017 グラハムが一体どこに向かおうとしているのか俺にも分かりません。
「ああ……凄かった……。本当に、色々と、凄かった……」
闘技場のラウンジで一人そう呟く俺。
本日の予選は全て勝利で終え、シャワー室で軽く汗を流した俺は物思いにふけている。
『凄かった』というのは当然、予選での戦いのことを言っているわけではない。
これでも俺は帝都が誇る帝国槍術兵団の長なのだ。
いくら先の戦いでの傷が癒えていないとはいえ、その辺のゴロツキになど負けるはずもない。
――そう。凄かったのは――。
「エントリーナンバー3202……。レインハーレイン・アルガルド殿……」
カズハ殿より受け取ったリストをまじまじと見つめ、俺は熱い吐息を漏らす。
あの時、もしも俺が彼女の脱ぎ散らかされた鎧を拾い上げなかったら、一体どうなっていたのだろうか。
俺はその先を妄想する。
彼女の透き通るような肌が眼前に広がり、彼女はおもむろにその可憐で淫靡な下着に手を掛けて――。
「よう、ゴツい兄ちゃん。また会ったな」
「おうっふ!!」
「……? 何でそんなにビックリしてるんだお前? それに……前屈み?」
妄想中に急に声を掛けられ、慌てて変な声を上げたまま若干腰が引けた状態で立ち上がってしまった俺。
いかん……! 今のこの状態は色々といかん! どうにか誤魔化さねば……!!
「い、いや……ハッハッハ。これは失敬。君は確か……レインハーレイン殿の……」
前屈みの姿勢のままリストで下腹部を隠した俺は声が裏返っていることに自身でも気付かず、乾いた笑いを浮かべてそう答えた。
あからさまに怪訝な表情を浮かべている目の前の男――ゲイル・アルガルドはそれでも俺の目の前から立ち去ってはくれない。
頼むから俺をそんな目で見ないでくれ。違うんだこれは。そう、腰痛体操だ。帝都で最近流行っているという――。
「……まあ、兄ちゃんのことなんかどうでもいいんだがな。あんた、妹のレイを見かけなかったか?」
「!! おっふ……!!」
ふいにゲイルがあの女神の名を口にしたことで、再び俺の脳内にあられもない姿をした彼女が蘇ってしまう。
いかん、これはいかん……! 男の前で……しかも兄君であるゲイル殿の前で!!
落ち着け。これは試練だ。心を強く持つのだ。俺はできる。出来る男、グラハム・エドリードなのだ。
大丈夫。気付かれていない。深呼吸だ。古の戦士達は呼吸法により己の持てる力を――。
「……その様子だと知らねぇみたいだな。ったく、あいつ、まーた勝手にどっか行きやがったな。予選にも参加しねぇで、どうせそこいらの女にでも手を出してるんだろう。あー、メンドクセェ。俺も棄権すっかなぁ、今回」
「…………そこいらの女に、手を出す?」
ゲイル殿の言っている意味が分からず、俺はただ中腰のままポカンと口を開けるしか出来ない。
彼はまだ何かをぶつくさと呟いているが、その言葉はもう俺の耳に入ることは無かった。
――そうか。だから彼女はあれだけ堂々としていられたのか。
そもそも男には興味が無いのだ。……いや、興味が無いとか、そういう次元の話では無いのだろう。
女神である彼女は遥か高みを目指している――。きっとそうに違いない。
そう考えれば、彼女が何故闘技大会に参加せず、姿を眩ませたのか容易に想像が出来る。
――カズハ殿だ。きっと彼女はカズハ殿と一緒にいる。
そして俺ならば分かる。何故なら、俺の脳内を支配している『同類』の声が、耳元で囁くからだ。
『レインハーレイン殿は、カズハ殿にゾッコンラヴ――』。
「…………はっ! カズハ殿が……危ない!!」
「あ、おい! どこに行くんだよ! ……ったく何なんだよ一体……」
俺はゲイル殿の制止を振り切り、無我夢中で闘技場を飛び出して行った。
◇
「……確かこっちの方角にカズハ殿は……」
俺はカズハ殿が向かった先である街の西の外れまで辿り着いた。
もうそろそろ日が落ち始める頃だろう。
早く彼女と合流し、レインハーレイン殿の性癖を伝えねば取り返しのつかないことになる。
……いや、待てグラハム。そもそもカズハ殿は転生者だ。
当然レインハーレイン殿の事は誰よりも詳しいはず。
俺が命がけで隠し通してきた『帝都美女百合シリーズ』が自宅の倉庫にあることすら知っていたのだ。
彼女の情報網は侮れない。つまり、レインハーレイン殿の性癖を知った上で、再び彼女を仲間に引き入れようとしているということ――。
「――そうか。そういうことなのか」
俺は立ち止まり、日が傾きかけた天を仰ぎ、全身を震わせた。
カズハ殿の身を案じて身を震わせているわけではない。逆だ。これは、『歓喜』の震え。
嗚呼……これぞリアル『帝都美女百合シリーズ』ではないか。
まさか現実でそれを拝めるチャンスが到来するとは。生きてて良かった。カズハ殿に付いてきて、本当に良かった……!
自然と拳に力が入る。全身にエネルギーが満ち溢れているのが分かる。
もう俺は誰にも負けない。魔王軍の将にすら勝てる自信がある。
『愛の力』。そう、これは少女と少女の、尊い恋の物語――。
「……ん? あの小屋は……?」
西日が射しこんだ寂れた小屋が俺の視界に入り、俺は握り締めた拳を緩めた。
あの小屋が怪しい。俺の直感がそう告げている。
人気の無い街の外れ。寂れた小屋。そこで再会した二人の少女――。
感動の出逢いから二人の恋は燃え上がり、そして小屋に鍵は掛かっておらず、そこで二人は――!
「…………よし」
俺はゴクリと生唾を飲み込み、一歩、また一歩と小屋に近付く。
……人の気配がする。やはり誰かがここにいるのだ。
俺は期待感を胸に息を殺し、そっと扉に手を掛けた。
ヒュンッ!
「え?」
サクッ――。
「…………うん?」
何故か尻に痛みを感じ、手を伸ばす。
なにかが刺さっている? ……これは、クナイ?
でも俺のケツ筋はそれを物ともしない。
しかし……何だ? 意識が朦朧としてきて……?
「……ほう? 今度は帝国兵のお出ましか。あの嬢さんと関わると退屈せんでええのぅ。ホッホッホ!」
――俺は薄れゆく意識の中、何故か髭面の老人に笑われているという謎の夢を見たわけで。
……あれ? カズハ殿とレインハーレイン殿は?
ここまでお読み頂きありがとうございます!
先日、小説家になろう様、pixiv様、ニコニコ様、VISUAL ARTS様共同開催の第二回キネティックノベル大賞のノベル&シナリオ部門の受賞者発表がありました!
そこで『三周目の異世界』が佳作を頂きました!
すべて読者の皆様のおかげです! 本当にありがとうございます!