014 変態って、自分では変態だと思ってないから対処に困るよね。
一方その頃、グラハム・エドリードは――。
「まったく……。カズハ殿は一体何を考えておるのだ……ブツブツブツ……」
闘技場の受付でエントリーを済ませた俺はモヤモヤを抱えたまま待合室に設置されたソファに腰を降ろす。
俺が彼女から(半ば強制的に)与えられたミッションは二つ。
この参加者リストに載っている『ゲイル・アルガルド』、そして『レインハーレイン・アルガルド』の兄妹をこの広い闘技場内で見つけ出し、仲間に招き入れる事。
そしてもう一つは今大会で十位以内に入賞する事である。
一つ目のミッションは二人を探し当てることさえできれば不可能ではないのだろう。
リストによるとこの兄妹は各地のギルドを転々とする雇われ傭兵と記載されている。
カズハ殿の言う『別世界の記憶』が宿っているとは思えないが、帝国の名を出せば後は金次第でどうにでもなると予想できる。
問題は、その金なのだが――。
「10位入賞で賞金が100万G……。傷が完治していない今のこの状況で、果たしてどこまで通用する――」
そこまで考えた俺だったが、ふと可憐な華の香りが鼻腔を過り思考を止める。
俺は無意識にソファから立ち上がり、香りに釣られるように待合室から廊下に身を乗り出した。
――そこには、天使がいた。
いや、ここからでは背後しか姿が見えないが、あれは間違いなく天使だ。
長年苦楽を共にしてきた俺の天使レーダーがそう告げている。
キューテクルの極みとも言うべき腰まである長い金色の髪。嗅ぎたい。
その髪の隙間から零れ落ちる首筋は、まるで白い雪のように透き通った柔肌をしている。舐めたい。
白銀の鎧に収められた華奢な身体は俺の透視センサーにより丸裸とされる。
……うむ。あれは脱いだら凄い。絶対に凄い。ひれ伏したい。ひれ伏した姿勢から上空を仰ぎ見たい。
「……ごくっ」
俺は人目を憚らず生唾を飲み込む。
嗚呼、これを出逢いと言わずして何という。よし、声を掛けよう。
……いや待て。落ち着け、俺。何度同じ過ちを繰り返したら分かるのだ。
毎度声を掛けた直後、『髪の匂いを嗅がせてください』とか『首筋を舐めても構いませんか』などとたわけたことを抜かすから逃げられるのだ。
逃げられるだけで済めばまだ良い。警備兵につまみ出されてザイギウス殿の耳にまでその醜態が晒され、どうにか帝王の耳までは届かぬよう御配慮いただきっぱなしではないか。
それさえ無ければとっくに将軍になれたのにと、正座をさせられながらまた説教を喰らいたいのか俺は。
「……? ……あれ? あの天使は……?」
ふと彼女の横顔が視野に入り、俺は人目も憚らず天使をガン見する。
やはり天使だ。女神と言い換えても良い。
神々しさすら感じる美しい顔。整った眉。長いまつ毛。潤いのある唇。嗚呼、その唇から零れ落ちる唾液が飲みた――では無くてだな。落ち着け、俺。リストをよく見るんだ。
「……やはりそうだ。彼女がレインハーレイン殿……。つまり、俺は合法的に声を掛けられる……?」
心臓の音が高鳴る。そう、これはカズハ殿が用意してくださった出逢いなのだ。
あの女神を仲間に引き入れることが俺に与えられた勅命である限り、俺は何の不安も無く声を掛けることができる。
……よし。今なら周囲に誰も居ない。
俺は一歩、また一歩と羊を狩る狼のように気配を押し殺しながら彼女に近付いていく。
嗚呼、なんて心地の良い香りなのだ。この香りを嗅いで正気でいられる男などこの世に存在するのだろうか? 否、そんな者は存在しない。大賢者でさえ法衣をかなぐり捨ててこの美女にひれ伏すだろう。
「?」
天使が俺に気付き、振り向く。
その神々しいお顔を真正面から拝見した瞬間、俺の全身に電流が流れた。
――そこに居たのは、本物の女神だったからだ。
完璧。もう全てが。キングオブ美女。この世のものとは到底思えない。もはや人間を超越した神だ。
ひれ伏そう。そして下から見上げよう。
……いや待て、俺。でも待てない。平常心を保つのは無理だ。
だから俺は――。
「く、首筋を舐めても構いませんか……?」
「え?」
……。…………。……………はっ!!!
や、や、や……やってしまったあああああぁぁぁぁぁ!!!!
いかん!! 警備兵を呼ばれる前に、一度ここから退散して――。
「はい、どうぞ。私の首筋などで良ければ」
「………………はい?」
今、この女神は何と言った……?
え、ちょっと待て。思考が追い付かぬ。どういうこと?
……あれ? 女神が長い髪を両手でかき上げ、口に髪留めの護謨を咥えて俺に微笑んでいる?
え? 俺は幻でも見ているのか? 目の前に白く透き通ったうなじが見えてるのだが。
……いかん。いくら夢でもリアル過ぎる。頭がクラクラしてきた。
「?? 舐めないのですか?」
「……え? あ、いや、これは、その……」
何故か気圧される俺。
……この俺が、気圧される?
どうしてこの女神は堂々とこんなことをしていられるのだ?
まるで恥じらう様子も無い。当たり前のような顔で俺に質問をしてくる。
まるで、初対面の人間に普段から首筋を舐められているかの如く――?
「……あ、私としたことが。そうですわね。これが邪魔ですわよね」
「………………はい?」
そう言った女神はおもむろに鎧を脱ぎ始めたではないか。
え? あ、え? いやいやいや、え? ちょっと女神さん……?
鎧を脱ぎ下着になった女神は、その下着にも手を掛けて――。
「いやいやいやいや!!! 何をしておるのですか貴女は!!!」
「何って……。脱いだ方が首筋を舐めやすくなりますでしょう?」
「なります!!! なります、がっ!!! そういう事じゃないのです!!!!」
俺は慌てて脱ぎ散らかされた鎧を拾い上げ、強制的に女神にそれを手渡す。
何が起きているのか全く理解ができないが、とにかくヤバいことだけは十二分に理解できた。
そう、これだけは断言できる。
――この女神は、あたまがおかしい。
「おいおい……。まーたやってんのかよ、こんな場所でお前は……」
背後に男の声が聞こえ、俺は心臓が飛び出るくらいに驚愕する。
こんな場所を他者に見られたら、どう考えても俺がこのあたまのおかしい女神を襲って服を脱がしているように見えてしまうだろう。
そうなってしまえば、本当に俺は帝都へ強制送還――。
「あら、お兄様。エントリーはもう終えられましたか?」
「……お兄、様?」
背後の男を振り返り、俺はまじまじとその顔を拝見する。
確かにこの女神と目元が似ている気がするが……。
いや、お兄様ということは、この男が――。
「おい、そこのゴツい兄ちゃんよ。悪ぃな、こいつあたまぶっ飛んでるからよ。兄の俺が言うのもなんだが、関わらないほうが身のためだぜ?」
「そんな人聞きの悪い……。私はこの御仁の頼みを聞こうとしただけですわ」
「頼み?」
「いやいやいや!!! よ、用は済んだので拙者はこれで!!! またお会いしましょう、お二方!!!」
俺は逃げるようにその場を駆け抜け、一旦闘技場の外まで出ることにした。
もう全身が汗だくで、まるで死地から抜け出した負傷兵のようになっている。
とにかく水が飲みたい。そして頭の中を整理する時間が欲しい。
理解が追い付かぬ。あれは本当に……人間、なのか?
――いや、しかし完全に理解が出来ぬわけではないことを、もう一人の俺が知っていた。
あれは、同類、なのだ。
俺と同じく常人の皮を被った獣、と言い換えることもできる。
つまり、『変態』――。
俺は人生で初めて出会った俺以外の変態に、今後どう対処して良いのやら分からず、ただ無心で水を飲むことしか出来なかった。




