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第2章 巫女と勇士と犬(5)

 長いこと外にいたのなら、体は冷えきっているはずだ。

「巫女の踊りが始まるのよ」

 キララがそう教えてくれた。

 広場の中央に日時計のように作られた石柱の周りに腰を下ろし、巫女がゆっくり動くのを見守る。

 エナは腰の筒を木の棒で力強く叩き、跳躍しながら石柱の外側を回り出した。赤い幾何学模様が描かれた筒は太鼓なのだ。トン、トン、トンという規則的な音がしばらく続くと、次第に太鼓は自由で粗い歌を吐き出すようになり、エナの肢体もそれに合わせて大きく乱れていった。

 後頭部につけた長い鳥の尾が左右に揺れ、腰を取り巻く毛皮が風をはらんで膨れる。目が回るのではないかと思うほどに、エナは両手を広げてくるくると回転し、言葉にならない何かを天に向かって叫ぶ。

 雪也は動揺していた。エナが得体の知れない別人になってしまったのではないかと心配になる。村人たちはテンポの速い太鼓の音に負けまいと、手拍子をしていた。皆の真剣な表情からは、これが娯楽なのではなく大事な儀式であることが読み取れた。

 そして次の瞬間、エナはぴたりと立ち止まってその場で膝をついた。仮面が月光に照らされて妖しく輝く。

「精霊の声を聞け!」

 しんとした月夜の静寂を、矢が駆け抜けていくように、エナは叫んだ。いつもよりも声が低く感じられる。本当に精霊か何かが憑依しているように思えた。

「黒い泉だ。黒い滔々と湧く泉を探すのだ!」

短くはっきりとお告げのようなものを叫ぶと、エナは急に電池が切れた人形のように地面に崩れ落ちた。

 エナ!と呟いて腰を浮かせた雪也を、カケルが制して自ら巫女に近寄った。そっと仮面を外すと、エナは瞳を閉じて気を失っているのがわかった。

「皆の者、精霊の声を聞いたか。明日の朝から黒い泉を探し、見つけた場合は速やかに私に知らせるように」

 その言葉が締めとなって、月夜の儀式が終わった。

「さあ行って。巫女を家に運んであげないと」

「アキ、エナは大丈夫なのか?」

「いつものことよ。それを世話するのが勇士の役目なんだから」

 雪也は半ばしぶしぶ自分に与えられた役目をこなすことにした。女の子が狂ったように踊り、お告げを言って倒れてしまったことは大いに心配になったが、どうして勇士がそこまで面倒を見なくてはならないのか。

 意識を失っているエナの体は、たくさん着込んでいるせいもあって重かった。とはいえ、ある意味、体力だけが取り柄の雪也がへばることはない。

「……もしかして、勇士がなぜ巫女の世話をするのか知らないの?」

 両腕にエナを抱えて歩き出すと、アキもついてきた。

「知らないよ。俺のいた世界にはそんなルール、あ、決まりはないからね」

「そう……。あのね、巫女と勇士は一対で力を発揮することになってて、一心同体でいることが必要なの」

「バディみたいなものか」

「え?」

「ああ、こっちの話」

「とにかく、強い心身の絆が求められるのよ。だから、巫女が何らかの理由で巫女を辞めなきゃいけなくなったら、勇士はその巫女の世話をする必要はなくなるし、巫女が死んだら……」

 そこまで言って、アキは口をつぐんだ。もうすぐ巫女の家にたどり着く。相変わらず月は太陽の光のように辺りを照らしている。

「どうなるの?」

「巫女が死んだら、勇士もこの世界から消えなくてはいけない……」

 そもそも、巫女であることを辞めて普通の女として生き続ける場合と、巫女としての力を持ったまま死ぬ場合とでは大きな差があるのだ、とアキは説明してくれた。

 巫女と勇士は一心同体だから、巫女がいなくなれば勇士は存在できない。しかし……

「じゃあ、もし俺が死んだら?」

「その時は新しい勇士を選ぶだけ。あくまでも巫女を守護するための勇士だから」

「……使い捨て、か」

 雪也は笑うに笑えず、戸口をくぐって家の中に入ると、奥に敷かれた柔らかな毛皮の上にエナを用心深く横たえた。

 外はそれなりに寒かったにもかかわらず、エナの額にはうっすらと汗が滲み、頬は紅を差している。体力を消耗したに違いない。

 アキは巫女が横になったのを見届けると、おやすみなさいと声をかけて去っていった。

 世話をするというのが、いまいちよくわからないので、雪也はエナから少し離れた床に座り、目を閉じた。ここにいろとアキに言われたわけではなかったが、なんとなく朝になってエナが目覚めるまで付き添った方がいいのではと考えたのだ。

「おやすみ、バディ」

 この時はまだ、雪也は巫女と勇士の絆を本当の意味で理解していなかった。

第3章へ続きます

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