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デート

続きです。

 第三章 デート


「今日は駅前に買物にいく」

 そう、空鷹は宣言する。

 突然のことに姫紗も反応が追いつかずに無言で頷いてしまう。

「それは構いませんが、着替えなくてもよろしいのですか?」

「あ? そんな急ぐ必要もないだろ。別に急ぎの用じゃない」

 空鷹の頓珍漢な受け答えに首をかしげつつ、思った疑問をそのまま姫紗は口に出すことにした。

「そろそろ学校に行く準備をしないと遅刻してしまいますよ」

「それなら問題ない。今日は学校に行かねぇ」

「??? 今日は記念日で休校なのですか?」

「いいや、いたって普通の登校日だが」

 さらに深く首をかしげた姫紗はあるひとつの推測に辿り着く。

「まさかズル休みする気なのですかっ」

「ああ、今日はサボる」

 あまりにも堂々とした態度に姫紗は自分が間違っているのかもしれないという勘違いをしそうになる。それ程までに空鷹の態度は堂々としていて、そこには恥も罪悪感もなかった。

 まるでそれが当然のようですらある。

 あるが、勿論それは当然のことではない。

「ダメです。ちゃんと学校に登校して下さい」

「俺に指図すんな、俺は俺が行きたい時に学校に行く。それ以外は行く気はない」

「そんなの不良です」

「俺は不良だが?」

 あまりにも開き直った空鷹の清々しいくらいの言い分に姫紗は頭を抱えたくなる。どうやら目の前の契約者には気分で登校の有無を決める悪癖があるらしい。

「考え直してください。サボりはいけないことです」

「やなこった。今日は学校に行かないと俺が決めた。お前が文句を言うんじゃねぇよ」

 姫紗が必死に説得するものの空鷹はそれを聞き入れるどころか、彼女の言っていることを聞いている様子すらない。

 完全に姫紗の言葉を聞き流していた。

「いいですか、学校は楽しいところです。将来ある若人として学校に通い、学び、遊び、人生を謳歌するべきなんです」

「学校はつまらねぇし、俺に将来なんてねぇし、学べるのは学校だけじゃない。何より遊ぶなら、人生を謳歌するなら外に出るべきだ」

 屁理屈である。

 しかし、その屁理屈が空鷹を支える限り彼は学校には行かないだろう。そもそも、彼は自分の意見を変えるタイプには思えない。

 理屈で納得させようがさせまいが、彼が行かないと決めた以上はそれを覆すのは並大抵のことではないのかもしれない。

「出席日数が足りなくて留年しますよ?」

「その辺は抜かりない。ちゃんと計算してサボってる」

 たちが悪かった。

 どうやら衝動的や感情的にサボるのではなく、あくまでも冷静に考えた上で全て理解した上でサボっているらしい。

 生真面目な姫紗には考えられないようなことである。

「どうして学校に行かないんですか、理由を教えてください」

「むしろ毎日学校に行く理由を俺は問いたいんだが」

 平行線であった。

 仕方がないので姫紗は一旦折れることにした。これでは会話が進まないからである。

 勿論空鷹を学校に行かせることを諦めたわけではない。

「では学校に行かずに何しに駅前に行くというのですか?」

「それはだなぁ……」

 何故か照れくさそうに頭を掻きながら、空鷹は渋々といった様子で言う。

「お前の服を買いに行く」

「ほえ?」

 あまりに予想外な言葉に姫紗は間の抜けた可愛らしい声を漏らしてしまう。

 が、次の瞬間には表情を引き締めて真剣な顔つきになる。若干頬が赤いことに空鷹は気付かない振りをしてあげることにした。

「そんな、私の衣服のことぐらいで学校を休まないで下さい」

「おめぇの為じゃねぇよ。俺が困るから買いに行くんだよ。ノーパンノーブラのジャージ娘に家を彷徨かれて落ち着けるかっ」

「では四六時中姫紗は猫の姿を維持します」

「ついさっき人間の全裸姿で俺の布団に潜り込んだのは誰だ? そんな奴が何言ってんだ。この口か? この口がそんなこと言ってんのかぁ?」

「い、いひゃいですマふター。ほっぺを引っ張らないでくだひゃいっ」

 空鷹はある程度姫紗の頬をつねって満足すると、彼女を解放して外出の準備を始める。

 準備といっても髪型を軽く整えて、着替えをして財布をポケットに入れるだけなのだが。

「わ、分かりました。マスターがどうしてもと言うのならば、私はその買い物に付き合ってあげます。いえいえ、別に私が行きたい訳ではありませんよ? マスターがどうしてもと言うから、別に楽しみで仕方がない訳ではないです。はいそうで――って、何で着替えて出ていこうとしているんですか、私を置いて行かないで下さいっ」

 空鷹の後を急いでついて行く形で姫紗も部屋から飛び出す。

 そんなグダグダな形でゆったりとした月曜日が始まった。


   1


 くわえタバコで街を闊歩できないとは本当に不便な世の中になったものだと空鷹はしみじみ思う。

 禁煙、分煙、また禁煙。まるで世の中から廃絶する準備運動のように世の中は喫煙者をどんどんと追いやっている。

 ニコチンがないと生きていけない人間を腫れもののように扱い、やれ禁煙しろだのを健康のためだと言いながら迫ってくる。

 そんな言葉で禁煙などするはずがないのだ。少なくとも、千和空鷹は。

 何故ならば彼はニコチンが欲しいわけでもなく、格好をつけたいわけでもなく、反抗するために喫煙をしているのだから。

 世界へのささやかな反抗。法律へのささやかな反抗。両親へのささやかな反抗。教師へのささやかな反抗。自分に対するささやかな反抗。

 反旗を翻すこともなく、反乱の為の篝火を上げることもなく、世界の端っこで誰にも伝わらない反抗を続ける。

 自分を生み出した神への明確な悪意を持って、それが千和空鷹という人間の喫煙する理由であった。

 酒でも煙草でもいい。

 彼には決められた規律や法律をはみ出さないと自分を保てないような、そんな弱い人間なのだ。

「という訳で俺は喫煙ルームに行く」

「何がどういうわけなのか意味がわかりません。絶対に許しませんよ」

「お前は俺のささやかな反抗を許してくれないのか」

「言っている意味は分かりませんが何にしろ煙草はダメです。体に毒です。母体にもよくありません」

「……俺は妊娠出来ないぞ?」

 深く溜息を吐きながら空鷹と姫紗は喫煙ルームを通り過ぎる。

「ああ、通り過ぎてしまった」

「素晴らしいことです。これからマスターは輝かしい日々を送れることでしょう。喫煙なんて百害あって一利なしです」

「喫煙ルームのおっちゃんが睨んでるから、そういうのは小さい声で言おうな」

 苦笑しながら空鷹は朝の出来事を思い出す。

「そういえば家の前の道、すっかり元通りになってたな」

「恐らく夜のうちに補修、復旧したのでしょうね。警察や消防は動かずに目撃者などは騙し誤魔化し記憶を改竄する。そして戦闘の傷跡は夜のうちに組織が隠蔽する。携帯電話のアプリケーションのルールにちゃんと記載されていますよ?」

 ちゃんと読んでくださいという非難の言葉が言外に聞こえた気がしたが、空鷹は気付かない振りをする。

 そういえば清春は【ゲーム】のルールを詳しく把握していたようだが、それをやる気力も熱意も空鷹には全くない。

 興味のない物ほど脳内に蓄積されない情報はないのだ。

「まぁなんにせよ跡が残らないのはいいことだ。流石に家の前が焼け野原なのは俺も困る」

 現在二人が歩いているのは駅前にある少し栄えた広場だった。

 駅前には結構な広さの公園があり、それを囲うようにそれなりのビルが立ち並んでいる。

 この駅周辺の若者などが遠出し主に遊んだり買い物したりする場所で、少し歩いていけば商店街などもある。

 空鷹も買物のほとんどをこの駅前と商店街で済ましているのだ。

「さてと、一番の難関から済ませるか」

「難関と言いますと?」

「ランジェリーショップだ」

 重々しい口調で空鷹は答える。

 それだけの難関であった。入ることですら恐ろしいあんな場所に買い物に行くなど正気の沙汰ではない。

「期待してないが、一人で買いにいけるか?」

「肯定します。姫紗ら女性型のアンドロイドにはマスターが不便しないよう、衣類の購入方法は記録されています」

 空鷹は思わず無意識でガッツポーズを取ってしまう。

 それ程までにランジェリーショップに入らないことが嬉しいのである。あんなピンクで桃色で甘い空気漂う空間に脚を踏み入れるなど恐ろしくて出来る訳がない。

「よし、これで上下セットで4~5着買ってこい」

 そう言いながら空鷹は無造作に諭吉の絵柄が書かれたお札を一枚姫紗に渡そうとする。が、姫紗は何故かそれを受け取ろうとしない。

「どうした。買えるんだろ、これで買ってこいよ」

「マスターにお願いがあります。一緒に付いてきてください」

「はぁっ? 俺を困らせない為に衣類の購入が出来るんじゃねぇの? 俺一緒に連れてったら意味ないじゃねぇか」

 頬を赤く染めながら、呟くようにもじもじと姫紗はその理由を口にする。

「マスターに選んで欲しいのです」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 たっぷりと三十秒近く呆然と言葉を失ってしまう。

「マスター? どうしました?」

 俺が下着を選ぶ。こんなピンクなショップに足を踏み入れるどころか、一緒にいる姫紗の着る下着を選び購入する。自分の好みとセンスで買い与える。意味がわからない。何故そんなことをしなければならないのか。訳がわからない。そもそも姫紗が何故そんなことを要求するのかも理解できない。などとたっぷりさらに三十秒程、あわせて一分も空鷹は口を閉ざしたまま放心していた。

 文字通り心を手放していた。

「マスター?」

 不安そうな表情で姫紗がこちらを見ている。

「おい、ジャージ娘」

「ジャージ娘? 私のことですか?」

「ああ、そうだ。こんな街中でお前みたいな超美少女がジャージ着ていたら目立つだろうが。お前のことだよ、ジャージ娘」

「はぁ……」

 なんとも言えない微妙な表情で姫紗は返事をしたあと、これまた言葉に形容詞がたい雰囲気で空鷹の様子を伺うように見ている。

「こんな奇跡二度と起きねぇぞ。……一緒に付いて行ってやる」

「本当ですかっ」

「肯定だ。ばかやろー」

 投げやりに、空鷹はそう返事をした。

 そして足を踏み入れる。

 駅前の一番高いビルの3階フロアにて、最も異彩を放つ男子禁制のその場所に。

 そして入った瞬間踵を返しそうになる。

「無理、むりムリ無理。ほらあれだよ、俺不良だから。ワイルドだから。ハードボイルドだから。こういうファンシーな雰囲気とかマジで無理」

「どうして後ずさるのですか」

「雰囲気に負けてるから。俺のなんていうの、アウトローな本能が避けてるからだよ」

 意味不明ですと言いながら姫紗は空鷹の腕を掴んで店内に引っ張っていく。

 まるで連行されているようである。行き先は勿論地獄だろう。

「あー、心の準備が……」

「早く選んでください」

「マジか……」

 店内を軽く見渡してみるが、この中から姫紗に似合う下着を見繕うなど気が遠くなる作業だ。

 正直今すぐ逃げ出したい。

「逃げてはダメですよ」

「バレたか」

「ではこうしましょう。私が自分のサイズに合った物を幾つか見繕います。その中からマスターのお気に召したものを買いましょう」

 それは非常に楽で魅力的な提案ではあったが、何故自分の好みに合わせるのかという疑問は残る。姫紗が着るのだから彼女の好みで買えばいいのではないだろうか。

「何で俺の好みに合わせるんだ?」

「それは……、私がマスターの好きな下着を着たいからです」

 不覚にもほんの少しだけ胸が高鳴る。

 しかしゆっくりと深呼吸することによって空鷹はその動揺を悟られないうちに鎮めた。

「ああ、分かったから早く持ってこい。あと不必要に装飾過多なのは避けろよ、日常的に使うんだシンプルでいい」

 こくりと頷くと姫紗は店内の中を忙しなくうろつき始める。

 そんな光景を眺めながら空鷹は居心地の悪さを誤魔化すために、少しでも落ち着ける場所を探して店内の端っこの柱に背中を預けることにした。

 待つこと十分ほど。

 大量に持ってこられた下着の山。

 口を半開きにしたまま呆然と立ち尽くしてしまう。

「どんだけだよ」

「取り敢えず沢山持ってきました」

「えー」

 非難の声を上げるものの一度やるといったからには中途半端には放り投げられないと、空鷹は姫紗の持ってきた下着をまるで腫れ物でも触るかのようにつまんでは眺め始める。

 スポーツブラから男を誘うことに特化したようなセクシーなブラ、シンプルでありふれた飾り気のないショーツやフリルやリボンの付いた可愛いショーツまで幅広いジャンルの下着がそこにはあった。

「お前、取り敢えず幅広くテキトーに集めてきただろ」

「ぎくっ」

「ぎくっ、じゃねぇよ。俺もこの中からテキトーに選ぶぞ」

 そんなことを言いつつも、色の淡く飾り気の少ないしかしどちらかと言えば可愛い路線の下着を何着か見繕う。

「ほらよ、この中じゃこんなところだろ」

「ほうほう……、これがマスターの趣味ですか」

「吟味すんな、把握すんな、俺の好みを」

 そう言いながら照れ隠し替わりに押し付けるように選んだ下着を姫紗に押し付ける。

 が、押し付けた下着は受け取られずにさし出した腕を掴まれて引っ張られる。

「お、おい。何すんだ」

「付いてきて下さい」

「ふざけんな、レジぐらい一人で行けよ」

「目を閉じてください」

「はぁ? 意味わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ」

 とボヤきつつ空鷹は渋々瞳を閉じることにする。

 閉じながら歩いてみて初めてわかることだが、目の見えない状態で誰かに手を引かれながら歩くというのは結構な恐怖である。

 一本の杖を頼りに街中を歩く目の不自由な人の凄さを垣間見た気がした。

「ここで待っていてください。不要な下着を返してきます」

「ああ、それはいいが俺はいつまで目を閉じたままでいればいんだ?」

 返事はない。何やら布が擦れる音や色んな音が聞こえる。

 瞳を閉じて視界から入る情報を完全にシャットアウトしているからだろうか、それを補うかのように聴覚が敏感になり必要以上に音を拾っている気がする。

「おーい、このまま放置か? というかここどこだよ、そんなに歩いてないから店内だろ? つか、まさかこれ全部独り言か? ランジェリーショップで男が一人で目を閉じて喋ってるとか警備員呼ばれてもおかしくないぞ?」

 流石にこれ以上独り言を続けていては店員に怪しまれるだろうと空鷹は口を閉じた。

 そして暫く待つ。

「マスター、目を開けてください」

「やっとか、一体何で俺がこんなことしなきゃいけねぇんだよ」

 そして瞼を開ける。

 眩しい光に目が慣れず、徐々に視界が開けていく。

「は?」

 最初は見間違えかと思った。

 視界から入ってきた情報が何かの誤作動で、脳に届くまでに変質してしまったのかとも疑った。

 目の前には下着姿の姫紗がいたのである。

「な――」

 顔を赤く染めて恥ずかしそうにしながらも、その色白で健康的な肌を惜しげもなく晒し。

 成長し始めの未成熟な、少しだけ盛り上がった胸に水色の生地にピンクのリボンがあしらわれたブラジャー。綺麗にくびれた腰と可愛らしいおヘソ、その下の女性らしさを僅かにみせ始めている腰、そして同じ水色生地にピンクのリボンがあしらわれたショーツ。

 その全てを空鷹に見せつけていた。

「どう、……ですか?」

 どうですか、とはどういう意味なのだろか。

 思考停止状態に陥っている空鷹には理解が追いつかない。

 故に惚けた頭で思った言葉がそのまま口から吐き出される。

「似合うんじゃないか。可愛いと思うぞ」

「ありがとうございますっ」

 蕩けそうなほどに喜んだ表情でお礼を言う姫紗に、自分でも何を言ったのか理解しないまま空鷹は振り返って彼女に背を向けた。

 どうやら目を瞑ったまま連れられたのは店の試着室だったようだ。

 何でこんなことをしたのか理解はできない。出来ないが不思議と悪い気分ではなかった。

「それで、だ」

「はい」

 ランジェリーショップで下着を5着ほど買った二人は、そのまま同じビルの女性向けの服屋に足を運んでいた。

「まさかまた俺に選べとか言わんだろうな」

「だめですか?」

「……正直ランジェリーショップで俺はエネルギーを使い果たした。もうお前の好みで好き勝手に買ってくれ」

「分かりました」

 意外にも姫紗素直にそれを聞き入れた。

 そして一人で店内を物色し始める。とりあえずはひと安心だ。

 空鷹は店内を出てすぐのエスカレーター傍にあるベンチに腰を下ろすと、遠くから姫紗の様子を観察する。

 煙草の一本でも吹かしたいところだが残念ながら灰皿は見当たらない。そういえば店内にこのビルは全フロア禁煙ですと書かれていた気がする。

 姫紗の目が届かない今がチャンスなのだがないものはしょうがない。

 ふと思い立って携帯電話を見てみる。もともと持っていた方ではなく、【ゲーム】の参加の証でもある携帯電話である。

「ん、メールの新着が一件」

 件名:大丈夫?

 学校に来てないみたいだけど大丈夫かい?

 もしかして昨日の今日で美海の襲撃にあったりはしていないよね?

 清春からのそんなメールであった。

 確かに同盟を組んだ次の日に登校していなければ、そういった可能性を考えてもおかしくはない。

 不必要な心配をかけさせてしまったと空鷹は反省する。

「学校はサボっただけだ。問題ない、心配させてすまない」

 口に出した内容をそのままメールで返信する。

 それにしてもよく気にかけてくれる奴である。これはこちらも清春のことを気にかけなければ申し訳がない。

 空鷹も清春と紫のことを意識の片隅に残すことにした。

「それにしても熱心に店内を物色しているな……」

 空鷹が見つめる先で姫紗は店内を余すことなく移動して次々と衣類を眺めては手に取り、眺めては手に取りを繰り返している。

 意外とファッションとかそういう物に興味があるのかもしれない。

 手持ち無沙汰に待つこと数十分。いや、もしかしたら一時間以上待っていたのかもしれない。

 詳しい時間は確認していなかったので分からないが、あまりにも待ちすぎて寝る一歩手前だったのは間違いない。

 そんな状態の空鷹に姫紗が声をかける。

「すみません、お待たせしました」

「おー、買うもんは買ったのか?」

「はい。あっ、すみません。ついでに靴も買ってしまいました」

「構わねぇよ、俺の貸したスニーカーじゃサイズも合わないしな」

 現在姫紗は空鷹の貸したジャージとスニーカーという格好で、とてもじゃないが彼女の可愛らしい容姿に見合うような服装ではなかった。

「ついでに試着室で全部着替えてこいよ、ジャージにスニーカーじゃ締まらねぇだろ」

「いいのでしょうか?」

「店員に頼めば大丈夫だろ」

 そうですね。と言うと、姫紗は真っ直ぐ店員に歩いて行き少し会話をしてそのまま試着室に入っていく。

「お待たせしました」

 その声に反応して声のぬしを見ると、そこには見違えるような格好をした姫紗の姿があった。

「どう、でしょう……」

 姫紗が着てきたのはシンプルな桃色のキャミソールワンピースという服装で、靴はベージュ色で飾りのあしらわれた夏っぽいパンプスだ。

 小柄な彼女の体型に似合うとても可愛らしい格好であった。

 その美しい銀色の髪にも良く映えている。

「ああ、いいんじゃないか。俺はとても似合っていると思う」

「そうですか、よかったです」

 花が咲くような笑顔で姫紗は笑った。

 あまりにも純粋に笑うので空鷹の方が照れくさく感じてしまう。

「取り敢えず今日の目的は達成したな」

「そうですね。これからどうするのですか?」

 姫紗に問われて空鷹は少し思案する。が、すぐに答えは決まったのかベンチから立ち上がると不意にこう質問する。

「姫紗、お前腹減ってないか?」

「否定します。私は食事を取る必要がないので」

「ああ、そうか……。んじゃ悪いが俺の食事に付き合ってくれるか?」

 どこか浮ついた様子で落ち着きのない姫紗を連れて駅前を散策しつつ、適当なファミリー向けレストランで食事を済ませた。

 食事後も駅前を適当に歩き、空鷹の気が向けば店に入りまた姫紗が興味を見せればその店にも入る。そんなことを続けている途中のことであった。

「…………」

 突然姫紗が足を止めてある一点を凝視しているのに空鷹は気付く。

「どうした?」

 そこには一匹の犬が居た。それ以外に特別なことはない。

 特に凝視するような要素はないように思える。

「あの犬、一人ぼっちです」

「何故分かる?」

「分かります、姫紗猫ですから」

 意味が分からない。が、何故か説得力は存分にあった。

「飼い犬が飼い主でも待ってんだろ」

 と、話しかけるものの既に隣に姫紗はいない。気付けばいつの間にか彼女は犬の近くまで移動していたらしい。

「なんてすばしっこい……」

「わんわんっ、わんわん? くぅーん。……わんっ」

 そして猫型ロボットは犬語を話していた。

「おい、お前らには犬と会話する機能があるのか?」

「ありません。でもなんとなくですが、この子が私を好きなことは確かですっ」

「犬に手ぇ噛まれてんぞ」

「きゃーっ」

 姫紗の白い手に思いっきり犬はかぶりついていた。甘噛みなどという生易しさではない。それはもう本気の噛み付きである。

「随分懐かれてんじゃねぇか。よかったな」

「良くないですよぉ。この子ワルです。ヤンキーです」

「俺みてぇな犬だな」

「そうですね。空鷹と名付けましょう」

「すんな。勝手に命名をすんな。しかもよりによって俺の名前かよ」

 空鷹は犬を観察するが、どうやら首輪の類いは見受けられない。野良だろうか。

 しかし野良にしては毛並みが綺麗すぎる。だとしたら捨て犬の可能性が高い。

「マスター、空鷹を飼いましょう」

「やだよ。誰が世話すんだこれ」

「私がしますっ」

「向けんなよ。その子供時代特有の美しく純粋な瞳を俺に向けんな、鬱陶しい」

「でも、わんこですよ?」

「なんでお前そんなに犬をリスペクトすんの? 仮にも猫だろうがお前は」

 姫紗は愛おしそうに犬を抱えている。手を噛まれながら。

「マスター、こんなに可愛いんですよ。こんなに可愛いのに、可愛いのに可愛がらないのは罪です」

「……お前、もう少し頭使って会話しろよな」

 姫紗を噛み続けている犬をよく見る。どうやらトイプードルのようで、可愛らしい見た目とは裏腹に姫紗の手に噛み付いている鋭い牙は凶器だ。

 確かに愛くるしい見た目をしているが、獰猛な瞳と鋭利な牙は野生を感じさせる。

「威嚇してっから、そろそろ離してやれよ」

「嫌です。マスターが飼うって言うまで離しません」

「飼う」

「本当ですか?」

 目を輝かせる姫紗から犬をひったくる。

「いいから離せ」

「本当ですよね?」

「ああ」

「分かりました」

 姫紗から犬を奪うと空鷹は思い出したように一つ付け加えた。

「飼い主がいなければな」

「……? と、言いますと」

「飼い主探していなければ飼ってやるって言ってんだ」

「そんなっ、……騙しましたね。マスターっ!」

「騙してねぇよ。第一、飼い主がいるならそこが一番これも幸せだろうが」

 そう空鷹が言うと目から鱗が落ちた。そんな表情で姫紗は空鷹を見上げた。

「さすが私のマスターです。その通りです。失念していました。この子の幸せの形をっ、ごめんね、空鷹っ」

 姫紗が抱きつこうとすると犬は牙を向いて威嚇をする。

 姫紗が離れると空鷹の胸の中で気持ち良さそうに目を細める。

 再び姫紗が近付くと、親の敵を見るような視線で威嚇する。

 姫紗が離れると気持ち良さそうに目を閉じる。

 どうやら空鷹の胸の中は余程気持ちが良いらしい。

「マスター……、もしかしなくても姫紗嫌われていますか?」

「みたいだな。よかったじゃねぇか、別れるとき悲しくないぞ」

「良くないです。ちっとも良くないです。空鷹を惚れさせてみせます」

「ちょっと待て、空鷹って名前決定なのか?」

「当然です」

 姫紗はない胸を張った。

 そして遠慮なく空鷹は彼女の脳天に拳を振り下ろす。

「痛いですよう」

「痛いですよう。……じゃ、ねぇよ。今すぐ違う名前を考えろ」

「暴力的なところも、反抗的なところもそっくりじゃないですかっ」

「喧嘩売ってんのかテメェ」

 そんなやりとりをしながら二人はこの犬の飼い主を探し始める。

 犬を抱くのは姫紗だ。彼女は嫌われているにも関わらず断固として抱くことを譲らなかった。

 故に現在進行形で犬に手を噛まれ続けている。見た目で既に非常に痛そうだ。

「絶対野良ですよ」

「ないな。毛並みが綺麗すぎるし人にも慣れすぎてる。捨て犬か飼い犬で間違いない」

「捨てられたのですね空鷹。可哀想に」

「それも違う。……多分な」

「どうして言い切れるのですか?」

「勘だ。そして俺のこういう勘は割と当たる」

 確かにこの犬には首輪がない。飼い犬とは思えないが、何故か空鷹にはこの犬が捨てられたようには思えなかった。

 捨てられた者特有の孤独や焦燥をこの犬からは一切感じないのが一番の理由ではあるが、おおよそ完全なる勘である。

「探すといってもどうします?」

「住宅街の掲示板を見に行く。もしかしたら捜索願の紙が張り出されているかもしれないだろ?」

「マスターは頭がいいですね」

 駅前の広場から住宅街へは存外に近い。十分も歩けば辿り着く。

 そのため人気も高く、この周辺の土地の物価は高い。空鷹の住むボロアパートはここからさらに駅から離れた場所にあった。

 住宅街を歩いていると途端に犬の様子が変化する。忙しないというか、どこか落ち着かない雰囲気なのだ。

「どうしました? おトイレですか?」

「違うだろ。多分知っている景色で家を思い出したんだろう。放り出したら勝手に家に帰るかもしれないぞ」

「ダメですよ。この子は責任をもって姫紗がお世話しま……。飼い主を見つけ出します」

「今本音が溢れたぞ」

 暫くそんな無駄話をしながら歩き、そして目的の場所に辿り着く。

 しかし見つけた掲示板に犬を探しているという内容の張り紙はなかった。

「ほら、やっぱり飼い主なんていないんですよっ」

「まだ確定は早い。それに、ないことはなんとなく分かっていたしな」

「何故ですか?」

「体が綺麗だからだ。迷ってから数日立っているならもう少し汚れてもいいだろ? つまりこいつは飼い主とはぐれてから時間があまり経過していない証拠だ」

 そこまで言って空鷹は気付く。

 気付いて気不味い表情と共に姫紗に切り出す。

「……移動しないであのままこの犬を拾った付近を探したほうが良かったかもしれん」

「もしかして徒労ですか?」

「取り敢えず戻るぞ」

 姫紗の指摘には答えずに空鷹は元来た道を引き返す。

 そして暫くして再び振り出しに戻った。

「この辺りを歩き回っていれば偶然この子の飼い主に遭遇するのではないでしょうか?」

「その可能性もあるが、拾った場所で待っている方が確率も高い気もするぜ?」

「そうですね。ではそうしましょう」

 そう言うと姫紗はしゃがみこんで犬と遊び始めた。遊ぶといっても一方的に姫紗が溺愛して、犬の方は思いっきり噛み付いているだけなのだが。

「どうして空鷹は懐いてくれないのでしょうか」

「お前に嫌いな匂いでも付着してるんじゃねぇの?」

「もしかして私って臭いですか?」

「俺は臭わんが、犬の嗅覚は鋭いからな。敏感なんだよ」

「お風呂入ってきます!」

 空鷹は走り出そうとする姫紗の腕を掴んで強引に引き寄せた。恐らく彼女は自宅に戻って風呂に入ろうとしたのだろうが、その行為には問題が多すぎる。

「おいこらっ、てめぇが責任もって飼い主探すんだろうが。勝手に逃げんな、ボケ」

「でもっ、マスターが臭いって言いました。このままでは私は生きていけません。姫紗マスターに臭いって言われるのには耐えられませんっ!」

「俺は臭わないって言っただろうが、それに美海がいつ襲ってくるか分からない状況で離れるなよ」

「うう……。ですよね。申し訳ありません」

 姫紗はそう言って酷く項垂れた。

 やはり彼女は空鷹にマイナス的なイメージというか、嫌われるのを極端に嫌う傾向にあるらしい。

 それが契約猫としての本能なのだろうか。存在意義というレベルで彼女らは契約者に服従し、従うことを好む。まるでそれしか自分という存在を認識できないかのように。

「そもそもお前が猫だからじゃねぇのか?」

「ほえ?」

「ほえ? じゃ、ねぇよ。なんだっけ、アンドロイドとかでも猫なんだろ」

「でも犬と猫の仲が悪いっていうのは俗説ですよ?」

「え、そうなのか?」

「確かに仲の悪い場合もありますが、必ずしもそうという訳ではありません」

 それは意外な事実だった。

 猫と犬の仲が悪い。それは誰に教えられたわけでもないが、潜在的に思い込んでいたことだったからだ。

「それにしても面白いくらいに嫌われてんな。何かコツでもあんのか?」

「嫌われようとして嫌われている訳ではないですよぅ……」

「いじけんなって、もしかしたらそいつなりの愛情表現かもしれねぇだろ?」

「人間なら肌突き破って骨まで食い込む勢いで噛み付かれていますけど」

「それは本気の本気だな。……まぁ縁がなかったと思って諦めろ」

 それにしてもあきらめの悪い女であった。どれだけ噛まれようとも、威嚇されようとも決して犬を愛でることをやめない。

 そんな時だった。

「ミルクっ!」

 可愛らしい声が二人の間に入る犬に向けられて発せられた。

 声の主を見ると小学校低学年くらいの少女がいた。

 髪の片側だけを頭の右横に結んでいるという髪型をしていて、夏らしくシンプルなワンピースに身を包んでいた。

 その子が必死の形相でこちらに走って向かってきている。恐らくこの犬の飼い主なのだろう。

 はぐれてしまった飼い犬をやっとのことで見つけて興奮しているのか足元に意識がいっていない。

 あのままでは恐らく転んでしまうだろう。

「姫紗、あの子が転けそうになったら支えてやれ。お前の身軽さなら可能だろう?」

「でもマスター人が……」

「そこまで人通りも多くないし、特別お前を注目している奴なんかいない」

「了解しました」

 そして空鷹の予想通り女の子は見事に転んだ。

 それに反応した姫紗が素早くその子を支えた。人間の限界を超えた恐ろしい速度である。

 踏み込んだアスファルトが若干歪んでいるのが確認できた。

「流石兵器ってところか」

 誰にも聞こえないよう空鷹は呟く。

「大丈夫ですか?」

「うん、ありがとうお姉ちゃん」

「いえいえ、無事でなによりです」

 姫紗に対して律儀にお辞儀して、再び走り出した少女は犬に飛びついて抱きしめた。

 当然拒む気配も噛み付く気配もなく、犬は嬉しそうに尻尾を振っている。

「良かったです。本当に……」

 いつの間にか隣にいた姫紗は、空鷹にだけ聞こえるような声の大きさでそう呟いた。

 それにしても恐ろしい身のこなしである。隣に移動していたことに全然気付くことができなかった。

「お前無理していないか? 本当は寂しいだろ?」

「いえ……、わがままを言ってマスターに迷惑をかける訳にもいけませんから」

 空鷹はその言葉に返答せず、黙って姫紗の頭をぽんっと優しく撫でた。

 次の瞬間、姫紗は驚愕の非常と共に空鷹の顔を凝視する。あまりの剣幕に空鷹が一瞬怯むほどに凝視する。

「……ど、どうした?」

「マスターが優しいです。デレデレです。ツンデレですか? マスターはもしやツンデレというやつなのですか?」

「はぁ? 何言ってんの、お前」

 突然意味不明な言葉を発した姫紗に空鷹は変質者を見るような目で答えた。

「成程、普段は冷たいけどふと見せる優しさ。……癖になりそうです。この女殺しっ」

「なんで俺いきなり罵倒されてんの?」

 いつも通り不毛なやりとりをかわす空鷹と姫紗のもとに、一通り感動の再会を済ませた

少女が犬を抱いて礼を言いに来た。

「本当にありがとうございました」

「大したことはしてねぇから気にすんな。それにしてもその歳でしっかりしてるな」

「ありがとうございます」

 言葉遣いは丁寧だし、ハキハキとした受け答えで堂々としている。とても年相応とは思えない。

 空鷹が彼女くらいの歳だった頃はまだ言葉遣いも荒く、年上に対する態度も適切ではなかった。……否、現在進行形で適切ではなかった。

「うおっ、俺よりしっかりしてるじゃねぇか」

「どうして一人でいきなり項垂れているのですかマスターっ!」

「あははっ、お兄ちゃん面白いです」

「そうだな、お兄ちゃん面白いくらいしか取り柄ねぇな」

「マスターなんか小さい子には優しくないですか?」

「厳しくする必要ねぇだろ?」

 確かにそうなのだが、姫紗としては若干納得し難い。複雑な心境であった。

「ほら、ミルクもちゃんとお礼を言って」

「あっ、この子ミルクって言うのですか? ミルク、お別れですね」

 姫紗が慈しむように犬を撫でようとするが。

 かぷっ。と、やはり噛まれた。

 実際は、がぶりっ! くらいが適切かもしれない。それほどの勢いで噛み付いていた。

「痛いです……」

「こらっ、ミルク駄目でしょっ!」

 少女が怒ると、犬は尻尾を丸めて慌てて姫紗の手を離す。そしてとても悲しそうな瞳で少女を見る。

 その目は空鷹に嫌われたと勘違いした時の姫紗に似ていた。

「すみません、この子が……」

「大丈夫です。流石に慣れましたから」

 姫紗は胸を張って答えるが、犬に噛まれることに慣れるとはなんとも悲しい。

「また、会いに来てもいいですか?」

「もちろんですっ」

 笑顔で答える少女から連絡先を教えてもらう。自宅の電話番号を聞こうとしたら携帯を取り出してきたときは本当に驚いた。空鷹は最近の小学生は携帯電話を持っていることを知らなかったのである。

 そして最後まで丁寧なお辞儀を忘れずに去っていた少女を見送りながら、空鷹は姫紗の様子を伺う。どうやら思っていたより悲しんではいないようである。

「また、会いに行こうな」

「はい。………………次こそは噛まれないように頑張りますっ」

「そこからかよ。懐かれるまでの道のりが果てしなく遠いな、おい」

「あれっ、あそこにいるの千和空鷹じゃねぇ?」

 突然聞き覚えのない声に呼ばれ、その声の方向を見てみると見知らぬ男の集団が……。いや、顔を見て思い出す。千和空鷹はその集団を確かに知っている。

「……めんどくせぇのに見つかったな」

 そこそこ上機嫌だったのだが一瞬で最悪な気分に引きずり下ろされた。

「あっるぇぇえ? 千和くんじゃないの。彼女とデートですかぁぁぁあ?」

 勘に触る声と喋り方で、話す男の名前すら覚えてないがその顔は覚えていた。

 その昔、というほど昔ではないが空鷹が一番荒れていた時期に色々とあった相手である。

 確か最後に会ったのは殴って逃げた時である。どう考えても友好的な再開ができる相手ではない。

「奇遇だねぇぇえ。ぼくちんあの日から結構探したんだけど、これまた綺麗に雲隠れしちゃって……。ねぇ、まさかただで済むとは思えってないよねぇ?」

 敵意剥き出しの男に空鷹を囲うように動く集団。それに反応して姫紗が若干腰を落とした。

 確かに姫紗ならば全員を軽々とのしてしまえるだろう。それだけの戦闘力を有している。

 が、それは勘弁願いたかった。

 これは空鷹の問題であり、圧倒的な戦力を持つ兵器を使う道理はない。そんなことはプライドが許しそうにない。

 第一、勝てる相手なのに女に守ってもらうなど情けなくて耐えられない。

「姫紗、やめろ」

「え? ……はい」

「取り敢えずぅ、付いてきてくんない?」

「いいぞ」

 集団に囲まれた空鷹と姫紗はその男の言うとおり、人通りのない裏路地の少し開けたところまで連れて行かれる。

「ここならいいだろ」

「……で、俺をどうするつもりだ?」

 返事は周囲のガラの悪い連中が行動で示してくれた。

 メリケンサックにバタフライナイフ、そういった武器で武装した不良が十人程。普通ならばどうあがいても勝てる数ではない。

 人間複数の敵を相手に立ち回るなど実際不可能なのだ。

 ただし可能な状況も僅かながらだが、ある。

 例えば武器を持っていても相手が実戦慣れをしていなくて、さらに統率も連携も出来ていない烏合の衆で、かつ自分が格闘技の有段者で多対一の戦いに慣れている場合である。

 そしてこの状況はその全てを満たしていた。

 千和空鷹は人間レベルで言えば、かなり強い部類なのである。

「姫紗少し離れてろ」

「いいのですか。この程度私に任せて貰えれば……」

 可愛い服を着ていてもそこは戦闘用アンドロイド、言うことがえげつない。

 しかし少し強引にでも彼女を離れさせる必要があった。

 これは他でもない、千和空鷹の個人的な喧嘩なのである。

「命令だ。黙って見てろ」

 命令と言われれば反論できないのか、姫紗は言われたとおり少し離れた位置で見守るようにこちらを見ている。

「いいのか? 名前も知らない誰かさん、俺を相手にしてまさか無事でいようとか思ってないよな?」

 そして空鷹は雰囲気をガラリと変えた。

 気圧されたように周囲の人間が息を呑む。彼等は知っているのである。

 千和空鷹がどういう人間で、今までどのような喧嘩を勝ち残ってきたのかということを。

「怯むな、千和とはいえ相手は一人だ。こっちは十人も揃えているんだぞ」

「数の問題じゃ――」

 言葉と同時、空鷹の体が一瞬深く沈んだかと思うと次の瞬間には鋭く踏み込んでいた。

 距離を潰し、一撃で屠る。

 空鷹の研ぎ澄ました拳が不良の一人の腹に深く突き刺さる。

「ねぇよ」

 倒れる男を確認することもなく、まずは一人。と呟いた空鷹は続いてその隣にいた男に狙いを定める。

 仲間がやられた驚きからまだ覚めぬ状況を好機と見た空鷹は一人目と全く同じ方法で、二人目にも肉薄し同じ技で沈黙させる。

 そこまでやってようやく残りの八人の戦意に火が点いたらしい。

「やれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 そんな誰かの叫び声を聞き流して、空鷹が三人目に肉薄する。

「ひっ」

 そんな悲鳴をあげた情けない相手の足元に足払いを仕掛けつつ、倒れた相手の腹部を踏みつけて気絶させる。

 殴りかかってきた男の拳をいなしつつ、体勢を崩したその体にカウンター気味の肘を叩きつける。

「これで残り六人」

 何人いようが連携できなければ意味がない。

 背後を取られない。同時に仕掛けさせない。この二つを徹底すれば、連続した一体一にもってくことが可能なのだ。

 重要なのは必ず一撃で仕留めること。

 そして気を緩めずに常に一体一を繰り返すことだ。

 バタフライナイフを振り上げる男がいれば振り下ろすより速く蹴りが炸裂し、背後に回ろうとする者がいれば素早い体捌きで常に有利な場所に身を置く。

 隙を見せた敵から葬り、攻撃してくる獲物には冷静に一個ずつ対処する。

 深追いはせず、倒しても次の瞬間不利になると感じたら無理せずに引いて状況を変える。

 そんな繰り返しが幾度も続き、そして裏路地には十人の不良が寝転ぶという光景が広がっていた。

「驚きました。マスターはとても強いのですね」

「……そうでもねぇよ。格闘技やってて、喧嘩慣れしているだけだ」

 そう呟く空鷹だがしかし、その姿には十人の不良を相手にして傷どころか疲労した様子すら見受けられない。

 相当な実力者である証拠だった。

「無駄な時間を食ったな……、どこか落ち着ける場所に行くか?」

「それなら、私に行きたい場所があります」

 どうやら今日の散策中に姫紗の興味を引く場所があったらしい。

「どこだ?」

「駅前の大きな公園です」

 なるほど、確かにビルに囲まれた駅前に堂々と存在するあの大きな公園は盲点であった。

 広く大きく目立っているが普段寄り付く場所ではないために失念していた。確かにこの街に初めてきた者なら興味を惹かれるのは当然のことだろう。

「んじゃあ、行くか」

 まるで何ごとも無かったかのようにそう言い、空鷹は歩きだした。それについて行くように姫紗も後に続く。


   2


 空気が澄み切っている

 そう感じるのは気のせいなのか事実空気が綺麗なのかは分からないが、そんな事実はどうでもよくなるくらいに清々しい空気を肺いっぱいに吸い込む。

 心なしか煙草により汚れた空鷹の肺を洗浄しているような気分にさえなる。

「空気が美味しい。……なんてのはあまりにもありふれた表現だが、事実言葉にしてみたらこれほど相応しいものもないな」

 そんなことを呟きながら空鷹は木々の生い茂る景色を眺める。

 人間の技術で建てられた高層建築物に囲まれながら、異空間のように異彩を放つそれは独特の雰囲気と安らぎを与えてくれている。

「落ち着きます……。私はこういう場所が好きなようです」

「そうか、俺も嫌いじゃない」

 林と木々に囲われた中にある舗装された道、そこを二人はゆっくりと歩いていた。

 この公園は良く手入れが行き届いており、ゴミや汚れなどが見受けられない。公園を一歩出れば歩く道にゴミやガムが見受けられるものだが、ここにはそう言った汚れとは無縁なようである。

「そういえばマスターは格闘技をなさっているのですよね?」

「ん? ああ、触り程度だがな。一時期近所の道場に通ってた」

「触り程度……ですか、あのレベルで」

 嘘ではない。

 本当に一時期しか武術の指導を受けていなかった。故に空鷹の格闘技がある程度完成されているというのならば、その過程には喧嘩に明け暮れた日々しかない。

 基礎基本は純粋な武術から派生しているのだが、その実それを鍛え上げたのは実戦だというのだからその戦技としての純度が伺えられる。

「そんなことよりお前こういうなんてーの、自然とかそういうのが好きなのか?」

「そうですね……。肯定です。どうやら私の趣向にとても合う景色のようです。とても落ち着きます」

 穏やかな表情でそう言う姫紗の視線に合わせて空鷹も周囲を改めて見わたす。

 これまで縁のなかった類の場所だ。落ち着いて見てみるなんてそれこそ一度もしたことがない。

 不思議な感覚であった。

 犬の散歩をする人々を良く見かける。なるほど確かにこの公園は良い散歩ルートなのだろう。

 噴水で遊ぶ子供たちとそれを見守りながら談笑する奥様方がいる。安心して子供を遊ばせられるほど治安が良く清潔な空間である証拠だ。

「姫紗、ちょっとあそこのベンチで休んでいくか」

「同意します」

 噴水を囲った円状の広場の外周に設置されたベンチに二人は腰掛ける。

 黙ったまま無意味に公園の景色を眺めつつ、二人はゆったりとして穏やかな時間を共有していた。

「悪くないもんだな。こういう時間も」

「そうですよ。週に一度はこのような穏やかな時間を確保するべきだと私は思います」

 他愛ない会話を繰り返して驚くほどゆっくりと流れる時間に身を任せつつ、気付けば空は赤色に染まり始めていた。

 夕暮れだ。

「あれ、空鷹君じゃないか」

 聞き覚えのある声に視線を向けるとそこには驚いた様子の清春が立っていた。

 そのやや後ろには紫の姿もある。どうやら散歩中に偶然空鷹を見つけたらしい。

「学校休んでもしかしてデートかい?」

「違ぇよ、姫紗の服とか生活必需品とか買いに来てたんだ。いるだろ、色々と」

「そうだね、でも僕はお金だけ渡して紫に一任しているから一緒には行かないなぁ」

 ニヤニヤしたあまり好ましくない笑顔で清春はそう言う。どうやら今の言葉が空鷹の照れ隠しから出た嘘の類だと思っているらしい。

 心外である。

「お前はこんなところで何してんだよ?」

「僕は紫と散歩していたのさ。そしたら君を見かけてね」

「散歩? お前こそデートしてたんじゃねぇのか?」

「まさか、相手は猫だよ?」

 清春の言い方に何故か空鷹は僅かな苛立ちを感じたが、何に苛立ちを感じたのか良く分からない。そのため気のせいだろうとその苛立ちを飲み込む。

「あれから美海に襲われたりしてないよね?」

「ああ、もちろんだ。襲われたら真っ先に連絡を入れるさ」

「君みたいな間抜け、連絡する前にやられちゃいそうだけどね」

「口を慎みなさい。マスターは姫紗が守ります、決して傷つけたりはしません」

 紫の挑発的な言葉に姫紗が即座に反応して噛み付く。どうやらこの猫は主である空鷹の悪口に過剰に反応する節があるように見える。

「やめろ姫紗、そんな軽い挑発に乗せられんな。冗談の類いだろうが」

「しかし……」

「そうよ、冗談よ。こんな冗談も軽く流せないなんて、飼い主の器が知れるわね」

「紫だっけか? お前何でそんなに俺に噛み付くんだよ」

「こういう性格なの。気にしないで」

「性格でも少し自重してくれよ、紫。空鷹君は僕の同盟相手なんだから」

「ご主人様がそう言うなら、そうする」

 口の悪い紫もどうやら契約者の前では大分おとなしいらしい。

 常日頃から不良という立場故に口が悪く態度が悪い人間ばかり相手にしているので、実は紫のこういった態度に空鷹はそれほど嫌悪感を抱いてはいない。

 むしろこういった性格は付き合いやすい部類に入る。

「それよりお前可愛い服着てんな、似合ってんじゃねぇか」

 空鷹の言葉に姫紗と紫から大きな反応が起こった。

 姫紗は自分以外の契約猫の容姿が褒められた嫉妬故に、そして紫は純粋な驚きから来る照れ故にだ。

「マスター! お気は確かですか?」

「どういう意味だよ……」

「あ、ああああ、な、何言ってんのよこのヘンタイっ!」

「普通に褒めただけじゃねぇか。何照れてんだ?」

 意地の悪い笑みを浮かべつつそう言う空鷹の態度で紫も、その意図に気付いたらしい。からかわれた。その事実が今度は別の意味で紫の感情を揺さぶる。

 恥ずかしさと怒りで顔が赤に染まる程である。

 紫はデニムのパンツにTシャツに薄手のパーカーととても活発な格好をしている。

 女の子らしさを前面に出した姫者とは真逆な雰囲気で、元気で快活なイメージのある紫にとても似合っていた。

 個人的には可愛らしい服の方が好みではあるのだが、やはり何よりその人に合ったファッションが一番だろう。

「……っく、これで勝ったと思わないでよね」

「別に思ってねぇけど? 紫ちゃんの可愛い表情見れて眼福ってだけだなぁ」

「覚えてなさいよ……」

「まっ、マスターが私と話すときよりも楽しそうです……」

 照れながら悔しさを噛み締める紫に、空鷹の楽しそうな雰囲気に崩れ落ちる姫紗。そしてそれを眺めていた清春は思わず思っていた言葉を漏らす。

「凄いね空鷹君は、紫とこんなに速く打ち解けるなんて」

「打ち解けてないわよ。勘違いしないでご主人様っ!」

 涙目で主張する紫を見て空鷹は思わず吹き出してしまう。

「お前面白ぇな」

「じゃあ空鷹君、僕はそろそろ行くよ」

「ああ、引き止めて悪かったな」

「いや、こっちこそデートの邪魔をして悪いね。それじゃまた明日」

「デートじゃねぇって。……またな」

 ベンチに座ったまま空鷹は二人を見送る。相変わらず姫紗は項垂れたままだ。

「姫紗、そろそろ帰るぞ」

「もしかしてマスターは紫の方がいいのですか? あの子の方と契約したかったのではないですか? 金髪ですか、パツキンがいいのですか? なら姫紗も今すぐ頭を金色に染めて――」

「アホなこと言ってねぇで帰るぞ。……そんな綺麗な銀髪いじったら勿体無ねぇだろうが」

「……へ、今なんて?」

「さぁな。行くぞ」

 ベンチから立ち上がり空鷹は早足で歩いていく。心なしか顔が少し赤い気もする。

 それを姫紗が追いかけて口早に話しかける。

「もう一度っ、髪がなんですか? 私の髪がってところをもう一度お願いします」

「うるせぇ、うぜぇ、お前もうどっか行け」

「酷いですマスター。私泣いてしまいますよ」

「泣け、勝手に泣け」

 姫紗は気付いていない。今の空鷹が表情にこそ出さないものの、紫と話していた時よりも遥かに機嫌が良いことに。


   3


「痛っ」

 清春の蹴りが紫のふくらはぎに綺麗に叩き込まれる。

 物理的な痛みは然程感じてはいない。アンドロイドはこの程度の攻撃では苦痛を感じなないのだ。

「あまり余計なことを言うんじゃない。空鷹との関係が拗れると厄介だ」

「申し訳、ございません」

 続いて紫の後頭部に清春の拳が叩きつけられる。冗談の類ではない、本物の暴力であった。

 物理的な痛みは薄い。しかし、心が圧倒的に痛かった。

 堪えようもなく、心の奥底に突き刺さる痛みだ。

「あと、必要以上に他の契約者に懐くんじゃないよ。発情期じゃないんだから。お前の主は僕なの、分かる?」

「はい、申し訳ございません。ご主人様」

 さらに清春は自分の膝を勢い良く紫の背中に叩きつける。

 契約猫にとって契者は親のような存在だ。

 無償で愛を与えてくれると信じて疑わない相手で、本能的に契約猫は契約者を信頼し好いている。

 だからこそ、その暴力には心を傷めつけられる。

「使えない癖に態度だけはでかいし、本当にムカつくよお前」

「申し訳――」

 謝罪の言葉さえ、最後まで言わせてはもらえなかった。

 何故ならば清春の拳が彼女の頬を殴りつけたからである。

「謝罪もワンパターンで誠意が感じられない。低能すぎるね」

「申し訳、ございません。あたしは本当に無能で低脳で約立たずな契約猫、です……」

「言わなくても分かってるよ、そんなこと」

 紫の頬に涙が伝う。

 何故愛してもらえないのだろうか。契約猫には契約者しかいないのだ。

 彼女らが起動して初めて会う相手。従い、守るべき対象。それは世界の全てに他ならない。

 契約猫は契約者を通して世界を見る。故に、その存在は親と何一つ変わらない。

 契約猫にとって契約者は親といっても過言ではないのである。

「どうして……」

「――君が弱いからだ。それ以外に理由はないよ」

 そう、紫は弱い。美海よりも、姫紗よりも。

 弱いことは罪なのだろうか。

 少なくとも、清春を通した世界では弱いことは罪なようである。

 それでも、紫には清春しかいないのである。

 どれだけ嫌われようとも、どれだけ蔑まれようとも、酷い仕打ちを受けても。

 彼に求めるしかない。そこにしか契約猫の幸せはないのだ。

「頑張ります、頑張りますから……」

「……結果を出してから。全てはそれからだ」

 清春は通帳を取り出す。

 清春の名義ではない。彼の祖母の物である。

 そこには一千万円以上の預金が記載されていた。

 このゲームの参加で手に入れた一千万円を全額祖母の預金に入れたからである。

 彼がこのゲームに参加することで得られた対価である。そしてこれだけでは足りない、五億円を手に入れてその全てをこの通帳に預金する。

 その目的がある限り、勝つためには手段を選ばない。

「例え強い奴の腰巾着でも構わない。そういうことなんだよ、悪いね空鷹……」


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