話から考えると、どうやら俺が想像していた仕事とは違うのだろう。

「やっぱり余計なお世話、だったかしら…どうしてこう、人の気持ちに疎いのかなぁ私」

「い、いや、その、凄く助かるけど……なんで、俺なの?」

そうだ、一番の疑問は何故、佐藤孝志という面接もロクに答えられなかった高卒の男だったのか。

「なんで、って…私が良いと思ったから?」

「良いと思ったから…」

エルザの答えは至極単純だった。

自分が良いと思ったから、俺に頼みたいと思った。とても主観的で、ありきたりな答えだった。

けれど、エルザはどうして俺の欲しくてしようがない言葉を的確に答えられるのだろう、どこまでも俺の気持ちが見透かされているのかとすら思えた。


「人を雇うって、そういう事じゃないかな。自分が良いと思ったから面接という形で会って話をする、自分が良いと思ったから会社の一員にする。自分が良いと思ったから重要な役職を与える。皆、自分が良いと思って決めているものじゃないかしら?」

確かに、人事会議と言うものはあるのだろうけど結局は会議の内容にしろ、独断で決めるにしろ、決定権を持っている人間が《良い》と思わなければ決められるものではない。

「私は孝志君と直接会ってお話もしているし、結果的には面接も済んでいると思うんだけど…嫌かな」

「い、嫌じゃない!」

どう言葉にすればいいのか、混乱する頭で内容を整理しようにもまとまらず。とにかく伝えなければならない事を伝えようという気持ちで一杯一杯だった。


「エルザの傍に居たい!!」

「え…」

言い終わってから俺の頭が真っ白になった、これでは告白じゃないか!

あああ、エルザもきょとんとした顔でこっちを見ているから余計に居た堪れない…穴があったら入りたい。

「ふふ、ごめんね。さっきも言ったけどずっと私も一緒に居る訳じゃないわよ」

エルザも聞き間違えたと思ってくれたのか、やんわりと話を逸らされてしまった。優しい微笑みが逆に胸を締め付けるような想いを募らせていく。

羞恥で居た堪れない気持ちで締め付けられているのではない、きっと恋い慕う者への思慕が伝わらなかったことでの苦しさだ。


…ああ、間違いない。俺はエルザに惹かれ始めているんだ。母のような優しさと、海色の瞳が浮かべる微笑みに魅せられている。


「あ、ははは。そういえばそうだった。それで何処でやるのかな」

俺はその場を笑って取り繕いながら話の先を促した。

「芦名製菓の裏のお仕事、って言ったらワクワクするかしら」

「あ、芦名製菓!?」

芦名製菓。俺が面接に行ったうちの一社でありエルザと初めて出会った老舗のお菓子メーカーだ。

裏のお仕事、ということは公には出していない仕事なんだろうけど…一気に胡散臭さをまとってしまった感じは否めない。

しかし、これまでエルザがプリンセスドレス姿で芦名製菓の社内を彷徨いてたり、人気のキャンペーングッズを持っていたことを考えると芦名製菓の関係者に近しいのは明らかだった。

元々、自分が企業関係者だったと言われても違和感を覚えるようなものはない。

「エルザ、どちらかというと胡散臭い話に思うんだけど…」

「ちゃ、ちゃんと芦名製菓で行ってる事業よ?ただ、表向きにやると露骨なイメージ戦略に近くなっちゃうから公に出してないだけで…」

「解ったよ、それでどんな仕事になるの?」

「会社の備品としてお菓子を卸してくれている企業に配達するの、私がお願いしたい事はこれにもう二、三個おまけがついてくると思って欲しいわ」

求人サイトで見たことがある、確かパート扱いだったかな…週四勤務だし、だいたいそんなものか。


「お願いしたいことが社内機密に当たるから、一応正社員の扱いになるんだけど」

「せ、正社員!?」

余計に俺でいいのか、それ。

「エ、エルザ?さすがに新卒入社の新人に社外秘を任せるのは問題があると思うんだけど…」

「私が大丈夫だと思ったから大丈夫よ、詳しい内容は後日郵送で送るね?確か本社に履歴書が残してあったし…あ、入社式も堅苦しいから略式扱いにしてもらうね」

入社式免除って前代未聞過ぎやしないか。まぁ、堅苦しい式典に出なくていいのは助かるけど…


「うふふ、楽しみにしてるね」

エルザの謎は深まる一方だ、彼女は一体何者なのだろう。

入社式も免除出来るほどの権力を持っているなんて、ただの関係者で出来ることなのだろうか。



陽が傾いて薄白い月が見え始めた頃、放牧地の中から羊の鳴き声が辺りに響き渡っていた。


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