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第5章 ふたつ星の誕生(6)

 食事が終わり、就寝前の身繕いをしながら雪也は問いかけた。

「嫌よ」

 その答えが返ってくることは予想していたので、雪也は特に驚きもがっかりもしない。そして、別の質問をする。

「じゃあ、俺が元の世界に戻れる方法を教えてくれないかな?」

「え……?」

 エナは動揺した。まさか自分を置いて帰ろうというのか。

「前に同じ質問をした時、君は本当は何かを見たんだよね? でも、俺に告げてない」

 エナは視線を逸らそうとして失敗してしまった。というのも、雪也がすかさずエナの頬を両手で包み、前を向かせたからだ。

「俺はもう逃げないよ。だから、エナも逃げないでほしいな」

 逃亡を試みようと考えていたことなどお見通しなのだろうし、エナが精霊に見せられた何かからも逃げないで、という意味でもあった。

 そっと見つめ直した雪也の瞳は、とてもとても優しかった。畏怖でもなく好奇でもなく、嫌悪でもない眼差しで覗き込まれたのは初めてかもしれない。

 蜜のようにとろける、という感覚はこういうことを言うのだろう。気付いた時には、エナは雪也の首筋に両腕を回し、すがりついていた。

「ユキヤはあたしが怖くないの?」

「何が?」

 どういう風の吹きまわしで、頑なに拒否していた態度を放棄したのかわからなかったが、雪也は飛び込んできたエナを思い切り抱き締めた。

「最初からこうしてくれれば良かったんだよ。一緒に帰ろう。俺はエナが巫女でも巫女じゃなくてもそんなの関係なく、好きだよ」

 夕闇の中で、二人はしばらくじっと抱き合っていた。到底優雅とは言えない、獣的な臭いやくゆる煙の臭いが混じった野性的な空間の中で、ただひたすら互いの暖かさを感じることが、無上の幸せだった。

 エナはもう恐れてはいなかった。失うことを怖れて拒否するのは、もう止めたのだ。

 拒否した先には、失わなかった代わりに、愛し愛された時間などない。だから、精霊の見せた未来が実現しようと、その前にカケルによって葬られようと、構わないと思った。

「ねえ、ユキヤ?」

「うん」

「あたし、あんたの子を産みたいわ」


 黄金色の小さな無数の落ち葉が、爽やかな秋晴れの風に誘われて、沢霧のクルミの森の間を行ったり来たりしている。

「おおー、やったぞ!」

 男たちの歓声が上がり、雪也もほっと胸をなで下ろした。このところ、なかなか獣が罠に掛からず、冬支度に不安が生じていたが、総がかりでの狩りのおかげで大型の鹿を仕留めることができたのだ。

 手早く解体して村の中心部に運ぶと、後は女たちの仕事だ。

 その様子を家の戸口に出て眺めているカケルもどことなく満足そうに見えたので、雪也は近づいて話しかけた。

「アキの好物が手に入ってよかったな」

「ああ、最近ずっと鹿が食べたいってうるさかったから」

 アキはついこの前、女児を出産したばかりだった。体力を回復するためか、しきりに肉を欲していて、夫のカケルは自らも狩りに出かけて小動物を捕っていたのだが、アキはそれでは満足しなかった。

「そういえば、君がこの村に来てから二回目の冬支度だな。別の世界から来たと言うけど、とてもそうは思えないよ」

「まあ、何事も慣れ、かな。狩りもできるようになったし、縄も編めるし、土器も作れる」

「……帰ってきてくれて本当に良かった。君も、エナも」

それはカケルの本心だった。ホオヅキに連れられてエナが村を出てからというもの、カケルは村長の立場を捨てて大鵥の村へ乗り込もうと何度も考えて煩悶していた。

 だが、キララとアキの、うちの巫女を信じましょうという言葉で引き止められ、彼女の帰りを待った。ついに彼女が戻った時、エナの顔は太陽の化身のごとく光輝き、誇り高く顔を上げていた。

 巫女対決の翌日には、既にエナがホオヅキに負けたという情報がカケルの耳にも入っていた。だから、カケルは最悪の事態を考えたのだが、久しぶりに目にした巫女はきらきらと笑顔をこちらに向けているのだ。何より驚いたのは、エナが雪也に抱きかかえられていたことだ。

「あの時まで私は勇士は去ったと信じていたから、目を疑ったよ。二人が戻って、エナの笑顔を見たら、沢霧の巫女が負けたなんて、あり得ない、そう確信したね」

「俺は場合によっては君を倒すつもりだったんだ」

 今だから言えるけど、と雪也は笑った。力を失ったと認定された巫女は、村長によって死を与えられると聞いていた雪也は、エナを守るためにカケルと戦うことも覚悟していた。だが、それは杞憂に終わり、全ての事情を聞いてもなお、カケルはエナの巫女の地位を保証したのだった。

「そもそも巫女の対決なんて、私は許していなかったし、巫女の力は他者と比べるものじゃないだろう?」

 それが、カケルの言い分だった。

 冬支度についてのいくつかの相談をした後、カケルと雪也は別れた。

 自宅に戻ると、炉端に座ってドングリもちを作っているエナがこちらに振り向く。

「ねえ、泉の水が飲みたいわ」

 雪也は入り口付近の甕から水を掬って、エナに器を手渡した。エナは一気に飲んでしまう。

 黒い泉の水は、発見された時から今までずっと途切れることなく村に運ばれており、エナを始めとする村の女たちは毎日飲んでいる。

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