【1】未知との遭遇
【1】未知との遭遇
俺はごく普通の家庭で、ごく普通の学校に通って、平凡な生活をしていた。
強いて言うなら、普通の学生より少し真面目にバイトに励んでいた。
罰当たりなことはしていないとは言わないけど、
断じて警察のお世話になるようなことはしていない。
「…見つけましたよ、こんな場所で何をしてるんですか」
だがしかし、なぜ俺の部屋にSWATのような武装集団が踏み込んでいるのだろう。
一緒にいる『彼女』は思いがけない大人物だったのか?
彼女と出会ったのは遡ること3ヶ月前、俺は面接を受けにある会社に行っていた。
***
俺はいま『芦名製菓』という老舗の製菓会社へ面接を受けに来ている。
社長の意向で高卒でも取ってくれるという昨今ではとてもありがたい企業で
昨年の卒業生も何人か採用をとっていたようだ。
俺も早く自立しようと思い進学はせずに鋭意就活中。
高校も卒業見込みなので早めに8畳ロフト付きの部屋を借りた。
どこにも採用されなかったら、ということも考えていなかったから
両親にも色々言われたが…まぁ、背水の陣じゃないと動けない人種ってことで。
そして今、面接の真っ最中なのだが……
「で、趣味の欄になにもないが…君には娯楽もないのかね」
「…えーと」
「得意科目:現文とある割にすぐに良い切り返しは出来ないのか」
目の前にいる面接官に面接という名の《尋問》をされているのだが。
面接官は20代くらいの若い男だが綺麗に整えられた髪に
いまどき珍しいスリーピースのスーツをきっちり着込んでいるため
清潔感とかなり几帳面さを感じる。
ノンフレームのメガネから覗く鋭い目つきが怜悧な印象を受ける。
「佐藤孝志か……それでよく我が社に受けようと思ったな」
「お、親にこれ以上甘えていたくないので…」
「ふむ…心意気だけは評価に値するがな」
面接官は俺には興味が失せたようで履歴書の山から次の履歴書を取り出していた。
「…面接終了だ。支度が終わり次第、帰宅して構わんぞ」
「は、はい。…ありがとうございました」
面接官に冷たく終了を言い渡され、一礼して出てきた。
完全にあしらわれたような気がするけど…もっとガツガツ言った方がよかったのかな。
しかし面接官の視線が…あれ、堅気のモンじゃないだろ…
…そういえば、面接に来た人は食堂のチケットを任意で配布されるんだっけ。
ちょうどお昼時だし…食べに行ってみようかな。
***
帰り支度を済ませ、先ほどもらったチケットを片手に社員食堂へやってきた。
食堂とは名ばかりで外面がガラス張りのオシャレなカフェテラスのようだった、
テーブルや椅子なども白で統一され、周りに観葉植物や花などが置かれている。
社員の多忙な日々のオアシスとなっているようだ。
受取口にチケットを持って行き食堂のおばちゃんに頼んで交換してもらった。
(おばちゃんは白い頭巾に割烹着とかなり食堂っぽい格好だったが)
今日はハンバーグ定食の日らしい。
「これが社食、だと…」
出てきたのは定食とは名ばかりのちょっとしたセットメニューだった。
マッシュルームにデミグラスソースの絡んだ煮込みハンバーグ。
具だくさんのポテトサラダに人参のグラッセと厚切りポテトフライ。
熱々のロールパンとクラムチャウダーが香ばしく食欲をそそる。
そこにアイスコーヒー、デザートの苺アイスがついている。
通常でも600円だというのだからかなり気前がいい定食だ。
もっと質素なものを想像していた俺としては感動的だった。
なによりこんな豪華な昼食なんていつくらいぶりだろうか…
思ってもみなかったご馳走に心を躍らせながら俺は席についた。
「いただきます…っ!」
ただの社食と思うなかれ。
しっかり下味のついたハンバーグに甘く煮込んだデミグラスソースがなんと合う事か…
マッシュルームも程よく歯ごたえがあり噛むたびに甘味が増す。
俺は生まれて初めてハンバーグに感動を覚えた。
ハンバーグを創造した人、生き神とは貴方のことだ…
「…ハンバーグ、そんなに美味しいの?」
「え?」
気づいたら俺の向かい側に女性が座っていた。
年は…20代半ばくらいだろうか?
手入れの行き届いた、腰まである美しい長い髪を緩く巻いていて、
肌も色白で…しかし不健康な色ではなく、とても清楚な印象を受けた。
吊り目だがキツイ印象ではなく、猫のような愛嬌を感じさせる目で、
ハーフなのか、鮮やかな海を思い起こさせるようなマリンブルーの瞳だった。
そんな女性が俺の方を見て面白そうに微笑んでいた。
とても美しい可憐な女性だった……ある『違和感』を除いては。
***
「あの…」
「はい?」
「なんでドレスなんて着てるんですか?」
そう、彼女の着ている格好は青いドレスだった。
しかもパーティードレスの類ではなく、
あの…浦安の巨大テーマパークにいるお姫様が着るような。
少なくとも普段から着るものではない、ちょっとしたコスプレのレベルだった。
胸元の青い薔薇の意趣が彼女の不思議な魅力を引き立てていた。
「あら、いつもこんな感じですよ?…もしかして、面接にいらした方?」
「は、はぁ…」
いつもこんな格好してるのか、この人。
周りの人はなんでもないようにしてるけど…俺の気のせいではないようだし。
モデルさんかなにか、かな…?
「うふふ…冷めますよ、早く召し上がって?」
「え?あ、はい…」
奇妙な彼女に気を取られていたが、俺は食事をしているところだった。
よく見ると彼女の前にも同じハンバーグ定食があった。
推められて食事を再開するが、彼女は食べ始める気配もなく微笑んで俺の方を見ている。
「…あの」
「はい?」
さすがに耐え切れずに声をかけた、じーっと見られていては気分が悪い。
彼女は気づいていないようだったが…
「見られてると食べにくいです」
「あ……ごめんなさい、あなたの食べっぷりがつい清々しくて」
どうやら俺の一連の状態を見ていたらしい、穴があったら入りたい。
そして無邪気に照れた笑顔が余計に胸に刺さる訳で…なんとも言えない。
「…なにかお悩みでも?」
「え…」
「食に喜びを求めるときは悩みがある時ですよ、なにかの縁ですから…聞きましょうか?」
名前も知らない彼女の微笑みに、俺は思わず目を奪われた。
この人なら…笑わずに真摯に受け止めてくれるんじゃないかと。
若い女性に対して失礼なんだろうと思うけど、本能的に母性を感じたんだと思う。
俺はその笑顔に、甘えたくなってしまった。
「…実は」
食事をしながら俺は名も知らない出会ったばかりの彼女に落ち込んだ理由を話した。
履歴書に書きたいことがなくて困ったこと。
面接で思うように話せなかったこと。
両親のことを考えて、早く自立したいこと。
彼女は微笑みながら、ただただ俺の話を聞いてくれていた。
気がついたときにはお互いの食事も済んでいた。
***
「…なるほど、そういうお考えをお持ちなんですね」
全て話し終わった後も、うんざりした様子もなく優しく微笑んでいた。
舞踏会行きのドレスを着た変わった人かと思ったが、妙に雰囲気のある人だ。
「私はあなたの考え方、とても大事だと感じますよ」
「へ?」
「荒んだこのご時勢、職を見つける事は困難ですが、
貴方は自分のリスクを背負ってでも就職活動に入ったのですよね?」
先ほどと変わらぬ微笑みを浮かべているのに、
纏っている空気が変わったような気がする。
穏和な印象の中に、どこか鋭い刃物のようなものを感じる。
強いて言うなら、先ほどの面接官と同じ『なにか』を感じた。
決定的な違いがあるとしたら、彼女には伝えやすさがあった。
「…はい、そうです」
「ふふ…なら、もっと自信を持って良いと思いますよ。親孝行なのは良い事です」
紅茶を一口飲みながら彼女は穏やかに話した。
その時にはすでに彼女がまとっていた『なにか』は無くなっていた。
「…あら、もうお昼過ぎなんですね」
「え?」
ふと時計に目をやると時間は既に昼の1時すぎ。
ここに来て2時間近く経っていた。
彼女も手首に付けていた時計に気づいて時間に気がついたらしい。
「そろそろ行かないと…」
「あ、あの!」
慌てて返却口に食器を置きに行こうとした彼女を呼び止めた。
「その食器、どうせ俺も運ぶからやっておきますよ」
「え、でも初対面の人に頼むなんて…」
「いいですよ、急いでるんですよね?」
彼女の手から食器を奪って自分の分に一緒に乗せていった。
「ありがとうございます、えーと…」
「俺、佐藤孝志って言います」
「そう、孝志君ね。私は…エルザよ」
一瞬、言い淀んでいたようにも見えたが教えてくれた。
…エルザさんか、やっぱハーフなのか?
「…これ」
「え?」
両手がふさがっているので受け取れなかったが、
胸ポケットになにかを入れられたようだ。
「また今度、お礼させてね?」
彼女は満面の笑みを浮かべて走っていった。
あんな重そうなドレスでよく走れるなぁ……慣れているんだろうか。
俺は二人分の食器を返却口に戻した後、胸ポケットに入れられたものを
確認しようと手を入れた、どうやらメモのようだ。
「…これは、携帯番号とメールアドレス?」
《後でメールに送ってね エルザ》
どうやら彼女…エルザさんの連絡先のようだ。
会って間もない俺に気安く渡してしまって良いのだろうか?
それ以前に、なんで俺だったんだろう……夕方頃にメールしよう。
…これが俺とエルザの出会いだった。
だが俺はまだ何も知らなかった、彼女がある『秘密』を抱えていたことを。